メールマガジン【技術者のための中国語講座】で書いていただいているGongbenさんのコラムをまとめました。
中国駐在時の貴重な経験を元に、時には辛口でコラムを書いて頂いております。
![]()
Gongbenです。みなさんニイハオ!
光陰矢のごとしとはよく言ったもので、今年もあとわずか、今東京から大阪への新幹線の車内で起稿しています。今回が本年最後のコラムになりますが、この一年間、お付き合いいただきまして大変ありがとうございました。この一年間私が綴ってきたものを振り返ってみると、「日中徒然草」のタイトルに引っ張られてどうもテーマに芯が無かったように思い、しきりに反省しています。コラムを書き出した当初は、駐在をしている人に一番共通の「日本に座っているだけで中国の実情を理解しようともせずに日本や米国のやり方を押し付けようとする、そういう人物には中国の仕事について偉そうに語れる資格など無い」という思いが強く、その線で続けようと思っていたのですが、途中で色々な方向に脱線してしまったようです。駐在していると見えてくる「日本人出張者の対中国、対アジアへの蔑視感」について「これでよいのか、よいはずはない」というもの。『女性(複数)を囲っていることをタクシーの運転手たちに自慢』したり、同じマンションの日本人たちにも挨拶もせず、『オレは商社マンだ』と威張り散らかし、日系企業からも、現地のホテル従業員や保安の人たちから嫌われているM社の商社マンたち」といったものに対し、「お前ら何様だと思っているんだ、のぼせ上がるのもいい加減にしろ」という憤りを感じていたところに、自分の社内で、元二流商社の中の「掃き溜め部署(庶務二ではありません『ショムニ』の登場人物たちは皆素晴しい人間性を持っていましたので・・)」に置かれた人間の最後の自己顕示の手段として“商社と付き合っていること”が自分のステータス或は自慢だとばかりにその付き合いを吹聴し、最後には事もあろうにその商社と組んで仕事をやりたいなどと言い出したことに危惧を感じたことを綴ったもの。
小泉さんの軽率な言動が対日感情を悪化させているということで日本政府を批判したもの、サッカーのアジアカップで見せられた日本への悪感情というか怨嗟の念を危機だと感じた直後にアテネで日本選手の好演技に惜しみない拍手を送ったアメリカ体操チームへのフェアプレー精神に感動した、というものなど色々な方向にばらばらに進んでしまったものだなぁ、一貫性がないなぁと今は思っています。
また中年おばはん連中を中心にした韓国芸人へのべたつきぶりに『お前ら阿保か?!年齢を考えろ』といいたくなる気持ちを『韓流』というのはそもそも『漢流』のもじりであり、この親韓反中国を煽ったのが視点の低い日本のマスコミたちだ、というものもありましたねぇ。。と考えてくると、当初の、日本人駐在員に、或は留学生たちに警鐘をならそう、より有意義な駐在をしてもらおう、中国をもっと理解してもらおう、「日本よしっかりしろ」、「日本人よ言動には気をつけろ」といったスタンスで書き出した思い、それを維持することができなかったのではないか、と反省することしきりです。
毎回A4一枚程度に10.5ポイントで作文をする、ということは確かに大変なことですが、私は自分を磨く上でもよいことだと思っています。その昔、宣伝部門に居た時にコピーライターの糸井茂里さんが広告のコピーライターになりたければ、一つの手段として「同じ人にはがき一枚の作文をして毎日送り続けてみなさい。大変よ」と仰ることを聞いたことがあり、チャレンジを試みたのですが3日目で断念したことがあり、心のトラウマになっています(汗)。はがき一枚もA4一枚もたいした分量ではないのですが、それを「続ける」と言うことの大変さを感じました。私は自分のHPをもっていたのですが、メンテナンスするのが大変で、放置されっぱなしになっています。一方、編集長の途夢郷さんは、ご自分のHPを幾つかお持ちの上で週3回もメルマガの編集もされ、時にコラムを書かれている。これは凄いな、ご立派だなと思います。(爪の垢ください!煎じて飲んだりはしませんから・・)
来年は、心機一転して文体も変えてみようかな、テーマについても何回かの連続ものにしてみようかな、或は長文のコラムを先に書き上げて区切りのいいところで分割発行にしてもらおうかな、、、などと少し知恵を絞りたいと思います。今日から始まる冬休みを利用しまして。最後になりましたが、私の駄文を編集掲載して戴いた途夢郷さんだけではなく、コメントを戴いた皆さん、そして毎号私の駄文に付き合っていただいた皆様にお礼を申し上げるとともに、来る年『2005年酉年』こそは、幸せで有意義な年になりますようお祈り申し上げ、年越しのご挨拶とさせていただきます。
新年快楽!(大津波の被災者の皆さんには大変申し訳ありまへんが堪忍してやってください)
皆さんニイハオ!Gongbenです。
今年ももうあと僅かですが、皆さんにはどんな一年だったでしょうか?申年生まれの私の一年は、、、仕事上でもプライベートでもなんらの成果もなく、終わってしまいそうです。入札をしても結果がでるのは年を越す、二次審査までいった案件もその結果は来年まで越冬冬ツバメ・・単身赴任で家族サービスもままならず、一ヶ月に一回大阪に帰りキャッチボールをしてやったり、ボーリングやバッティングセンターに連れて行ってやったり、はしましたが、普段の学校生活の話をきいてやることや勉強を教えるという機会もあまりなく、という一年でした。来年はもっといいパパになってやらなければと思っています。 実は今日が息子の11回目の誕生日で、単身赴任の私は東京から電話でもかけるしかなく、電話ゆえに相手の表情を見ながら、或はこちらの表情を見せながらの会話もできません。照れ屋の息子ですので、面と向かえば面白いことも言ってくれるのですが、電話で会話をすると「べーつにぃ」という、私の嫌いな表現が帰ってきます(涙)。先般、途夢郷さんとのメールで11月半ばに登場したのでもう一年になりますね、と言われて知ったのですが、あっという間の一年でした。でも1年は52週間なのに、私のコラムは44回しかなく、6月7月に越南での入札があった関係で、丸々2ヶ月以上欠勤状態であったことを本日知りました。来年の目標は52週皆勤賞!を目指したいですね。
年末になったこの一年の日中関係を省みて見ますと、やはり小泉首相の靖国参拝、アジア大会での中国ファンの対日本戦での打倒日本鬼子騒ぎによる反日感情の熾烈化、脱北者に対するスタンガン使用等の中国公安隊の厳しい対応、中国潜水艦による石垣島領海侵犯事件、など私としてはあまり耳にしたくない事柄があり、漸く日本側が何度も希望しては袖にされていた日中首脳のトップ会談が実現したという(少しだけですが)明るいニュースもありましたね。もっとも二回の首脳会談では日中間の政冷経熱を招いた小泉さんの靖国参拝を巡る諸々の言動に対し、中国側から厳しい指摘をされ、小泉さんとしては指摘されただけで、なんらの前進状況も作れなかったという結果に終わりました。拉致家族の日本奪還時の北朝鮮に対峙した小泉さんとはまったく別人のようで、韓国大統領との九州での会談でも結局は盧武鉉に「北を刺激するな」といわれ、浴衣での砂風呂入浴も「韓国の大統領が日本の浴衣など着られるか」と無視されるし、拉致の張本人である北からは横田めぐみさんの遺骨鑑定については「あれは捏造だ。事実究明を要求する」とまったくたわけた発言を公式にも非公式にもされて、最近の小泉さんは不調ですね。
18日に内閣府が発表した外交世論調査で「中国に親近感を持つ」が過去最低の37.6%、「親しみを感じない」が56.7%になってしまったという残念な結果になってしまいました。一方、中国側がこのデータ発表に呼応して調査した結果では、「日本に親近感を持つ」は5.9%から6.3%に微増したが、「親しみを感じない」が42.2%から53.6%と二年前の調査から10%以上も増えたそうです。日本側としては、あのアジアカップでの中国人ファンの非礼な態度に、中国側としては、(相変わらずなのですが、そして高級政治家の言動に)過去の歴史への反省がない、と夫々が夫々に対して『バッテン』をつけた、という記事が載っていました。
あの、おばはん連中が年甲斐もなく追い掛け回して怪我人もだしたという韓国人芸能人のおかげか、「かんりゅう」が「本来の漢流」ではなく「韓国の韓流」という日本のマスコミの『イミテーション造語』に踊る日本人の知識レベルが影響しているという見方も紹介されていましたが、大変残念です。私としては、相手の感情を逆撫でしたのは日中双方が夫々に「大人」として反省しないといけないと思いますが、それにしても、日本のマスコミのレベルが低いということが不幸の源になっていないか、とますます、マスコミのスタンス、あり方について疑問がというより強い危機感を感じだしています。
「たかが」と言っては大変失礼とは思いますが、サッカー選手やなよなよとした韓国芸能人に『○○様』などと様づけで持ち上げてみたり、何かその人にことがあると今度は手のひらを返したように様付けで呼んでいた相手を極悪人のようにけなしてみたりし、一誌(紙)、一局が先鞭をつけると他誌(紙)がそれを更に増長付和雷同してゆくマスコミ。一体彼らマスコミ人には自分の視点、不易のビジョンというのがないのだろうか、一般の人間というのは愚かなもので、マスコミによって踊らされる、だからこそ「ペンは強い」のではないだろうか、と強く感じたこの一年でした。
ではまた来週!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
私が中国の仕事に関与するようになってからほぼほぼ十数年たちますが、「ほんの」という形容詞が正しいか否かは別にして、中国の新聞や雑誌の印刷の質が格段に向上した、と思います。昔は(おじさんになるとすぐに「昔は」と口にしますが、ここでは本当に「昔は」です)せっかく美しい広告を作っても、その印刷技術、低い紙質により、本来の美しさが表現されずに苦労したことを思い出しました。製版の段階で、日本の様に細かいものにすると、インクがべたっと乗ってしまい、真っ黒けのビデオの写真(大体ビデオは黒かシルバーですから)になってしまい、ぱっと見ると何か黒い箱があるな、といった感じで、仕方なく製版を少し荒くして対応をしましたが、今度はボツボツが気になり、営業からクレームが。。。「一体どうせえって言うんや!」と開き直りたくなることも何度もありました。それが、今ではファッション雑誌や、北京ウォーカーや上海ウォーカーなどのタウン雑誌も日本製かと思うくらいに美しいものが街に溢れています。紙質が上質な紙の輸入によりぐんと向上し、印刷についても、当時は「ドイツの印刷機を持っている」『だけ』で、メンテもなされておらず、技術者もいい加減でしたが、十年たてばやはりしっかりと中国に根を生やした感じです。また、昔の新聞は人民日報、羊城晩報等も紙面が見開きで全四頁などというものが多く(今もかな?)、記事もあまり面白いものがなく、テレビ欄などは、折り目のところに縦に一列ちょろっと記載されているだけでしたし、テレビ放送局も番組表どおりにはオンエアーしない。
いつ始まるか、いつ終わるのかひやひやしながらのもので、タイマー録画などしたら、日本の夏と同様、見たい番組が途中で尻切れトンボになっていたりしました(日本でも夏場はあのプロ野球のシーズンで、名画劇場やサスペンスドラマなどでは冒頭の重要なシーンがカットされていたりしてむっとすること良くありますね、それと同じでした)。「番組は面白くないし、時間通りには放送がなされない・・・」そんな状態でしたので、ビデオを使ってタイマー録画をするのではなく、誰かがとったビデオをダビング(勿論違法です!)してそれが巷に出るので録画機能なしのビデオつまりビデオカセットプレーヤ(VCRではなくVCP)というのが主流になってゆき、ハイファイビデオは「帯カラオケ効能」というフィーチャーで馬鹿売れしたのですが、それもVCDビデオCDが出てきてからは衰退してしまいました。90年ごろのビデオの需要は200万台近くあったのに今ではもう数十万台もあればよいほうになってしまい、VCDに駆逐された中国市場になっています。
さて、先ほどテレビも新聞も面白いものがなかったと書きましたが、テレビについては日本・韓国・台湾のメロドラマやバラエティショー、クイズ番組、漫画が中国語に翻訳されていたり、中国版にリメークして放送されたり、バラエティにとんだ内容になってきてはいます。但し、『笑える』というのと『面白い』というのは違うもので、笑えなくても内容的にとてもよい番組もあるはずです。で、新聞は?どうなんだろう、日本に帰ってきてからはあまり中国の新聞を見る機会もなくなっているのですが、どなたか教えて頂けませんでしょうか?日本では、ただ『韓国から来た』というだけで四十・五十台のおばさんたちが節操もなく馬鹿番組としか言いようのないメロドラマ、ソープドラマを見て涙を流したりしています。
また、『関西人イコール馬鹿』とでも言わんがごとく、『さんまの馬鹿面』が下品かつ下手くそなだじゃれとともにもてはやされ、何を話しても全て『滑って』いるあのダンディ坂野という漫談師がテレビに未だに出続けている、オカマだということだけが売りで何の芸もない人がかばちゃんとか言われてちやほやされていることがマスコミの自覚を失わせているのかもしれません。大衆の責任もあるかもしれませんが、いい曲を貰っているだけで歌を歌ったら「ド下手」のグループ(私は彼らを下手な音楽漫才グループだと今でも信じています)のSMAP(コマーシャルに使いたくる企業も悪い)を安易に起用し、昨日まで持ち上げていた政治家をある日から急旋回して「悪の権化」のようにしてしまうテレビ・週刊誌の利益第一主義の報道。例を挙げれば枚挙にいとまありませんが良い番組がどんどん減ってきているような気がします。『悪化は良貨を駆逐する』とは言いますが、『悪番組が良い番組を駆逐する』と置き換えても違和感がないな、と痛感しています。 マスコミが低俗化しているからあんな番組ばかりなのか、視聴者が低俗化しているからマスコミがそれに迎合しているだけなのか、『鶏と卵』どちらが先なのかというのと同様、判断に戸惑ってしまいます。何もクラシック番組だけを流せば良いといっているわけではなく、番組の粗製濫造をやめるべきでは、と思っているわけです。 中国のCCTV(中央電子台)でも農業番組や自然紹介番組等、じっくりみればよい番組も時に流していますが(ちょっと退屈ですが)、最近はそれ以外のBTV(北京放送)などもおしなべて俗悪化しているように思えなくもありません。
さて、この週末に名古屋に出張した際に購入した徳山善雄さんの『報道危機』という新書を読みはじめました。911の報道(愛国主義を煽り立てるもので「なぜアメリカが嫌われるのか」についての報道がなされていなかった)によりアメリカの報道システムが崩壊した、とか日本のテレビ報道が池田小学校事件の時前後から市民から嫌われ、政府・市民対報道という図式に変容しつつある、本来市民を守る報道がそっぽを向かれている、といったことに危機感を抱く著者は朝日新聞阪神支局で友人を失った記者ですが、その主張するところはテレビも新聞も「マスコミよ、リ・ジャーナリズムを目指せ」というものです。この本はとても読みやすくあっという間に読み進める本ですので、一度手にとられては、と思います。
今週はここまで、
ではまた来週!再見!●報道危機、リ・ジャーナリズム論
http://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=IC8L5+DVIPBM+1N6+67JUB&URL=http://books.rakuten.co.jp/afa8/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1567000
著者:徳山喜雄
出版社:集英社
本体価格:680円
皆さんニイハオ、Gongbenです!
前回書いた親指の怪我はもう良くなりました。ご安心ください。昨日、月曜日は水曜日に控えた部門忘年ボーリング大会のリハも兼ねて、3ゲームほど投げてきましたよ。1960年代後半のボーリングブーム(須田佳代子・中山律子・並木恵美子の女子トリオが大人気でした!)時代の私は母弟と早朝ボーリングをした後、登校をしていた不良(?)中学生でしたが、その当時と比してぼろぼろの成績で(当時278点を出したのが最高、その後は200点前後に低迷し、最近は180点が出ない!北京や南京でなげるとなぜか200点近くまで上がるのはレーンが短い?んな訳はありません)、よる年波には勝てないと痛感しました。さて、先月末に大阪に帰った際、カンフーの練習から帰った息子と自宅近辺のミスター・ドーナツに行き、おやつを一緒に食べる機会がありましたが、そのときのことを少しだけ書いてみます。ミスター・ドーナツ香里店は大阪と京都を結ぶ京阪電車の香里園駅から徒歩五分ほどのところにある、結構歴史の古いお店で、店番号は0003、つまり1970年に大阪北部の箕面市に一号店が開店してから三番目のお店です。今は落ち目のダイエーのすぐ傍らにありますが、土日でも人のいないダイエーとは対照的に、大体いつ行ってもお客さんがあふれているお店で、北京赴任前にはよく家族でおやつを食べにいったり、買いに行ったりしていました。中国にも進出されるという噂も数年前にはありましたがその後出店されたのかどうか、、どなたかご教示ください。実は私は遥か昔に主任試験を受ける前の研修として江坂にあるダスキン本社を訪問する機会を得、色々とそこで同社の歴史や経営に関するお話をお伺いしたことがあります。その時はじめてお聞きしたのが、
1)同社では新入社員の訓練として、京都の民家に「ダスキンから参りました。お宅のトイレ掃除をさせてください」と飛び込みで清掃をするという制度があること。
2)ミスド(大阪では中国人のように長い言葉は「百均(ひゃっきん):百円均一」の様に略して呼びます)がダスキンの系列会社であること。
3)ミスドで24時間営業をしたのは、「朝刊の新聞配達員の方にも暖かいスープや甘いドーナツでほっとする一息を提供したい」との判断からだった、その後24時間経営は効率等を考慮し是々非々対応するようになったこと。
4)ミスド各店舗で働くスタッフは、パートの方も含めて就業前に店の周りの掃除をする、それも無給で、という慣わしがあること。
5)(当時流行っていたマニュアル経営に対し)ミスドでは非マニュアル対応で「真心のこもった」接客をしていること。等でした。今回、香里店のアルバイトの方がコーヒーの「お替りサービス」に来てくれた際に、4)と5)について質問をしてみました。4)については、今でも出社前に掃除をされているそうです。5)のマニュアルについては、『基本的なマニュアル』は存在するが、実地での接客対応についてはやはり笑顔と真心を中心に対応をされているとのことでした。ミスドの各メンバーが夫々の持ち味を発揮し、いつでも明るく接してくれている秘密、それは『マニュアルには書かれていない真心と笑顔』であり、創業当時からその精神が受け継がれている、それも正社員ではないパートの方も含めて、時を越えて継承されていることに深い感銘を受けました。
同じ米国から日本にやってきた企業同士ですが、あのマクドナルドが『何でもかんでもマニュアル対応』だったこととは対照的ですね。私の勤務先でも口を開けば「マニュアルがいるな」「マニュアルがないからだめなんだ」といったことを言う上司や同僚(これもアメリカ帰りが多い)が多かったですし、今もなお「マニュアル崇拝主義者」が闊歩しています。工場の製造指図書や、設計仕様書、パソコンを使った業務の標準化など技術がらみのものは確かに「マニュアル」が必要ですし、マニュアルを全否定するつもりは毛頭ないのですが、「マニュアルを作ること」が目的になってしまい、作成してしまえば「はいこれで終了!」と、『誰にも読まれない本』を机の脇に放り出しているのが現状であってみると、結局何の意味もない資料を作成するのに多大な時間と金を浪費しているとのそしりも免れません。そして誰もそれを非難しない。
営業においても「電話応対マニュアル」や「接遇マニュアル」というものを準備している会社も多いけれど、実践しなければ何の意味も持たないし、書かれている内容について説明をしたりそれを巡って意見交換をしあう、そういうことがなければ「当社はちゃんとマニュアルを持っています」という会社の『言い訳』や責任逃れにしかならない、ということに気づいている経営者は何人いるのだろう。そもそも携帯電話やパソコン購入時のマニュアルを(個人が独力で)全て読んで全て理解しているなんていう人はこの世の中にいったい何人いるのだろうか。。。無駄な費用をかけて「当社の使用説明書に書いてあるのにその通りに使用しなかった客が悪い」という為のマニュアルって意味があるのだろうか、、従業員がきちんと教育されていれば自然と真心と笑顔で応対できるようになるのでは? そんなことをいつも感じています。
ちなみに、ダスキンの方からいくつかの資料を送付していただいたカバーレターの末尾に、『以上○○の資料送付致しますのでご査収ください。合掌』と書いてあったのですが、違和感よりも、お客様に手を合わすという意味での「合掌」であろう、とその『行間』に好意的に受け取った私です。では来週まで、再見!
皆さんニイハオ、Gongbenです!
昨日抜糸を受けました。20日に怪我をして包帯を巻いた状態だったのですが、順調に推移をしました。先週号のコラムはキーを打つと痛む中で書いたものですが、今週はもう大丈夫、でも内容は「?」です。(汗)実は先週のコラムを書く前、大阪に戻っていたのですが、その際、家内に「いつも帰ってきてはごろごろしてばかりなんだからぁ、たまには洗い物ぐらいしてよね!」と言われ、家内と息子は太極拳とカンフーの練習で、家をあけ、、、そこで親切心を出したのがいけませんでした。「僕が女性だったら絶対してあげるのだけれど、残念ながら僕は男に生まれてきちゃったからねぇ・・・云々」という切り抜け方をするという先輩が居ますが(その人は本当は凄いよい方です)、私は愛妻家というか恐妻家(この中国語ご存知ですよね、皆さんは)ですので、あっさりと引受けてしまいました。昼食に使った食器を洗い、シンクをピカピカに磨きあげ、麦茶のガラスポットがあるのに気付いたのです。キュッキュッと注ぎ口の近くをスポンジでぬぐった途端に右親指に激痛が!!!しまったと思った時にはもう既に時遅し。ざっくりと裂傷を負ってしまいました。直ぐには出血しないのですね、こういう場合には。で、ぱっくり割れた傷口をちょっと左手でいじってみたら、2センチ弱のぎざぎざの傷口からほの白いものが見え、、「ぎゃっ、骨だ!」と思ったのと血が吹き出てきたのとが同時でした(かなり痛そうでしょ?)。実はその昔(小1の時だったです)、小学校で休み時間に野球をしていてホームランを打ち、フェンスを乗り越えてボールをとりに行こう(打った人の責任だった)として、左手をフェンスの上部にかけ、エイヤッと飛び越えた途端、上部処理をしていなかったフェンスの針金が掌に刺さったままだからだが向こうに行ってしまった為に、手の皮が破れて7針も縫う怪我をしたのですが、その時にも骨を見たと思ったら出血して、、とこれはもうデジャビュです。家族は居ないので管理人さんに土曜の午後でも空いている外科病院を紹介してもらったのですが、「救急車を呼んだほうがよいのでは?」の声を聞いて、恥ずかしさもあったので自分の足で近くの駅前にいるタクシーを捕まえ、救急病院に行きました。
腕を心臓よりも高い所に差し上げ、ティッシュでぐるぐるに指を巻いて、親指の付け根部分の血管を圧迫して。幸い、救急患者として扱われた為、待ち時間殆どなしでレントゲンをとり(ガラスが残っていないかを見るそうです)、先生が見てくれました。「こりゃ結構深いねぇ」という先生に、「お願い!12月8日にボーリング大会があるので、それにでられるようにしてください!」と頼んでみると「了ー解」といいつつ、「じゃ、縫合しましょ。ちょっと麻酔打ちます。ちくっとしますよー」と針を傷口に。「うっ」と呻くのは一度で済むと思ったら、これも甘かった。傷口の周りに何度もぶすっぶすっと打つのですね。もっとも何度か呻いたら、その後は薬が効いてきて、痛くも何ともなかった。いやぁ、医学って凄いです。黒い糸で編み上げ靴の靴紐のように傷口を編み上げていく先生は、「ほいほーい」と鼻歌交じりでした。。
そして保険証がないのでほぼ2万円を払い帰宅(歩いて30分!)しましたが、よく考えてみると私の怪我は全て東京でやったものばかりということに気付き、中国では怪我しなかったなぁ、と胸をなでおろしました。でも2万円って高いですよね、人民元だと約1500元ほどですか。。以前北京から成都に出張時の宴会(昼の部です!)に急病(実は過労でしたが)で倒れた時に、成都人民病院に担ぎ込まれて血液検査をして、問診と聴診器をあてるなどしてもらい、最後に点滴を2時間コースで受けたのですが、その時支払ったのはたしか140元ぐらいだったかと思います。保険がきいている値段ですね。もしかしたら以前書いたかもしれませんが、その病院で日本人が来ると言うのはかなり珍しいらしく、点滴を受けるため横になっている私の部屋に、掃除人らしきおばちゃんがやって来て「ズーベンレン?ズーベンレン?(成都の方では日本人:「Ribenren」がこの様に聞こえました)」と質問してくるので、そうそう、と応えるとそのおばちゃん、すぐに部屋をでて、5分ほどすると見知らぬ人をつれて戻って来ました。その友人か知人かわからぬ人がまた私に「ズーベンレン?ズーベンレン?」とやりだす。次は、白い割烹着ではないかと思われる服装のおじいちゃんもやってきて、小半時間もするとなんと私は、総勢9人もの病院関係者か患者さんか判断のつかない人たちに囲まれていました。そこにお客様が宴会を途中で抜けて様子見に来てくれたり、で、点滴の針が抜かれる所まで見ている人もいて、「おーっ」とか「わーっ」とか歓声を上げるのです。絶対に変ですよね・・。でもそんなときの彼らの表情は皆柔和な感じがして、決して不愉快ではなかった、と記憶しています。
もし、日本の病院で、点滴中でも治療中でもよいですが、見知らぬ人たちに取り囲まれ、質問攻めに会ったら、きっと「出て行ってくれーぇ!」と悲鳴とも着かぬ声をあげてしまうかもしれませんが(そんなこと日本では起こり得ませんね・・)、成都の人がよい感じなのか、私の昔のお客さんのうちで、成都の工場が一番・二番を争うほどよいお客様だったから対成都の印象がよいからか、私はなぜかリラックスできました。因みに『点滴』と聞いて「その針は大丈夫かぁ?!」と馬鹿な質問をしてしまったのもその時のことでした。
皆さんニイハオ!Gongbenです。
【交通の便が悪かった時代の『洋行』】
先週ある民放のクイズ番組で、「コロンブス・ペリー・ザビエル・鑑真のうち、一番若くして日本に来たのは誰?」という問題がでました。答えは「ザビエル」でしたが、当時の交通事情などを考えると、さぞかし大変だったことだろうと推測します。時代が明治・大正・昭和と移っても、やはり日本から出るというのは大変なもの。森鴎外や、夏目漱石ら明治大正期の作家や政治化たちが欧米に留学・赴任したことは有名ですが、その頃は交通の便も現在と比して大変に不自由(船旅でとなるとまさに『洋行』と言う言葉がぴったり?)ということもあり、国や企業は大きな期待をかけた人のみを送り出したものでした。また当該者が任地に赴く際には「天下国家のため」という強い思いをもって赴任されたとか。遣隋使・遣唐使の頃とは事情が違っても、やはり洋行をする人、或は外地に出る人というのは本当に「エリート」だったのでしょうね。最近は中南米やアフリカなどは別にしても、大抵の地域にはジェットで一っ飛びでいけるようになり、随分と出張も旅行も楽になってきたものですね。【海外研修制度は採用PR材料に・・】
扠、時代が昭和になり、企業人材の海外派遣も盛んになり、入社して間もない人でも「海外研修生製度」で海外に赴ける、というのは今ではかなりの企業でも行われるようになってきています。また、そういう制度があるということを新卒採用時のPR材料とする企業も多くあります。多くの新入社員の中から選ばれて海外に出てゆくのですから、エリートという表現もあながち間違ってはいないのでしょうね。彼らの派遣先はもともとは欧米でしたが、今ではそれら地域に加え、東南アジアや中近東、中南米など多岐に渡っています。私の友人も中南米にトレーニーとして赴任したら、いきなり現地会社の社長が誘拐されるという事件にまきこまれた、などと当時の話をしてくれましたが、行く先々で様々なドラマが展開されている様です。【海外から帰国後、『即』退社する社員も増加】
会社が「これは」と思った人材を海外に研修にだし、期限が来て日本に戻った彼らに「これから頑張ってもらおう」と思った矢先に「私やめます」と会社に三行半を叩きつけて辞めてしまう人、これって裏切り行為では?と思わないでもありませんが結構多いようです。「自分の赴任先やそこで学んだこととは全く違うことをやらされるぐらいなら『サヨナラ』しよう」と彼をして思わしめるような人材配置をする会社にも問題があるようです。中国研修生が帰国後の配属職場の雰囲気の悪さに辟易して退社、スペイン研修生が帰国後に会社の対応に不満を持って航空業界に転出、といった事例は幾らでもありますし、研修生ではなく業務で赴任していた先から帰国した後に赴任していた時とは全く違う地域、全く違う仕事をせよと言われて嫌気がさして辞め、自分のもといた赴任地にUターンして別の企業に再就職した人もかなりいます。本人の問題では、という場合もありますが、つくづくその企業の人材育成に関する先見性の無さを感じるな、という場合も多々あります。【「ご本人の将来の為」と言う理由で・・】
そういう場合の会社の言い分は概ね『ご本人の将来の為』となりますが、せっかくその国の言葉や習慣、文化を理解し始め、その国の会社の実情もわかり、「さぁ今後の仕事で活用してみよう」と思っている本人の意思に反し、日本国内市場の『企画』とか『マーケティング』(つまりこの会社ではデスクワーク中心に関連部署の連絡役)をやって欲しいといわれ、私のところに相談に来られた「英語とスペイン語ペラペラ・システム営業大好き小姐」は真剣に退社を考えていました。また、ある一大プロジェクトで東南アジアの某国に3年程のプロジェクトの代表として長期駐在をしているゴルゴ13似の方もその国の現地語(これはとっても難しい!普通語では四声ですが、広東語以上に声調が多いらしい)も話せるようになり、法律や経理にも詳しくなり、プロジェクトマネジメントについても勉強しつつある彼ですが、「帰国後ぜんぜん関係のない仕事をやらされるのなら帰らずにこっちに残りたい、それがかなわなくても親元の仕事にだけは戻りたくない」というメールがマイコンで来ます。それにしても外聞きのよい理由をもって本人が見に付けたものとは全く異なることを本人の意思を無視して無理やりに配置してしまうその企業の人材育成方針(方針なのかなぁ?)にはあきれる他ありません。結果として「本人へのリターンは一杯、会社の膨大な投資に対するリターンは『ゼロ』と言う事態」に。【企業への社員のロイヤリティの低下】
昔は会社に就職するからには良くも悪くも会社と一心同体、と会社に対する忠誠心も高かったのですが、最近ではアメリカ式に「会社は従業員の為にあるのではない、株主のためにあるのだ、とばかりに社員の首切や早期退職を本人が「ウン」というまで迫る経営者」に対し自分を守る方が優先というロイヤリティゼロ社員が増え続けています。さまざまな人とお会いし、お話を伺い、ご相談にのっているうちに私にもその彼らの気持ちも判るようになって来ました(私自身、元々はかなり古いタイプの人間でしたが・・)。『若い人が年寄りに給与で勝てる』パッと見はよいが、実は昔に頑張って会社を大きくしてくれた人も年とともに段々とパワーも落ちてくる、それを支えてくれたのは日本式経営のよいところでもあったわけでそういうことは「(先輩社員には)一旦忘れてもらって」近視眼的に今自分の会社の数値だけよくなりゃ実態はどうでもいい、そういう経営者が増えてきているような気が強くします。勿論本当に年だけとって何の貢献もしていない人もいるのですがね。。ですからその辺の兼ね合い、バランスが難しい。何でもかんでもアメリカが正しく日本が間違っているというのは言いすぎだと思うのですが、最近は「退職金なんてあてにならないから、先に給与で貰いたい、嫌になったらバイバイ!という人を増やすための制度」とも陰口をきかれる退職金前払給与制度を採る新入社員も増えています。企業ロイヤリティもさようならです。【そんな経営者ばかりだから・・】
尤も、ドライに割り切って「人の褌で自分の身に着くものを奪えるだけ奪ってあとはサイナラ!」という手法をとって、「騙された会社が馬鹿よ」と思うというのも一つの考え方ですね。「人を育てるのはその職場の責任で、人事はそのお手伝いをするだけですから」という人事には何らのペナルティもなく、職場の長の責任になってしまうのもなんだか変ですが、そこまで気にしていたらいけないのでしょうね。そんなことを考えていると、今後日本の企業の将来がアメリカ追随の失敗で潰れたとしてもアメリカからは「猿真似するからだ」と笑われるだろうし、この十数年の日本企業の経営の失敗の穴埋めに要する時間も結構馬鹿にならないだろう、ああ日本はどこに行くのだろう、と何だか悲しくなってきてしまいました。では再見!
皆さんニイハオ、Gongbenです。
11月初からシドニーに商用で出張していたのですが、なんと会社の情報セキュリティとかのせいで、インタネット接続がままならず、メールもできずに仕事にも影響が出てしまいました。結局その余波で、途夢郷さんにも連絡をできないまま、コラムの原稿も送れずに、お休みをしてしまう羽目になってしまいま
した。 真対不起!【日本人女性会員1800人の韓国人との見合いの会】
さて、本日16日朝のテレビ番組の中で、「ヨン様をみつけよう韓国お見合いツァー」なるものが企画された、という報道をみました。ヨン様というのは、ペッヨンジュンという芸能人本人ではなく、「韓国人夫」をさす言葉になってしまったようです。この際、日本人女性に跪いてプロポーズをしたり、花束を持って参加した韓国人男性たちがいた、と報道されていました。ずいぶん日本人女性がちやほやされた様で、きっとホイホイと結婚に同意する思慮の浅い女性もたくさんいたのだろうと思って続きをみていたら、「ヨン様とは似ても似つかぬ人ばかり」っとがっかりする女性の方が多かったとか。。実は設立当初は十数人の会員だったのが、今では何と1800人を越える会員を擁する組織になったそうです。まさに韓国ブームです。【北京で「韓国人みたい」という表現の意味】
実は、何年か前北京出張の際に、「韓国人みたい」という表現に遭遇したことがあります。その女性事務所員は日本語がとても上手な美人で、どんな内容でも大抵はすぐに通訳(時には同通も!)してくれる彼女を目当てに出張してくる部課長が結構いたのですが、オフの際に日本人同士でちょっとした女性談義をしていたところ、「×○さんって韓国人みた〜い」という声が聞こえて来、振り向くとそこにはむすっとした彼女の仏頂面・・・。一同唖然としていましたが、「Shenme Yisi?」と聞き返した私に「韓国人=好色」です、という漢族の彼女はそれだけいって部屋からぷいっと出て行ってしまいました。どうも北京では韓国人は歓迎されていないということをその後何度となく聞かされました。一方上海や天津では韓国人好きが多いということも
私の駐在中によくききました。【「冬のソナタ」による韓国ブーム】
あの「冬のソナタ」とかいうメロドラマ(というよりもソープもの?)以来韓国ブームが盛り上がったようです。ペッヨンジュンというなよなよとした主人公(そういえば「ハリーポッター」の映画もルックスは女性的でしたね。最近の日本人女性はどうも男っぽい骨太の人には憧れないようです??)に憧れる女性たち(若い人からいい年をした「おばはん」まで)をみていると、何だかあきれてしまいます。わが愚妻も実はあのテレビを楽しみにしていますが、息子と私は、「ママって馬鹿みたい」、「早く終われ早く終われ」、「あ〜男の癖に泣き虫だ!」とチラッとは見ながらも完全無視状態。その時間だけは家族の輪が切れています。【軽薄じゃないの?】
本当に韓国が好きになっているのか、「冬のソナタ」のペヨンジュンをみて韓国人が好きになったのか、いやベッカム「様」に続く、浅薄なマスコミの「様」づけ報道にのせられた軽い日本人女性が見てくれだけを見て韓国人が好きになったのか、、、。これは難しい問題かもしれない。私は、調子よいマスコミに乗せられのぼせ上がっているだけだと信じたいですね。ちょっとマスコミも軽率、載せられる女性も軽薄、そんな気がしています。【「韓流(Han2Liu2)」は「漢流(Han4Liu2)」の二番煎じ?】
「かんりゅう」、その言葉を聴いて実は私は「漢流」をすぐに思い出しましたが、これには訳があります。2000年末に北京に駐在初期に、あるレストランで抽選会が開かれ、当ったCDのタイトルが「漢流」だったのですが日本で「韓流」という言葉が作られたのは私が帰国してからのことです。もしかしたら、目ざといマスコミのことですから、それをもじったのではないか、安易な新語だなぁ、、などと思っていますが、私の目からすれば、オリジナルな言葉ではないように思ってしまいます。それだけに「カンリュー、カンリュー」と浮かれているマスコミには苦笑してしまいます。一度これを煽り立てているマスコミの当事者たちの意見を聞いてみたいと思っています。【え、あの人も?】
二ヶ月ほど前、ある芸能関係に詳しい方とお食事をする機会があり、「最近日本は韓国人芸能人ブームですねぇ。まったく馬鹿みたいに騒いでいるが、」という話題になりました。そのときに彼いわく、「昔から芸能界でもスポーツ界でも名前を変えたり国籍を隠して活躍している韓国人・朝鮮人は多いのですよ。別に今に始まったわけでもないですよ」といいながらたくさんの事例を教えてくれました。美空ひばりとか金井克子、力道山、張本勲夫、新浦(元読売の投手)さんといったところは昔から有名でしたが、そのほかにもF社のパソコンやANA、ウィダーなどのテレビCMに出ている歌謡グループの(実態はコミックバンド)K、その婦人でたかの友梨のCFソングを歌っている元歌手(今もかな)、映画「ピーターパン」で二声吹き替えや風の谷のナウシカの主題歌を歌って今も元気に活躍しているYSといったところが私の記憶に残っています。桂銀淑さんは「かつらぎんしゅく」という落語家がしゃれで歌を歌っていると思ったら、バリバリだったというのも元気の方の一方。それに引き換え、最近は男性でも女性でも日本人歌手、芸能人で本当にいい人うまい人が出てこないのがなんとも寂しい限りです。加油(Jia1You2:頑張れ)日本人!では来週まで再見!
Gongbenです。みなさんニイハオ!
先ずもって、新潟県中越地震で、被災された皆様に心よりお悔やみ申し上げます。この23日の土曜日の夕方、私は両親の実家のある越谷市(埼玉県)におり、父のパソコンの調子が悪いとのことで、父と一緒に修理に当たっていました(まあこれも70歳を越した父への親孝行の一つですが・・)。何か自分が揺れているような気がし、月曜から引いていた風邪のせいでふらついているのかな、と思った刹那、ぐらぐらっと家(築後三十数年のあばら家です)がゆれだし、「地震だ!」っと私が叫んだ瞬間に、机の前の書棚にいれてあった14インチのテレビが棚から落下してしまいました。すぐに母が一人でいた階下に降りてテレビをオンにし、NHKに入れたところ、臨時ニュースのテロップが流れ、報道番組に切り替わりました。各地の震度情報では、越谷周辺は震度3となっていましたが、「あれは震度5はあったよねぇ。棚からものが落下するのだから」などと話し合っていたところ、再び余震がきて、次のテロップでは、越谷あたりでは震度4となっていました。「二発目の揺れが震度4なら絶対に最初の方が揺れていたはず、どう考えても震度5或は震度4強だ」と我が家内部では意思統一。「それにしても新潟の方大丈夫かねぇ。一度目だけでも十分に大きいけど、大きい余震が続くと大惨事に成るぞ」などと言いながら目はテレビ報道に釘付けでした。
家内の実家のある能登半島の珠洲市(石川県)地方では、初回の震度が5と出ていたので、心配になり、実家の電話を回してみても「ただいまこの地域は電話が混雑していて繋がりにくい状況です」というNTTの案内がながれたり、繋がって呼び鈴がなっても、誰も出ない・・・もしや家屋が倒壊して、両親が下敷きになって、電話だけがなり続けているのでは、、、と気が気ではなく、家内に電話をかけて「関東からは繋がりにくい。携帯から、それでもダメなら隣のマンションの公衆電話を使って連絡を取れ、同時に金沢の妹さん夫婦にも電話をしてそちらは大丈夫か、確認しろ」と頼み待つこと半時間。漸く、家内から「両親は金沢の妹夫婦の所にたまたま泊りがけで遊びにきていたので両方とも無事だった」と連絡が入り、今回被災された皆様には大変不謹慎な表現ですが、一先ずほっと胸をなでおろした私でした。
地震発生が17時56分(マグニチュード6.8)、59分(M5.3)、18時3分(M6.3)、7分(M5.7)、11分(M6.0)、34分(M6.5)と、テレビ各局の報道番組の時間であったこともあり、つぎつぎと飛び込んでくる被害の広がりに、あの、阪神大震災(95年1月17日未明)の時の被害の拡がりを感じてしまい、その際に、飛行機の中で知り合って以来お友達になった日本航空のシニアチーフパーサーの方や、スチュワーデスさんが倫敦やケアンズからわざわざ国際電話を頂いて心配して頂いたことを思い出し、海外で知り合いになった日本人の方で、甲信越出身の方が居らっしゃらなかったかな、と思い出しながら、立て続けにメールを送信してしまいました。幸い、北京で旅行会社に勤めながら、現地の方と結婚され、とても可愛い息子さんをご出産された方からは、実家は山梨で、かなり激しく揺れたけど、みな無事でした、といったメールが多く、こちらも一安心。関東地方には東北や北陸ご出身の方も多いので、このメールマガジンの編集人をなさっている途夢郷さんにもメールを差し上げましたが、奥様のご実家が同地方にあるとのことで、さぞかしご心配のことだと思います。また、途夢郷さんによると、よくTIPSをお寄せいただいているMさんが長岡市にご在住とのことで、ご無事でしょうか、大変心配を致しております。
扠、普段私はマスコミの浅薄な対応や分析、身勝手な報道姿勢について不信感を強く持っていましたが、こういう大事件・大災害が発生した時にはやはり報道機関というのは頼りになるものだな、チャンネルがいくつもあるのは角度を変えて同一事件を捉えることができて便利だな、と今回非常に強く感じました。最もテレビ東京では「秋の日本列島どんぶり旅」などというノー天気な番組を流し続け、私は心の中で「なんと非常識な放送局!」とばってんマークをつけてしまいまいしたが。。。特に、NHKは、海老沢会長のNHK私物化・職員の不正など問題が山積みではあるものの、今回いち早く報道をし、報道特番を流し続け、教育テレビとFM放送を使い「被災者へのメッセージ」放送をするなど、公共の報道機関としての面目を一新したような気がします。海外にいてもこういうときに一番頼りになるのは、NHKの衛星放送などだと思います。
今回の地震発生から三日目の夜になる今(25日深夜起稿)、26人が亡くなられ、更にご家族3名が行方不明との報道が先ほど入りましたが、雨が降り始め、寒さも一層厳しくなる中で、暖かい家で夜を過ごせずに車やテントで余震の不安がまだ残っている被災地の皆様が一日も早く安心できるようになることを心よりお祈り申し上げます。このメールマガジン読者の皆さんも何でもよいですので何か一つ被災地の皆さんにしてあげられることがないか、考えてみていただけませんか?新潟県災害対策本部出納部というところに不要な毛布や「ほっかいろ」の様なものを送付する動きをメルマガの読者が団結してとれないでしょうか?私は少ないながらも早速明日にでもネスカフェの空瓶に入っている(本来は大阪に帰るときに息子にあげるお小遣い用に貯めていたものですが)小銭の塊りを義捐金として送付手続をとるつもりです。
中国では昔唐山地震という凄い地震がありましたが、小泉さんのお陰でギクシャクしている日中関係があるものの、民間レベルで日本海を越えて皆で支えあえれば、と思います。今回は、西武の12年ぶりの優勝について書きたかったのですが、敢えてそれを見送り、今回の地震に関する内容にしてしまいました。
では来週まで再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
この週末、またまたパリーグのプレーオフ第二ステージは盛り上がりましたね。ダイエーも、西武も最後の最後まで本当に頑張って死闘を展開してくれました。私は札束で選手の顔をパシパシとやる西武は余り好きではないので、ダイエーに最後の花(もしかしたら来期はダイエーがなくなるかも知れませんので)を飾って欲しかったのですが、敗れた王監督が優勝監督の伊藤さんのところに自分の方から握手をしに行った姿は凄く印象的でしたし、インタビューを受けた伊藤監督も相手を小馬鹿にしたようなニヤニヤ顔ではなく、本当に嬉しいというのが良く伝わってきました。 これから中日と日本一をかけて戦うことになるのですが、野球は読売のセリーグよりもパリーグの方がドラマティックだと感じさせてくれた日本ハムやダイエーの選手たちの願いも込めて今回は西武を応援したいなと思っています。さて、10月6日の第269号私のコラム(あるアメリカ帰りの『営業』課長)の書き出し部分で、テレビ朝日のサンデープロジェクトに関しての記述をさらっと書きました。「日本を嫌いだという中国人が6割もいるというリサーチ」と。。この調査とは、中国の人の意見というよりも上海の調査だけの結果(一応上海での調査結果とは断りを入れていましたが)であり、決して中国全土での、或は主要地域での調査結果ではないのです。テレビ朝日のというよりはその際の出席者の調査ですが、なんとも浅い調査だなぁと思ってしまいました。私の否定する、「どこかの都市だけをみて全中国という物事の捉え方」の浅薄さに呆れたという方が正しいかもしれません。
小泉首相の靖国参拝の固持という姿勢に対して快く思っていない中国の人が多いことは事実で、銀座のクラブに働く女子大生たち(20歳〜26歳)に聞いてみても、それは快く思ってはいないのですが、日本が嫌いかときくと、嫌いなところもあるけれど、来てみてよかったところもいっぱいある、との意見もでました(私の情報網はこの辺の小姐たちからの情報も結構あるのがばれてしまいそうですね!)。ただし、一つだけ私の北京駐在時代に上海の友人から聞いた言葉が記憶に残っています。それは、「上海に居る日本人は嫌われています。彼らは中国人に対して尊大な態度をとる人が多いです。大阪弁でまくりたてて、柄の悪い人も沢山いるですね。なぜあんなに偉そうな口の利き方をこちらの人に対してするですか?私たちには理解できないよ。北京の日本人と上海の日本人は全く別人みたいだ。」という発言です。
北京上海広州はおろか、西方地域や東北地区によく出張で出かける私の友人からも、「上海では日本人を嫌う人が多いので気をつけてくださいね」と赴任当初に一緒に上海に出張した際にぽろっとアドバイスを受けました。「何故?」という私に対する彼の言葉は大阪出身の私にとってはショックでした。「北京には大企業からの駐在員が多いですし、政治の中心地ということもあり、日本人はそれなりに相手の国に対して敬意を持って接する人がおおいのですが、上海にはまともな人もいるけれど、日本で食い上げてやって来た、所謂『裸一貫』でやってきた人がぎりぎりの状態で生活をしていたり、大阪のヤクザが人身売買のために来ていたりしていてぎらついているから、と言うのが主要な理由ですかねぇ。日本人学校でも生徒のタイプが違うみたいということを言われたこともあります。」・・・
大阪ってそんな目でみられてるんや、いややなぁ・・・というのが最初に感じたこと、です。確かにいい人も多いですが、北京の町並みを歩いていて、百貨商場を散策していてもあまり異様な人は見かけませんでした(あまり、と書いたのは、デパートや超級市場で若い女性を泣かせていたりする不貞の輩を見かけたこともあるので・・)。上海に駐在していらっしゃる駐在員の皆さんや留学生の皆さん、上海では6割の人が反日感情を持っているというデータが正しい、間違っているの議論は別にして、言動には気をつけてくださいね。
魔都上海と言われる上海ですが、ぼ〜っとしていて、「カラオケ行きましょう!」「綺麗な小姐居ますよ」という呼び込みの言葉に騙されて身ぐるみはがれた人が多いのも上海、そんな中では注意をすることは大事ですが、『触るな下郎!』的な態度は禁物ですね。そして、中国各地にいらっしゃる皆さんに・・・皆さんは日本の企業や学校を代表して来られているのですから、あくまでも中国の人から見たら外国人であり、皆さん個人個人の言動は即そのまま「日本或は日本人の発言」となってしまいますよね。日中友好を目指しているのではなく、いやいや来ている方もいらっしゃるかもしれません。でも、少しでも中国の中に溶け込む努力をして戴きたいものだと思います(それは決して小姐を買うなんてことではなく!)。
でもあまり硬っ苦しく考えることは要りません。皆さん一人一人が『自分は日本を代表して来ている、自分の会社や学校を代表している』という認識を忘れなければ、「ああこんなことは言っては、してはいけないな」という『常識』が働いて皆さんの言動に修正をかけてくれる、私はそう信じたいと思っています。
PS:今回もしつこいです・・・『我愛NI中国』のCDどなかたお持ちではありませんかぁ・・お譲りくださ〜い
では、また来週まで、再見!
皆さんニイハオ、Gongbenです。
3日のサンデープロジェクトで、日本を嫌いだという中国人が6割もいるというリサーチ結果を見せながら、悪いのは「中国人」、と決め付ける番組があり、東京都知事の石原慎太郎氏が、「支那人たちは・・・」と発言し、司会の田原総一郎にたしなめられると「この表現は、中国人への尊称だと中国人に怒られた」と開き直っていた。
私は、大学のころから、別に支那というのは英語ではチャイナ、フランス語でもシノワーですし、仏領インドシナや東シナ海も、そして支那そば(特に屋台引いてきてうってくれるのは大好物!)という言葉にも大して違和感を感じておらず、中国から差別だと言われることには「変だな、余計なことを言ってくる国だなぁ」と思っていたくらいですが、石原慎太郎氏が『敢えて』使うとそこには不自然さ、「俺の意見になんでも反対する中国め!」という怨嗟感が溢れているように感じ、不快感がありました。
でもでも、この10月最初の土日曜は、プロ野球パリーグのプレーオフのシーソーゲーム、イチロー君のメジャーリーグ一シーズン最多安打記録達成と、テレビの前で釘付けになって、大声で「ヤッター!」の連発で、少々疲れ気味の週明けを迎えています。
九回の裏のさよなら本塁打でダイエーとの決戦に進めなかった日本ハムの選手の皆さん、そして、新庄、ありがとう!大記録達成のイチロー、おめでとう!そして、何よりもまず阪神のバースや近鉄のローズ(どちらも当時)が王貞治の本塁打記録を抜かんという時には敬遠策など汚い手を使った日本ですが、そんなこともせず、イチローと真っ向勝負をしてくれたテキサスの選手たち、応援してくれたアメリカのファンの皆さん、フェアプレーをありがとう!
さて、前置きがながくなりましたが、今回は、ある会社のアメリカ帰りの営業課長さんのお話です。
先週、あるプロジェクトの関係でオーストラリアから来たお客様と愛知県で会議をするため二泊三日の出張をしてきました。大量の英文入札資料を約一ヶ月前に入手し、その日の会議となったのですが、会議中に話をしているのは、お客様と工場の技術課長、私の三人だけで、工場から出席しているアメリカ帰りの営業課長が会議に参加できていない。
「?」と思いつつよ〜く見ていると「書類○○には、こういう制限があるのでちょっと難しいなぁ・・どう対応しようかなぁ」というお客様の発言に技術課長が、「ああ、あそこですね」と即座に応対、それに対して件のアメリカ帰りで英語には自信がありという営業課長の態度は『ん?それはどこのことだろうか・・・・・・』と、質問するわけにはいかないので、手元の英文資料を前にいったり後ろにいったりと、指がその文言を探しまくっている!
「お、こいつ読んでいないじゃないか!」とムカッとして、「でもそれについてはその後ろで、××の場合はその限りではないという記述があったでしょう?だから無視してもよいかと思います。第△×条第×○項です。」というと、今度はその課長、「第△×条第×○項ってどこだ?」と必死でその項目を探している・・・
昼食の時間が近づくと、件の課長は「GongbenさんPianGuさん(ピングーではないです)。これから彼と『二人で』昼食に行きますので、午後は×時からスタートということでどうでしょうか?」と、もう昼食をどこで食べるか、何を食べるか、ということに全神経を集中させていらっしゃるご様子。そして二人だけで、会議場を離れました。
主役である技術の課長を放ったらかしにしておいてお客様からは「今回はあまり時間もないし、腎臓が悪いので簡単なもので済ましたい、といっているのだが、彼はイタリアンを食べたいそうで、これから少し席を外します。ごめん」と言われてしまい、何か変な感じです。
一晩だけ、件の営業課長が「別件で超有名ホテルにいくので一緒に食事を」と言われて、お客様と食事をしました。「今回の会議にあたり、技術課長は彼の上司のために必死で図書を初歩訳し、その中で彼が判らない所には私が注釈をつけ40頁程にした要約と、今回提出すべき資料のポイントをエクセルで500行(A3縮小して6頁)にまとめたものを彼の上司、私の上司(どちらも英語だめ)とともに営業課長さんにも渡してありましたので、せめてこの日本語の凝縮版だけでも読んでくれているとおもったのですが、その形跡がまったくない」と切り出したら、「彼の英語は悪くはない(私からするとまだまだと思うのです)が、最低限図書ぐらいは読み込んでいないとねぇ」という返事が返ってきまし
た。(おかげでお客様と技術課長、私は極めて仲良くなり、かなり話を詰めることができました)当社の場合、英語がまるでだめな人もかなり多く駐在或は出向という形で欧米をはじめ世界各国に出ています。が、その故にか、英語を使って営業活動するのは現地人で十分「我々は彼らにはできないマーケティングや企画をするのがミッション」等と、ますます英語を使わずにすむ環境に自らをおき、昼食・カラオケ、ゴルフは日本人だけで、という人が多いのです(他社にも多いらしいです!嘆いていた現地人の声あり)。
そういう方が日本に帰ってくると、「僕はアメリカに××年もいた」とそれをひけらかす。キャノンの御手洗社長のように米国は米国、日本は日本と割り切れる人、また、駐在の間に自分を磨いた方も多数いらっしゃっることも事実ですが、どうも、島国根性丸出しの日本人が陥りやすいところのような気がします。
欧米に比べ、アジアへの出向駐在者などは、その辺がもう少しくマイルドですが、やはり現場に溶け込めなかった人ほど帰国後には海外駐在をひけらかす傾向が残ります。私もそういった海外駐在経験者、そういう風にならぬよう自戒しつつ、今後のビジネスに活かしてゆきたいものです。
本日からその営業課長は私の上司と現地入りします。今までは単品の売買しかした経験しかなく、今回のようなプロジェクトについてもそのトータル概念を把握しているわけでもなく、何らかの分析資料や日本側からの提言を持っていくわけでもなく、『手ぶら』で。。。
あまりに危なっかしいので「私の上司」にだけは、現地人社員も出る為英文で説明資料をつけ、要求内容を列挙し、日本人の社長・部長(一応英語は可)に対しては、より判りやすいように日本語の解説をつけた英日語版の資料を手渡してしまいました。これなら○ドメ(まるでドメスティック:完全な海外音痴)にも、そしてプロジェクトビジネスを推進したことのない現地子会社の社長にも理解できるだろうと願いつつ・・・
では来週まで再見!
みなさんニイハオ!Gongbenです。
前回のNHKの番組に関し、松村田さんからメールをいただきました、「その番組、再放送だよ〜」って。。。知りませんでした(汗・・・)NHKも色々悪口を言われたり、会長の不祥事とか悪い評判も多いですが、やはりよいドキュメンタリーを沢山制作しているというのも事実ですよね。再放送でも感動しました。
【久々のコンサートに酔ったGongben】
扠、少し昔に遡りますが、9月8日の夜、上野の奏楽堂(その昔滝廉太郎がここで『荒城の月』を作曲したのでは、という話も伺いました)に文部科学省の合唱団コール・アペのコンサートを聴きにゆきました。コール・アペのアペとは蜂のフランス語なのですが、文部省ということで「ぶんぶん」から発展させて命名されたと伺いました(お役人にも粋な方もいらっしゃるものです)。
別に文部科学省に知人がいるのではなく、私が毎日単身赴任の栄養補給によく行く天婦羅屋の親父さんが団長を勤めているグリークラブ「秀声会」の方々が、そこに友情出演をするというので、親父さんと、常連客のおじ様に招かれて行った訳です。(只です。私だけでなく皆さん全員!)
【愛唱歌・教科書採用曲にもなった宮崎俊の「君を乗せて」】
演奏された楽曲は、「ビリーブ」、「君を乗せて(宮崎俊の映画のテーマ曲)」「涙君さよなら」、「ちいさい秋見つけた」等の愛唱歌、小中学校の音楽の教科書にあるような曲が中心で、その他に「朔太郎四つの詩」や「落葉松」、「北陸にて」などとてもよい歌がたくさん入っていました。びっくりしたのは、昔むかし、フォークソングの「バラが咲いた」が教科書に採用されたと記憶していますが、今では、杉本竜一の「ビリーブ」も、「君を乗せて」も教科書に採用されているということで、私の小さい時の教科書とは随分様変わりした感がします。
【Gongbenに音楽は似合わないかもしれませんが・・】
少しく私の音楽とのからみを紹介してしまいましょう。。。 昔、幼稚園の時に先生がお昼寝の音楽にオルガンを弾いてくれたのに端を発し、ピアノを習わせてもらっていたことや、中学ではブラスバンドにいた(小太鼓と指揮でした)関係で、チャンスがあればN響(NHK交響楽団)等のコンサートに出かけたり、浦高時代には音楽の臨時教師(太田まり子さんというとっても美人の音大生でした)と二人で館野泉のピアノコンサートにデート気分で出かけたり、上智時代にはグリークラブの友人やマンドリンクラブの彼女に誘われて、彼女の好きだった赤いバラの花を探して新宿まで足を伸ばして楽屋に花束をとどけるといったほのぼのというか、ふんわかムードも楽しみました。会社員になってからも大阪時代には、大フィル(大阪フィルハーモニー管弦楽団)の定期演奏会などに毎回駆けつけていました(会社がスポンサーであったこともあり、チケットの入手が容易でした)。
【ホテルのロビーで鳥肌を立てたGongben】
北京駐在時代には、毎週週末に、中国大飯店のロビーで、合唱や、交響楽、ピアノ三重奏などのイベントがあり、息子に生の音楽を聞かせるのによいチャンス、とばかりによく出かけてはコーヒーを飲みながら、私は音楽に耳を傾け、息子は草苺(Zaomei)のアイスクリームにつられて食べるのに一所懸命でしたが、きっと何かを感じてくれたことと信じています(親ばかかもしれませんが・・)。
よい音楽を聴くと、鳥肌が立つんですよね。中国大飯店でも立ちましたよ。でも、息子の幼稚園や日本人学校の発表会の時に精一杯声を出して歌っている子供達の一途さにもまたまた鳥肌を立ててしまいました。親ばかというより、そういう新鮮な感動を味わったと理解してくださいね。
【ロックに押されているクラシック】
さて、日本に帰ってからは、誘ってくれる人もなく(ここの職場では部門長からしてロックが好きな人で、クラシックには縁もゆかりもないさびしい職場です、本当!)久々に聞く音楽会で、一時間半ほどを夢見心地ですごしました(演奏の上手下手はこの際不問!でも天婦羅屋さんの男声合唱団は、銀賞をとったりするほどの団体で、さすがでしたよ:このホーム頁をマスターが見る可能性がある!)。
【アイラブユー、チャイナ(中国、私の愛する祖国、とでも訳すのかな)】
このコンサートの翌日、メンバーの方とお会いする機会がありましたが、次回には、北京で一番感動した声楽曲「我愛(イ尓)中国(I love you China)」を歌ってほしいものだと提案したところ、CDか何かないですかと聞かれました。
二年前、北京中国大飯店のロビーでこの曲を聞いてまたしても鳥肌が立ち、演奏終了後に歌を歌っていたテノールとソプラノ歌手たちに接近し、「今のあの曲のタイトルと作曲家を教えて欲しい」と申し出たら、笑顔とともに気軽に教えてくれたのですが、作曲家名は失念してしまいました。
その夜、酒バーに立ち寄り、小姐たちにこの曲の一部分を歌ってあげたところ、ある西安出身の小姐(家内が実際に彼女を見て「あの娘さんは感じがいいわね」とその店への出入りに関してお墨付きをもらいました)が、北京市内の10軒以上のCD屋さんに足を運んだ挙に「CDがなかったの、カセットテープで漸く一本見つけたわ」と嬉しそうにニコニコしながらそのテープを私にくれました。彼女の好意で、免費(Mianfei:只のこと)にてプレゼントしてもらいました。それにしても交通費やテープの購入代(海賊版ではありませんでした)も馬鹿にならないだろうし、もっとも嬉しかったのは貴重な時間を割いてくれたことでした。
【お気に入りのテープが引越しのドサクサで・・】
古典的な曲で、有名ではあるのですが、流行のポップスのように数が出ないのでCD化されていないのだろうと彼女が言ってました。コマーシャリズムですねぇ(苦笑)。でも彼女には大変に申し訳ないのですが、日本帰国の荷造りの際にこのテープ、紛失してしまったみたいで、今は手元にありません。(家内の能登の実家の蔵の中に眠っている「当座不用品」の箱の中にもしかしたらあるのかもしれませんが、探し出すのも容易ではありません。)
【私の切なるお願いをかなえてください】
そこで、このコラムを通じてもし、どなたか「Wo ai ni Zhongguo」のCDを入手いただけませんでしょうか?勿論、御代は何とかしてお支払いしたいと思います。Gongbenの是までのコラムで最初のお願いです。テープでも結構ですが、やはりCDが欲しいなと思っています。。「お礼も欲しい」ですって?いいですよ、何でもしちゃいましょう。とにかく今は、このスメタナの「我が祖国」の中国版の「我愛(イ尓)中国」がのどから手が出るくらい欲しいのです。
少し長くなってしまいました。ではではまた来週!
吉報お待ちしていますぅ!***********************************
【途夢のコメント】今回のGongbenさんの内容にも関連しますが、昨晩は広州の天河体育館で行われた女子十二楽坊のコンサートに行って来ました、、、って、実は、このメルマガを編集している時点では、まだコンサートに行く前なので、感想は後ほど!
ところで、Gongbenさんの文中に出てきた松村田さんのお便りですが、以下の通りとなります。
***********************************途夢郷さん、Gongbenさん、ニーハオ
松村田です。私もNHKの番組見ましたけど、見たのは2回目ですよ、再放送!多分NHKは、寄付の申し出を無視した、というか戸惑ったのかも?
・・・莫邦富さんが、『日本人よ、日本企業よ、驕ることなかれ』と警鐘を鳴らし続けている。・・・と言っている事に関しては全く同感です。返す言葉はありません。これに関係して、ずっと感じている事が有ります。それは、日本の衛星ロケットの打ち上げ失敗が続いた事(今も続いていますが)。その失敗の原因を新聞などで読み、それがあまりにも初歩的なミスで失敗したのを知る
たびに、本当にこれがあの技術立国の日本ですか、と・・・・非常に落胆しています。間違い無く、かなり技術が落ちているんですね。ここにひとつ私が聞いた話が有ります。ある機械を据付けてもらった人の話です。長さ15mほどの大型乾燥機なんですが、三日間かけてやっと設置してもらったそうですが、スイッチを入れても全く動きませんでした。おかしいなと思って周りを調べて見たらなんと、機械が10センチも傾いて完全に歪んでいたそうです。もし間違って動いていたら、と思うとぞっとすると話していました。
設置の指揮を取ったのはメーカーの(ばか)息子。一応東京の有名私立大学卒業ですよ。後から聞いた話では、こいつ、中国に来た目的は仕事ではなく小姐だったそうです。日本にいるときから小姐に狂ってしまって中国に行く理由を見つけていたそうです。・・・・こんな日本人が増えてますよ。感じませんか?
また、視察とか見学とかは完全な名目で目的は夜・・・この手の日本人団体がなんと多いことか。堕落して落ちるところまで落ちるのではないでしょうかこの国は。まさに共産党の思うつぼ、江沢民のほくそえみ「没有共産党就没有新中国」ではなく「没有日本人就没有共産党」ですね。
Gongbenです。皆さんニイハオ!
この週末にNHK衛星第一で、とてもよい番組が放映されていました。題して『日本に来てはみたけれど・中国人就学生寮の1年』。「西尾久寮」という東京都荒川区の都電沿線にある中国人就学生専門の寮があるということはこのテレビ放送ではじめて知りました。
彼ら中国人留学生は、日本に来るに際しては親族から金を集めてやってきます。経済的成功を収めるという目的のために。。。就学生として日本に滞在できる期間は僅か2年。希望に燃えて日本にやってきても、大変な苦労をしている人がとても多いこと。カメラは、そこで暮らす就学生らのそんな苦労、詐欺師にだまされたり、外国人(中国人?)という理由だけで、警戒されてアルバイトを探すのにも苦労しているという就学生たちを追い続けます。そして、入国管理局による在留資格審査の強化が突然始まって、寮生は47人から半減したそうです。
劉さんという女性は、大学の受験にも合格し、奨学金ももらえることになった、それで、中国の実家に合格したことを電話で伝えたところ、父親が電話口に出たお母さんにも代わってほしいな、と伝えます。 父親は、受話器のむこうで、「母さんはいない。外出している・・・」と歯切れの悪い応答をし、変だなと思っていたら、後刻、父親から電話があり、母が半年前に逝っていたことを突然明かされるという意外な展開に。。。
「な、なんで私に知らせてくれなかったの・・」と、泣き崩れながらも父を責める劉さんに父親は、「お前に知らせなかったのは、それで勉強が手につかなくなってはと思ったから・・・」と伝える。一人娘の日本の大学受験の成功のために、金を工面し、そして母親の死をも告げられなかったこの父親の胸中は本当につらかったのだろう、と私は画面をみながら、もらい涙してしまいました(涙腺は弱いほうで、二時間ドラマを見ていても最後のエンディングなどでは家内に「やぁ!パパまた泣いてる!」と冷かされることがよくあります)。
そして、呉さんと徐さんという二人の男性も紹介されていました。徐さんは、待ちに待ったビザが取れ、これからというときに、この西尾久寮を解体してマンションに作り変えるので、寮を出るようにと通告され、他のマンションやアパートに出ろといわれても、敷金礼金などで20万円(こんなに安いということは、あまり上等な家ではなさそうですが?)もかかってしまうし、アパート代だって苦しい、もう少しだけせめて受験が済むまでと管理人に交渉にゆき、等々最後には管理人と怒鳴りあいになってしまい、数日後、彼は退寮することを決断しました。
彼が小型のかばん二つをもってバスに乗って去る姿、そして寮生らと一緒に対話をしているときにふと口にした言葉「受験まであと半年、いったいどうしたらいいんだ・・・」が印象的でした。新しい生活環境に慣れるのも大変、そして一人で出て行ったということは、他の同居人がいればともかく、単身赴任の私と同じように食事や掃除洗濯といった家事も自分でしないとならないでしょうから、勉強をする時間もそれだけ短くなってしまいます。彼だけでなく、残された就学生たちもまもなく退寮を強く迫られるようになるでしょう。
若いときには苦労は買ってでもしろ、とはいいますが、彼らの苦労は大変なもので(いまどきの日本人の若いあんちゃんねえちゃんにはきっとそんな苦労なんかしたくない、と早々とあきらめるのでしょうが)、勉強をする場として日本を選んでくれた彼らに、日本は、そして日本人は何をしてあげられるのでしょうか。
私は、その番組を見た直後に、感動していたこともあり、調子に乗ってNHKのホーム頁にアクセスし、少しだけだが資金援助をしたい、と申し出たのですが、NHKからは無視されてしまいました(もしかしたらこの番組の後にやっていた北朝鮮のマスゲームを礼賛するような内容の番組に対する批判も一緒に書いたからNHKが怒っているのかなぁ・・とも思っています)。
最近というか、少し前になりますが日本の報道で、中国人の犯罪が急増しているということをこぞって書きたてていたことがありますが、こういった報道が、就学生たちのアルバイト探しを難しくしていることも否めないと思います。
実際には中国からの入国者は近年急に増えているから目立つのであって、南北朝鮮人の犯罪の数量と実数で比べているのではなく、単に急増しているということで、0人から1人になって、それが10人になると「十倍になった、急増した」という書き方もできる訳ですよね。
浜松町のカレーショップで昼食をとることが多かった私ですが、大連からきた王君という好男子がいましたがその彼を雇っている店長さんが「彼は大変ですよ。朝のうちは勉強、昼食時間はここで3時までバイトし、夕方から夜にかけては別のレストランでまたバイト。勉強する時間はねる時間を惜しんでやっている。日本の若者だったらきっとこんな苦労をしてまで勉強したくないや、と早々と学業をあきらめてしまうだろうねぇ」とおっしゃっていました。
本当に中国の人は学習熱心ですし、向上心に燃えている人が多いですね。少しは日本人も見習わないといけないと思ってしまいます。日本から駐在にきていても毎日三時まで仕事をしたらその後はゴルフにでかけ、カラオケに行ってから帰宅する、そんな姿を見て中国の人たちはどのように感じているのでしょうか。
莫邦富さんが、「昔の日本人の熱心に働く姿、仕事に情熱を傾けてワイシャツを着たままパイプの中にもぐりこんで、汚れはないか、を探したあの日本人の姿を見て私は日本ファンになった」と私に語ってくれたことは以前ご紹介しているかもしれませんが、その彼が最近の日本人の堕落ぶりをみて、そして傲慢になってしまった日本企業をみて、『日本人よ、日本企業よ、驕ることなかれ』と警鐘を鳴らし続けていますが、誰か彼のその言葉に反論できる人がいるだろうか・・・ 少しじっくりと考えてみたいと思います。
Gongbenですニイハオ!
前回の「爽やかアテネと異様だった北京」の中で、韓国人選手の態度についての所感を書いた部分がありましたが、これに対する松村田さんからの感想を戴きました。ちょっと反韓国の色が強すぎたかな、と思いつつこわごわ読んでみたのですが、書きにくいことをよく書いてくれた、との励ましの内容で、ホッと致しました。「反対でも、賛成でも、反応があるということは物書きにとっては嬉しいこと。無視されるのが一番がっかり」、とはあの莫邦富さんもよく私にお話くださったことです。
今回も、韓国の核疑惑、北の不可解な爆発事件(対岸の中国側では爆発音を聞いた方がいない模様、とは昨夜のテレビ報道での女性レポーターのコメントでした)に関連して、六カ国首脳会議のお話でも書こうかと、思った(ネタはごろごろありますね)のですが、ちょっと方向を変えて私の最近の健康についてかいてみたくなりました。
【2004年春: 在品川駅東口広場の段差】ベトナムに出張する前ですから5月ごろだったでしょうか、私の部門の若手社員が大阪の本社の広報部に晴れて転勤できる、ということになり、品川駅の近くにあるお店で送別会をし、その帰り道に左足首外側の靭帯を伸ばしてしまう怪我をしてしまいました。
理由?飲みすぎのせいでしょうか、、、先輩と新宿までをJRで帰ろうか、タクシーで帰ろうかと広場で話をしつつ、先輩が「JRにしよう」と駅に向かい歩き出したのをみて、私が「タクシーならそこに待っていますよ」と右の方向に行こうとする先輩に声をかけつつ左前方に一歩踏み出したらそこは二段ほどの段差があり、気付いたら足元に地面がなかっ!!前に右足の靭帯断裂寸前の怪我をして全治三ヶ月の怪我をした際に、「転ばぬようにと頑張っちゃだめ」と医者に言われたのを思い出し、衆目の面前で(ちょっと格好悪いが)すってんころりんとやってしまいました。結果は?全治1ヶ月ほどの怪我で済んでしまいました。
【2004年晩夏: 在笹塚社宅の布団の中】そして、3週間ほど前の月曜日の朝、起きようとしたら胸が痛い・・心臓の近くでもあり、もしや、と思いつつ、「手を伸ばすときに痛いのは外傷?」と足の怪我の際にお世話になった病院に行ってみました。「前日の日曜日の夜は何ともなかったのに、起きたら痛い」という私の話を聞いてX線を撮ってみたところ、肋骨にひびが入っていたとのことで、全治1〜2ヶ月との診断でした。
湿布薬と特殊なサポーター(乳房の部分を外して巻ける形のもので口の悪い人は4分の0カップのブラじゃないかこれは!と言う)とをもらいましたが、原因について先生が「昨晩は恐らく布団の中で異常な体位でなにか・・」と言い出したのを聞き慌てて自分が独身社宅に単身赴任していることを説明し、難を逃れました??ん?ではなくて、結果的には布団の中で激しい咳をしたか、くしゃみをしたかという辺りが原因だろうと言われました(老人性骨粗鬆症?ではないとのことです。私は今48歳、まだまだ若いです)。
【2000年晩夏以前: 只在東京】実は私は大阪に居る時には殆ど怪我や病気をしていないのですが、東京に居るとどうも調子がおかしいのです。会社生活だけをとってみても、大阪から浜松町に出張し、その帰り道に東京のある部長さんと駅の階段を歩いて降りていたら、携帯の電話がなり、胸ポケットから取り出した途端に最後の2〜3段を踏み外してしまったのは上述の通りです(因みに電話の主はエロ・サイトからのメールでした!)し、小学校の時には塀の上で遊んでいたら近所の男の子に突き落とされて墜落、落ちたところにあっ鉄の棒が頭に刺さって顔中血まみれの2ヶ月の怪我をし、幼稚園に遡れば近所の農家のおじさんのところで食べたフルーツ(恐らくスイカ)が原因で、赤痢になってしまった、、、
【東京是不是我的「鬼門」?】これまで人生の半分を大阪、4分の1を埼玉、4分の1を東京で過ごしていますが、埼玉では何の大きな病も怪我もしませんでしたが、東京に限り悪いことが起こっています。もしかして私にとっては東京は鬼門?と思ってしまいます。
【天津朋友介紹我的紅花油】さて、品川で怪我をしたことについて、中国人の通訳の方と雑談をしていたら、中国の薬で「真龍牌正紅花油(Zheng hong hua you)」という塗り薬を持ってきてくれました。彼女(もう奥様です!)はお風呂であばらを強打した際にこれを塗っていたら完治したと話してくれまして、手持ちのものがもう少ないのでと、只でいただきました。 これは効く〜でした。
みるみるよくなってきたので、たまたま私の留守中に北京の元上司が日本に出張で来られた時に二本購入して持ってきてもらうようにお願いし、戴いた一本を彼女にお返ししました。値段?元上司が「只みたいなものだから」と価格を教えてくれませんでした。。。 どなたかご存知の方いらっしゃいましたらご教示下さい。
【総結???】今度、中国の薬について、なんていうテーマで書いてみたら結構面白いものがかけそうな予感がしてきました。(今回は今朝はっと気付いたら今日の午後が原稿締切ということで、いつものことでもありますが、特にまとまりのない、個人的なお話を紹介してしまいました)つらつらと書き綴っているうちに次から次へとお話ししたいことが出てくることもあるものですね、これこそ「徒然日記」なんでしょうか???
中国の薬のネタになりそうな失敗談や成功談など、もしご紹介戴けたら、紙面に反映させて生きたいな、と思いつつ筆をおきます。
では皆さん再見!
***********************************
【途夢のコメント】中国には何故か薬屋(葯房)が非常に多いです。漢方薬など、その場で調合して売っているようですね。
実は私は今、中国でちょっとした薬を二種類試しています。正確に言うと、二つとも中国で産まれた薬ではないのです。日本では手に入れ辛い薬ですが、効果は世界的に証明されている薬です。中国では簡単に手に入りますよ。えっ、どんな薬だって? 結果が出るには数ヶ月掛かるので、その時にお話します。(^^ゞ ヒントは、一つは女性が、もう一つは男性が非常に気になる効果のある薬です。
ところで、Gongbenさんの文中に出てきた松村田さんのお便りですが、以下の通りとなります。
***********************************
先日ごんべんさんがアテネオリンピックでの韓国人の態度の悪さを批判しておられましたが私もその意見に大賛成です。その記事を見て思い出しましたが、93年10月28日の「ドーハの悲劇」の同点ゴールを演出したイラク人選手・・・その後韓国でどうなったか皆さん知っていましたか?たまたま韓国で仕事をしていたときに韓国人がふっと漏らした言葉に、脳天まで怒りがこみ上げました。
あの時日本が引き分けたおかげで、韓国はかろうじて出場できたわけですよね。その後韓国が何をしたか・・・・実は点を取った選手を国をあげて招待し賞金まで与えたそうな・・・英雄として。 全国各地で熱烈に歓迎したそうです。普通そこまでしますか? いったい全体どういう性格をしてる国民なのか分からなくなりましたよ。他にも集団すりが日本で暴れていることについても皆さん拍手していましたよ。さすが韓国人の技術はすばらしいと言ってね。まったくこれだからいつまでたっても仲良くなれないなーと言う気がしました。
ほかにもたくさん有りますけれど、やめます・・・。以上みんな結拝兄弟(義兄弟)関係の韓国人から聞きました。
中国の事とは関係ありませんでしたけど、やっとすっきりいたしました。Gongbenさん、痛烈な韓国批判してくれて有難う!
皆さんニイハオ!ごんべんです。
平和の祭典第28回オリンピックがこの日曜日に終了しました。いやぁ、よかったよかった!男子マラソンのいかれたおじさん(元司祭という)の闖入事件はありましたが、総じて懸念されたイスラム教徒によるテロ事件もなく(イラクではイスラムテロリストがやりたい放題に拉致・誘拐・爆破などを行い、ロシアでもやはりテロリストによる旅客機爆破事件が発生しましたが、オリンピック会場に、と限れば)、無事に終えられたことはオリンピック関係者のみならず視聴者であるわれわれにとっても嬉しいことだと思います。
皆さんもそれぞれのプログラムを深夜放送でみたりされたことと思います。私は開会式と閉会式はあまりに遅い時間からのスタートということで見ませんでしたが、女子マラソンや男子マラソンは、自分が中学から長距離走をやっていたこともあり、興味を持って見ていました。野口みずきさんの25kmからのスパート、その後の追い上げ(あとでご本人は会場に戻って来てガッツポーズをした時まではしらなかったそうです、なんともおおらかな方ですねぇ)にはらはらどきどきの数時間でした(ちょっと寝不足がたたってしまい会社に戻った時には調子が出なかったです)。
男子体操や柔道での日本人選手の活躍も、そしてアーチェリーの山本さんの銀メダルもすごかったですね。でも、メダル受賞者も入賞者もすごいですが、女子のホッケー、ソフトボール、サッカーも優勝とかそういう凄い賞はとれなかったものの、日本女子スポーツ界(バレーにはもう少し頑張ってほしかったですが、あの世界一小さなセッターの竹下選手の「念力」的な粘りに心を打たれました)の信興には大きく貢献できたと思います。
これで今回勝てた人には更に自己を磨いてもらい、おしくも敗れた選手の皆さんには更にレベル向上を図ってもらって、北京2008にはぜひとも今回以上のメダルを獲得してもらいたいものです。ないても笑っても北京まであと4年です。アテネとは違い、北京っ子は、そして中国政府は、東京五輪で日本経済が更に伸びたように、北京五輪を契機に中国経済の更なる発展と文化向上に真剣に取り組み、2006年中には全競技場の建設を終えその後試運転をして本番では「失敗なし」を目指しています。そのための道路やビル、ホテル建築(改築も含める)がガンガン進められていますね。当初北京五輪の際には高級(三ツ星以上)ホテルを800軒(13万室)にして、観光客や来訪者の受け入れ態勢を万全にする、と発表されていましたが、覚えていらっしゃいますか?
その当時高級ホテルは392軒(8万室)でしたが、四ツ星以上は54軒(26千室)しかありませんでしたが、この数年で四ツ星・五ツ星のホテルがどんどんできるという話もあって私たちもその情報に振り回されていましたことを思い出します。実際、新しいホテルの新建もありますが、一ツ星や二ツ星ホテルの設備更新などで三ツ星に格上げができることもあり、その手のプロジェクトもかなり進められると聞いていました(問題はそういうホテルの場合、支払をきっちり受けられるかどうかが「?」ということもあり、ちょっと取り組むには勇気のいるプロジェクトでした)。
私の上司は「日本では東京五輪に合わせて名神高速道路や新幹線ができた。北京でも北京上海新幹線や北京空港増築などいろいろなプロジェクト(項目:Xiangmu)が出てくる。これを逃したくない!」と口癖のようにいう北京っ子でしたが、私が日本に帰国してからも、空港や体育場などのプロジェクトを追いかけて、超人的な勝率で成功を収めています。嬉しいうれしぃ!
北京五輪では「緑色(環境保護)・科技(ハイテク)・人文」五輪という三つのスローガンがありますが、科技と緑色(よく、環保:Huanbaoと略して言いますね)は何とかなるでしょう。最後の「人文」ということについては、2001年の12月の『北京奥運行動指針』の中に、「中国民族の凝集力とプライドを増強し、祖国の平和統一を促進する」という説明分が出ていますが、その直前には「五輪退会の趣旨に従い・・・各国人民の相互理解、信頼および友誼を深める」という一文も出ています。
私は、是非この北京五輪ではあのサッカーの重慶・済南・北京会場で見たような「ブーイング」騒動は起こしてほしくないものだと強く念じたいと思います。中国・北京の皆さんに是非この五輪の行動指針を思い出して頂きたいと思いますし、在中の駐在員や留学生の方、出張で中国を訪れる日本人の方も、機会をみて一国民の立場ではありますが、是非中日友好・日中友好の精神の原点に立ち返って2008年を迎えられるようにいまのうちから「草の根運動」を展開していってほしいものだと思います。日本政府だけでなく他人を当てにしていると裏切られた時にその人のせいにしてしまいがちです。自分がやれば自分の責任、と少しは思えるでしょう?
では!
みなさんニイハオ!ごんべんです。
第28回オリンピックもだんだんと佳境を迎え、日本の金メダル獲得数も野口みずきさんのマラソンの金に続いてレスリングでも獲得、日本チームがんばっていますねぇ。男子のマラソンも頑張って!と祈っています。今回の五輪のテレビ中継を見ていて、観客の声援にしても審判のジャッジにしても、韓国でのソウル五輪と比べ、割合と気持ちよく感じます。そして、金メダルのかかった日本人選手(団体戦)の演技に対して、「こりゃお手上げ!」というのか、「すごいなぁ!」というのか、拍手をしていたアメリカチームの選手にさわやかさを感じました。一方、韓国チームの態度は、というと、ダレた座り方で、相手のチームのミスを待っており、よい演技をされると、しらけきった態度で、非常に不愉快なものを感じました。
昨日、社宅近くの天ぷら屋さんで食事をしていたら、近くの席にいたお客さんの間で、個人体操でアメリカの選手に金を取られた時の韓国人の選手の態度について話題になっていました。なんと、アメリカのライバルがミスをしたときに、「これで金メダルは頂き!」と思った韓国人選手が、コーチと小躍りしてかたを叩き合って喜んでいたというのです。なんともさもしいというか、あさましい姿ですね。まあ結果的にその後、相手を甘く見た韓国人選手が手抜きの無難な演技をし、アメリカが目一杯の演技をしたので、米国が逆転優勝し、その瞬間、今度は件の韓国人選手が頭を抱えてしまったということで、話を聞いていた私も溜飲が下がる思いがしました。
ソウルオリンピックでは、聖火の点灯式で生きた鳩を丸焼きにして点火式をおこなったということで、この辺に民族の差を感じてしまいましたが、いくら金を目指してプレーをするにしても、汚いプレーをしたり、汚い審判をさせたり、という日本のどこかプロ野球チーム(先日その悪名高いオーナーが突然辞任した)ではありませんが、ゲームは激しく戦い、終わったらノーサイドというラグビーやサッカーの様な、英国のプレー概念の方がさわやかでよいと思います。
先般、サッカー・アジアカップの行われた中国重慶市と済南市、北京市での試合を録画しておいて貰い日本に帰国してから見たのですが、君が代の是非は別にして(私は日の丸の国旗は認識しやすいので好きですが、君が代はなんともたら〜りたら〜りとして中国やフランス、アメリカの国家の様な元気のでる音楽ではないので好きではないというのが実感です)対抗国の国歌を聞くときにブーイングをしたり、中指を突き立てて「Fuck You!」というのは見ていて不快であると同時に、大変残念でした。
天津から日本に来ている留学生の女性や、通訳で派遣されてきているこれまた天津人の方にその話をメールを通じてしてみたのですが、「十億以上の人がいれば、そういうのもいますよ。でも中国の人は大人だから、試合が終われば、そういうのは直ぐにさめる。政治的な考えで扇動した人たちは別として、韓国人とちがい、『怨念・怨嗟・うらみ』ということでぐじぐじとはいわないでしょう。」とのことで、北京っ子にも聞いてみたら「私は日本の企業で働いているので、平等に見ています。でも中国対日本の試合ではやはり中国を応援しますよ」とあっさりとしていました。
「でも毎年夏になると『抗日○十年特集』とかいってCCTV(中央電視台)とかが反日感情を盛り上げてるじゃないか、どう思う?」と振ってみましたが、「ふ〜む、あのテレビの影響は小さくはないですが、おじいさんやおばあさんは凄く嫌な思い出を持っている人が多いですが、僕たち若いひとはあまりああいう番組は面白くないのでもっと面白い他の番組を見るようになってきているので、これから変わるでしょう」と返事が返ってきました。
それにしてもあまりにひどい応援マナーに対して、あの「青年報」が「もっとマナーを」という評論を書いたということですが、これにはびっくりしました。青年報というと、毎年3月15日(三一五:san yao wu)といって品質強化運動の頃になると日本メーカーの製品の不良品特集を組んだりして各メーカーの現地の責任者や広報部門が対応に大童になり、製品そのものではなくサービスというものに対しても批判記事を書いたりするアンチジャパン(私の駐在時代にはベンツ車に対してもかなり突っ込んでいましたが・・)みたいな新聞なのに、良識的な記事をもかくんだな、と認識を新たにしました(一説によると政府としてもこのままでは北京五輪に対して世界からにらまれることを危惧して政府介入があったとのことですが、それにしても青年報が先陣を切った報道をしたことには、「変わったなぁ」と思ってしまいました)。
2008年の北京五輪も成功して欲しいですし、2010上海万博も成功して欲しい、その主催地となる中国がこれから数年の間に、いまの北京の建設工事の様な勢いで急激に大きく変容を遂げて言ってほしいものだと思い、こんな記事を書きなぐってしまいました。
皆さんニイハオ、久々の原稿です。
実は、ある入札の対応でちょっと長い間胡志明(huzhiming:ホーチミン)入りをしていましたが、帰国後にパソコンの調子不良で漸く使えるようになったと思ったら、なが〜い夏休み(15日もとった!)に入ってしまいました。入札の結果は、まだ出ていませんが、海外の案件を「日本人が、殆ど日本人だけで、しかも完全に日本のやり方で、仕事をする」という方式で推進をしていくという方法で果たして好結果をだせるのかどうか、甚だ疑問ではありますが、まぁそちらはそちらで、今後も頑張っていくしかないでしょう。
私の北京駐在時代には、現地人を中心にしたチームで、現地のやりかたで、推進をし、そのサポート(本当の意味で支援をしてもらうだけ)のみを日本や、マレーシア、イタリアなど海外の関係会社から受けていましたが、その方針は私が日本に帰国してからも変わっておらず推進しており、結果的には受注案件が相次いでいます。リンカーンの「人民の人民による人民の為の・・・」という言葉をそのまま置き換えても通じるなぁ、「現地人の現地人による現地人のための・・・」。
では今回は、その越南(Yuenan:ベトナム)長期出張の際に感じたことを書きたいと思います。
【一大日本人ミッション?】私たちは日本のメーカーと商社さんとで組み、入札対応にあたり、日本人が15人(も!)、現地人商社マンが2人(だけ)という一大ミッション(1)を組んで商社さんの事務所に朝から晩までこもりきりで書類作成やチェックの作業をしていました。 メンバーの中には私のようにベトナム出張が初、と言う人や、海外出張そのものが初という人が数人居ましたが、私も含めて彼らにとっての楽しみは入札の成功もその一つですが、「メインイベント」はやはり、フォーやベトナム春巻きなどに代表されるベトナム料理をつつくことでしょう。海外では基本的に現地の料理は安くてうまいが常識といってもよいですし、東南アジアでも欧州でも現地料理に飽きたら中華料理も安くてうまいというのも一つの常識だといえましょう。
【食べ物の恨みは怖〜い?】朝8時過ぎにホテルをでて、タクシーで10分ほどの距離にある商社事務所に入り、夜遅くに作業終了してホテルに直帰する、こういう状態が休日抜きに何日も続きますので「食」だけでも皆が満足できればよかったのですが、、、
【高い・まずい・サービス今一つの海外の日本料理屋】なんと、現地に入ってから毎昼食・夕食全て日本料理屋、高い割りにたいした味でもなく、一食あたり昼食で10ドル前後、夕食になると15ドル〜20ドル、時には酒の量により30ドル近くを取られますし、サービスも今ひとつ。。。日本航空の現地マップで推薦されているお店でもこれですから、(我々が行ったお店は全て一応現地の日本人商社マンの推薦店でしたが)他のお店の「味・サービス・値段(割引)」についても北京の穴場を知っていた私からすると、今一つ二つと言う感は否めませんでした。
【壁に耳あり障子に目ありの日本人の溜まり場日本料理屋】日本食レストランというのは、当然日本人客が多く、仕事の話をしたりするのにも周囲に気をつけていないとどこにライバル会社の人がわからない、そして現地人客だからと安心していると、実はライバル会社の日本語達者な現地人社員ということが往々にしてあります(商社マンなどはよくそういう所に出入りされていますよ。ご注意!)。また、酒が入ると周囲を気にするという注意心も散漫になり、大声になってしまったり、更に話がくどくなってしまうので、「何?いまなにを言った?」と注意をしていれば周囲の人にも話しの内容がよく判ります。私の知人(上海人)は北京の京倫飯店の日本食レストランで隣に座った日本人たちが彼の対応中の入札の話をしているのを知りライバル会社の話す内容を全て紙ナプキンに書きとめておき、翌日の入札にその内容を反映させたところ、受注できたということを話してくれました。
私たちに「ホテルやレストランなどでは、価格や仕事の話を一切しないように。ライバル会社の人がどこにいるかわからないので」と入札なれしている若手に対して偉そうに言っていた方たちが大声で、「○○億円までやっとこぎつけたねぇ!」などと何度も話をしているのを聞いていて、本当に「あれは自分たちに対する戒めの言葉だったのでは???」と思ってしまいました。
【毎晩『説教部屋』行きの被害者がでた日本料理屋】こんな状況下で、更にまずかったのはあるメーカーの方が昼間の仕事の憂さを夕食時に酒が出てくるのでその勢いで若い人に対して「説教攻め」が延々と夕食時間中2時間ちかく続き、その被害者が順々に代わる日替わりメニューになり、「今晩はだれが説教部屋の餌食になるんだろう」と戦々恐々の状況がでてきたことです。普段は仕事熱心な良い方で、私もよく「飲みにいこう!」と声をかけられて明け方まで楽しくすごしてきたので、「あの方が・・・」と、びっくりでした(因みに私も4日目に説教をくらいました)。海外に出張していて、毎日毎日日本人スタッフだけで、日本食レストランで日本語のみで、日本酒を飲み、日本食を食べているような海外の案件というのは、本当に海外案件と言えるのでしょうか?チームワークで仕事をしている、というのは実は日本人のみのチームワークを言うのでしょうか?
工事を完成させ、その後のメンテナンスをするのも日本から、日本人が、というのなら判りますが、現地の人に仕事を任せるのであれば、最初から現地人を巻き込んで仕事を進め、現場に出張した日本人は現地の人と一緒に作業をしてそのノウハウなりをトランスファーしていかないと、いつまでたっても「日本人が」、「日本人が」というやり方をしている限り、「日本人による、海外で行う日本の仕事」からは脱皮できませんよね(一部の日本人から「日本人だけの海外の仕事というのを残しておかないと、『海外出張』ができない」という声も聞こえましたが、これって本末転倒ではないかな、と思いました)。
どうも、海外に出た場合の日本人が嫌われるのは日本人同士が内輪チックに固まり、日本語で、日本食を食べ、現地人を排除したがる、というところにあるのではないか、もっと現地の人と交流をしなければ「場」だけが違っても「そこは日本の延長線」の考え方から脱却できません。勿論出張者と駐在者の差はあるものの、やはり現地無視というのはいただけないし、歓迎されないだろう、と強く思ったので、書いてみました。
本当はもっと楽しい文章仕立てで書こうと思っていたのですが、今能登半島に親戚の家族と来ており、ゆっくりと考えることなくワープロを叩いてしまい殴り書き状態になってしまいました。来週からは心を入れ替えて書きますね。
再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
先週は「乱れた日本語、これでいいのだろうか?」といった観点から少し書いてみましたが、どうでしたでしょうか? 実はこの日曜日にも「新婚さんいらっしゃ〜い!」を見てしまい、ゲストの男女の方の日本語に「ほんとうにこんな日本語ばかりがあふれていていいのだろうか?」と思ってしまう私でした。「かれを姫路城に連れて行った」、「そう」、といった話し振りで「何で『です・ます』をつけて話ができないのだろうか」、全てを「ですます調」で話をすることもないとは思うし、時々「そう!その通り!」みたいな友達言葉を使うのは許せるのですが、三枝さんといえば、一応新婚さん達から見れば人生の「大先輩」の筈、やはり見ていて気持ちのよいものではないですね。
先々週だったか、スリランカからの留学生さんご夫妻が出演していましたが、彼女たちの日本語の方が立派で三枝さんもおもわず「あんたらのほうが日本語しっかりしてるわ!」とまぜっかえしていました。(直前のゲストは鹿児島の方で、方言を丸出しで話をするように局側から言われたのか、確かに聞いていて「何を話しているのか判らないなぁ」と両親とは話をしていましたが・・) ま、この様に批判的な文章ばかりでは、息も詰まるでしょうので、今回は私の遭遇した中国人通訳(翻訳:Fan1yi4)たちを紹介してみましょう。
【厦門での商談時】厦門のある工場の外経部にいた彼とは90年代初頭にお会いしましたが、私の会社の事務所員と同じ厦門のある大学で日本語を習っていた友人ということでした。初の部材を出荷して、現地で組立てが開始した直後のタイミングに訪問した際の会話です。
私:「黄さんどうですか?ファーストロット(初回出荷分)に何か問題はありましたか?」(半ば外交儀礼的な質問)
彼:「問題アルヨ!」(といきなり通訳もせずに返事)
私:「何かトラブルがあったのですか?」(「?」というか「なんていう態度!」と相手がお客様であることも忘れてムッとする・・)
彼:「部品ガ5025個ナイトイケナイモノガ5015個シカナイヨ!」
私:「ちゃんと数えましたか?それに25個は予備だからなくても取りあえずは生産できますよね」
彼:「ブス!何度モ数エタヨ!ソレニ我ガ工場ハ5025台作ルノダカラ、部品ガ10個ナイト困ルヨ」
私:「ちょっと待て!誰がブスだ!」と日本語の会話が続き、相手先の幹部は目が点になって我々のやりとりを聞いていましたが、私の通訳が、「Gongbenさん!ブスはブスでも不是(Bushi:そうじゃないです)のことで、彼は南方の方言を使ったのです。Gongbensanをブスだと言ったわけではありませんよ」・・・そうです、南方の人はこの是(shi)の「h」の発音が甘いのでした。。。それにしても、普通は「問題ないですか」と聞かれれば「実はちょっと困ったことがあるのですよ」ぐらいの言い方をするのですが、いきなりの「問題あるよ!」が私の感情を逆なでしたみたいでした。その後この彼とは仲良くなり、こちらが少しずつ中国語が上達するのを喜んでくれたりして、ピンチの時に助けてもらいましたので今ではこの話も笑い話です。
【シンセンでの商談時】私の上司二人がシンセン事務所でお客さまとの会議時にいきなりやってくれました我らが事務所員。自己紹介をしてお客様側の中国語から日本語への通訳時に「俺達ハワァ、アンタラノ会社ニ期待シテル」「オ前ラハワア、俺達トォ、合作シテコノ商品ヲ広メタイ」とやってしまい・・・当然上司二人とも目を白黒させてしまいました。帰国後私に言った彼らの台詞「いやぁいきなり○君が『俺達はぁ』とやったときはびっくりしたというか、ムカッときたねぇ。本当」だれが教えたのでしょうか、こんな日本語。でも、どこか、新宿歌舞伎町あたりのフィリピンバーの様なところで聞く台詞に似ていませんか?お客様に対する美人ホステスさんの言葉「オイ、コノ酒飲ムカ?ウマイカ?オ前ハ昼ハ何シテルカ?」。。。
【北京駐在初期の私の通訳】私の上司が長々と15分近く私に対してカッカッと話しをしたのに部下に通訳を頼むと「Gongbenサン、コレハネェ、意味無イデス。江サンノ不満ヲ話シマス。」「え?じゃあ何と何が不満なの?」「ぜんぶガ不満ヨ」「メモも取らずにいい加減な通訳するな!」
【おまけ:あるアメリカ人副社長】私の会社の会長に挨拶に本社を訪問の際に実際にあった事実です。日本語で挨拶をしたいと考えて大阪弁の第一声をある課長(もう退職されました)からアメリカで習って準備万端訪日され、会長をみるなり、「オイド!」と挨拶をかけた!大阪以外の方には判らないでしょうが、「おいど」とは「おしりの穴」とか、そういう意味だそうなのですが(私は使ったことありませんが・・)、それを聞いた会長さんは度肝を抜かれてキョトンとされたとのこと。大阪では普通「毎度おおきにお世話になっています(いつも大変お世話様です)」の代わりに「まいどぉ!」とか「まいど」という短縮形で挨拶をすることが多いのですが、教えた課長がユーモアたっぷりのべらぼうに米語の上手な方で、その人が意味も教えて冗談で伝えたものがよほど印象が強かったらしいです。当時は宣伝部長だった彼ですが、その後副社長になられたので、会長も怒らなかったということでしょう。
それにしても、日本語をしっかりと教えてあげてよ(冗談のうちはいいですが)、と言いたいですね。これまでの経験では、日本語から中国語への通訳は現地人にやらせ、逆の中国語から日本語への通訳は日本人が行う方がスムーズに意思疎通を図れそうです。この辺、やはり日本語をよく知っていればいるほど日本人は日本語に訳す時のボキャブラリが豊富だから、有利だということでしょうね(中国人には逆が真ですが)。
今回紹介したのは後で笑い話になった事例ですが、通訳がまずいと意志の疎通が図れないだけではなく、喧嘩の元にもなりかねないですので、やっぱり私達も日本語だけでなく、外国語についても『学び続ける』姿勢を持ち続けたいですね。
頑張りましょう!では今回はこの辺で。再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
柳樂優弥という中学生がカンヌ国際映画祭で、主演男優賞を受賞!というニュースが入り、「おおっ」と驚いたのは昨夜、徹夜仕事で頭がぼ〜っとしている時でした。思わず、パソコンの操作を止めてテレビに見入ってしまいました。
ところがところが、、彼は本当に14歳、本当に中学生なのだろうか?小学生低学年では?と思わず耳を疑ってしまいました。可愛い顔をしているのにその口から出てくる言葉は、「俺は」「オレが」「おれの」・・・と「俺」の連発。我が愚息でも、「僕」と言えるのに、この少年は人の前で話す言葉として、「おれ俺」という言葉しか知らない、教わっていないのではないのでは?と思うほどに聞いていて耳につくのです。
子供ですから、「私は」、「わたくしは」等という言葉を使えなくてもそれはそれでよいのですが、「『俺』という言葉しか知らないのかいなこの子は?」と数分間のインタビューにイライラと、腹立たしい思いをしたのは私だけではなかった様です。
会社に出社して、休憩室でこの受賞の話題が出たのですが、「何なのだろう、あの中学生は??」という疑問形から始まり、「親が悪いのかもしれないね、子供にそういう言葉を教えられないのだから」とか、「親の顔がみたいものだ」という両親批判が混じりだし、「でも芸能界にいるということは、たとえ中学生でももう立派な社会人だろう?それにしてはできの悪い話だね」、或は「少年犯罪問題ではないが、大人と子供の境目はどこにあるのだろう」と社会人の私達からみて、「理解できない!」「おっかしいのでは?!」と批判コメントが相次いで出てきました。これが「おらぁこう考えるんだけんど・・」と方言が出てくるというのならば皆許せるのにね、という意見が大半を占めました。
そういえば、我が家の父は先の五一で75歳になったのですが、ここ何年かは桂三枝さんのあの「新婚さんいらっしゃ〜い」を楽しみにして毎週日曜の昼は「おじいちゃんチャネル」で指定されてしまっていますが、この番組に出られる若夫婦の会話も最近はひどいものです。三枝さんの質問に対して「うん、○○した」、「ううん、××した」といった話し方しかできない新郎、新婦のなんと多いことか。「はい○○しました」「いいえ、××でした」という『ですます』言葉で受け答えが全くできないようです。
小学生や中学生の女の子が男の子に「おいてめぇ!何考えてやがんでぇ!ばかやろう!」と怒鳴りながら下校する姿をみて、「お、絶対こんなの嫁さんにはしたくないものだねぇ」と思うのは私がもう「おじさん」だからなのでしょうか?
最近の言葉の乱れに、「こんなことで大丈夫かなぁ」と思わず中年おじさんとしては引いてしまう私ですが、最低限の尊敬語や謙譲語、丁寧語といったことを今の親や学校では教えないのだろうか不思議です。
勿論英語や中国語では「貴方」、「貴女」、「君」、「おめえ」、「てめえ」も「おんどれ」もみな『YOU』或は『ニイ』でよいということもあるのですが、中国語でもNing とニイの基礎となる部分に『心』の文字がついたり、女王陛下の前や大統領に対して話をする際にはそれ相応の呼びかけ方があるのも事実で、そういった言葉をきちんと使えないと「育ちの悪い下品な奴」と軽蔑されるのも事実。TPOに応じてきちんと話せないようでは、いけませんね。特に俳優などを生業とする人はもっと相手や周囲を意識しないとならないでしょう。(古いですか?)
私の尊敬する北京の元上司の奥様は日本に10年近くいらっしゃったので、大変に日本語が上手なのですが、彼女は中国科学院関係のお仕事をされる理科系の方です。そんな彼女と愚妻が初めて出会った折に、「そうなんですのよ」とか「いいえ、そうではなくてこうなのですの」という彼女の使う言葉の美しさに「わぁ、私達の日本語より丁寧!負けてしまいそう!」とただただ脱帽でした。
英語と違って正式な勉強をしていない私の中国語レベルでは彼女が話す中国語も日本語の様に美しい言葉を使っていらっしゃるのか理解できませんが、会話をしていて、目からうろこが落ちるというか、何かすがすがしく感じてしまったことを思い出しました。
以前に高校の先輩から「日本語をしっかり学ばないとだめだ」といわれた話をご披露しましたが、通訳をする際にやはり日本人は「外国語⇒日本語」が得意で、外国人は「日本語⇒外国語」の方がベターであるように感じます。それは相手が話している言葉を豊富な自国語のボキャブラリーの中から適切な言葉を探せるからだということでしょう。
従って、外国語を学ぶ皆さんは自分の国の言葉すなわち日本語を豊富にして、綺麗な日本語を磨くように努めることが大切だ、と私は考えます。勿論「外国語で考えて話せ」というのは正しく、いちいち頭の中で「日本語⇒外国語に翻訳して話す」のではネイティブについてはいけないのですが、通訳や翻訳をする際にはぜひ、美しい日本語に直してやろう、とチャレンジしてみて下さい。
明日は北京からもとの上司が私の会社に来られます。彼は日本語は片言ですが、やはり、きちんとですますを使い分けられます。その意味では、彼の方が柳樂君より日本語レベルは上!ということになりそうです。
今回はちょっといつもと違う話題でがっかりされた方もいらっしゃると思いますが、来週から何週間か、越南胡志明市に出張に出ますので、今朝方見たテレビ報道を見て感じたことを起点に「言葉(ことのは)」についてちょっと書いてみました。
では再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
時間のたつのはとても速いもので、昨年11月19日にスタートしてからもう半年になります。その間、好き勝手なことを書いてきましたが、途夢編集長をはじめ、色々な人に励ましていただき、なんとかここまでこぎつけることができました。まずもって御礼申し上げます。 扠、今回のテーマは『こんな出張者に手を焼いていませんか?』です。少し長いですが、半年特集として、我慢して付き合ってくださいね。
【出てくる料理なんでも食べられる食通出張者】
イギリスやドイツの様な料理のまずい国というのは別にして、中国に限らず、海外、特に東南アジアでは美味しい、或はちょっと日本では食べられない食材に遭遇することが多いですね。私も蛇、蠍、犬、猫、熊から芋虫・セミの幼虫やゲンゴロウ・タガメ等の昆虫類など結構色々チャンスを見てはトライしていました(猫は酸っぱく、犬肉はとても美味しくて息子も初の北京来訪時にぺろりと食べていました)。
こんな極端なものでなくても、鴨の舌や鶏・鴨の爪先、とぐろを巻いた蛇の姿造りなどの場合、欧米出張になれた人にはショックが大きいようです。「僕、明日もう直ぐに日本に帰りたいので飛行機の変更をしてくれー!」と初日にギブアップした技術課長がいますが、その当時(1990年頃)はそんなに簡単には変更もできず、それを言うと、「自分でパソコンで変更をする!」と言って頑張ってみたものの結局諦めた彼はその後、中国が嫌いになってしまいました。
私の失敗でした。思いっきり中国っぽいものを一つは、と鳥の足を出した、アモイの特産品であるナメクジのゼリー固め(実際は磯ゴカイの一種らしいのですが・・)をお客様から「食べて欲しいな」と言われた、等の原因で『食物性中国恐怖症』になってしまったみたいです。
【くちゃくちゃと音を立てながら食事をする低マナーの出張者】「美味しいおいしい!」と何でも食べられるのは大歓迎なのですが、口にモノをほおばって話をし、ピチャピチャ・クチャクチャと食べる時に音が聞こえてくる、、そしてスープを「ジュルジュルーピチャー」と音を立ててすすり上げる。これは海外経験の余り無い日本純粋培養型出張者。確かに中国の友人達も音は立てますが、、老人ならともかく、若い出張者がこれをやると、「家ではどんな風に育てられたのかな」と思わずクエスチョン『?』マーク。
【酒には自信があるといい白酒でダウンする自称酒豪の出張者】「僕は日本で営業マンとして30年近い経験があるから酔わない」と自慢したある部長さん。ハルピンの客先との宴会で、赤ワイン・ビール・白酒(Baijiu)を一気に杯を干す(赤・黄・白の)『三杯(Sanbei):』の儀式で潰れてしまい、翌日の商務交渉ではトイレに通い詰めでした。
私は同僚課長足裏按摩をしてもらっているうちに翌日3時まで男二人でパンツ一丁で、マッサージチェアで寝てしまいましたが、その前にと9時からボーリングをして200点前後の争いをしていました(平気の平左でした)が、熟睡のお陰で翌日我々二人は元気一杯で、ハードネゴをさせられた結果、商談がまとまると、「あれは僕が5分で纏めたんだよぉ!」と日本に帰ってから自分の手柄として吹聴して回り、汁物は苦笑顔。
【中国の歴史に妙に詳しい高級幹部出張者】是は立派な出張者、中国の歴史や訪問先の地理について出張前に事前に調べている人。「殷の時代にね」とか、三国志のお話とかを披露されるので、その博学ぶりに驚く私達ですが、大連をタイレンと発音されたり、人名の日本読みをされるとこちらがよほど知っていないと判らないので「おい通訳君、しっかりせい!」と時々お叱りを受けることも多々有りました。漢詩を日本の漢文式にレ点・返り点を付けて詠まれるともっと難しいのです。通訳泣かせの大幹部さんたち。
【日本の諺を連発して通訳を困らせる物知り出張者】中国のことは判らないけれど、と日本を紹介するのに次から次へと日本の諺を出して日中交流をされる幹部の出張者。諺というのは英語でも難しいのですが、中国語でも同様。判らないことをいいことに思わず「また日本の諺を紹介していますが、私の理解を超えています。でも笑ってください、イチニのサン!」とやってタイミングよく笑いを引だせると出張者も大満足(ひー、これはバレマセン様に!)と言うことも何度かありました。
【通訳のことを考えない幹部出張者】宴会での通訳は大変です。幹部と一緒となると、彼は食事をし、笑える話題を次から次へと連発。お客様も喜んでいるのに通訳だけは食事をする時間もなく、、、そんな時に「さ、これから少しは通訳さんも食事をしてください!皆さんちょっと食事を楽しみましょう!」とか「ちょっと英語のできる方はいらっしゃいますか?一緒に少し英語で会話をして、通訳さんにゆっくりしてもらいましょう!」といってくれると最高なのですが、、現実は厳しいものです。
【旅の恥はかき捨ての色魔的出張者】ここまでの出張者はまだ可愛い方です。ひどいのになると、「カラオケに案内せい!」とリクエストが入り、店に入ると最初の20分ほどはもじもじとしているのですが、その先は筆舌に尽くしがたい行動をとる人がいます。
中国語がわからないからかなとこれまでの経験(その人は中国語も英語もだめな人です)から、日本語のできる小姐が隣に座るやいなや、「上四方固め」或は「下四方固め」のワザを発揮、唇をつき出して小姐にキスを強要しようとする。ちょっと高級なホテルのラウンジで、そういう行為はできないのにも拘らず、もう全身が性器の様な出張者はいませんか?「あの人は二度と立ち入り禁止よ!」とちーママから後で携帯に電話が入って自分も冷や汗びっしょり、という経験のある人も多いことと思います。
直ぐにドレスの中に手を入れようとする色鬼(Segui)出張者。そして中国人の部下や現地人雇員を通訳に連れてくる出張者が彼らにその夜の交渉をさせる本物の色情狂出張者。ママさんから「この店はお酒を飲むところで連れ出したりする店ではない」といわれるや、「何だ中国人の癖に!」と怒り出し、「小費(Xiaofei:チップ)なんかやらない」とそれまでの二時間のコンパニオンのサービスに一銭の対価も払わずに飲み逃げをしようというちょっとけちな出張者。。。 困ってしまうのは現地の駐在員です。「せっかく中国に来てやったのに、あいつは女の手配も出来ない奴!」と一方的に判断をする出張者には手を焼きます。
このような問題出張者の中には、現地に女性を囲って『毎月毎月必要も無いのに10日以上の出張をしてその度に彼女のいる都市を出張コースに入れる』というお金のある部長クラスの出張者もいます。現場からは「何をする為に出張されるのか?」という質問を事前にすると、「あいつは何様だ!呼び返せ」と、日本の本社風を吹かす出張者もいます。駐在する人間は毎週毎月現地の人と顔を合わすので、そして、日本人社会は案外小さいものなので、悪いことはできませんが、出張者という気軽さが彼らをしてそういう風に豹変させてしまうのか、はたまた根っから出来が悪いのか、、余り関係を持ちたくなくなる出張者は後を絶ちません。
駐在員は上層部の出張者には意見を言うこともしにくいものです。私はそういう危ない方向の予見される店にはあまり連れて行きませんでしたが、自分より若い出張者には「ばか者!」と一喝することもこれからは必要だな、とつくづく思っている今日この頃です。駐在員の皆さん頑張れ(加油:Jiayou)!
また長くなってしまいましたね。
再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
【天麩羅屋さんで読んだ夕刊記事】
私は東京で単身赴任をして1年と3ヶ月になりますが、社宅の近くにある天ぷら屋さんによく夕食をとりに会社の帰り道に立ち寄ります。今夜もこの天ぷら屋さんに立ち寄り、そこで読んだ朝日新聞の夕刊にこんなタイトルの記事がありました。題して『中国語学習は有利か?』・・・
中国に進出する企業が急増する中、中国語を学ぶ大学生や社会人がここ数年間で急増しているが、企業の中には「自分をきちんと語れない『本業を忘れた多角経営』では逆効果」といったことを言う会社もある、といった書き出しで始まるこの記事を一気に読んでしまった。
ある大学生は、上級の中国語を身に着けた後に就職をしようと一年就職を見送る決断をし、ある中国語学校の夜間教室では、この二年間連続で学生数が2割増を続けているそうで、来年の6月には『(級別のではなく)点数式ビジネス中国語検定』試験が始まるという。
三洋電機は「中国語ができることは絶対にプラス」、中国で実績があるとされる伊藤忠も「リーダーシップや体力などの個人的実力と同等の扱いでプラス評価をする」と前向きに評価、NECも初心者対象の中国語口座を研修で開始する程に中国語に対して熱心に見える。
しかし、「採用には有利になるか?」との質問に対しNECの人事は言葉を濁すコメント「できれば便利とはいえるが・・・」に続き、「自分のPRには熱心でも自分を語れない学生がおり、これでは『本業を忘れた多角経営と同じ』」というコメントが紹介されていた。
【英語なんて話せても】
私が高校在学中に英語ができるというのを知った先輩が、「日本人なら日本語を話すべきだ」、「英語なんか話せても何の足しにもならない」、「本業の勉強が大事だ」といった意見を私に面と向かって吐いたことがあったが、それを思い出してしまった。英語の読み書きは別にして、話すと言う点では先輩は苦手だったことを今でも思い出す。どうも、島国に住む日本人の狭量さというのか、「これからは『それができることが大いにプラスになる』ということは頭では判っていても自分が『今それをできない』故に、そうやって相手を牽制する若しくは、他人を妬む所があるのではないかと思う。
【脱亜入欧と鬼畜米英の思想的歴史】日本は明治時代に「脱亜入欧」を掲げて日本人であることを捨て、アジアを捨てて欧化政策をとり、「鬼畜米英」と呼んで嫌悪していたアメリカを太平洋戦争以後は一挙に米欧(米が主になっている!)追随主義化した。日本を完膚なきまでに叩きのめしたアメリカには日本はかなわんわいという反省からか、その後は「アメリカは全てよい」かのように思い込み、アメリカに追いつけ追い越せ、となった。
しかし、日本からみてアジアは日本より程度の低い国と馬鹿にする気持ちは強い。そこで、今アジアの中で一番強大化して日本を脅かす存在になった「中国をどうするか」だが、心の中では中国を30年遅れの日本と馬鹿にしながらも、仕事の上では大事な客であり、戦時中は敵性語として英語教育をしなかったことによる失敗をしないためにも中国語を学ぶことの重要性は判る、「それは(頭の上では)判るが・・・」というのが冒頭の企業人事部のコメント等に表出してきている。(一方で「英語ができないとグローバル社員ではない」といったことを言う企業が多い現実はこの人事のコメントに反しているように思うが・・)。少し、一方に偏った見方かもしれないが、高校時代の先輩の言葉を思い出させる新聞の報道を読んでそう思えてならない。
【日本を愛そう、でもそれだけでは片手落ち】日本人は日本を愛することが大事だ、とかよく言われるが、海外に住んでみると、または海外に何度も出張をしていると、自然とそういう風な気持ちになってくるのが不思議で、私の尊敬する方は中南米に長く単身赴任をされていた方で、「Gongben、俺も向こうで一人我が家の風呂に入っていたりすると日本って本当にいい国だよなぁと思うこともよ〜くあった。演歌を口ずさみながら涙を流したことも何度もあったよ」と大阪の北新地のクラブで何度も語ってくれた。確かに私もカラオケで演歌を歌うことは無かったが、北京時代に上司の好きだった歌も何曲か覚えて予想以上にうまく歌えるようになってしまった。
但し、日本を愛することと、アジアの他の国を蔑視すること、排他的になってしまうことは別物であり、「自分のいった国に貢献をすることでその国からも愛されるようにならなくてはいけないし、その国を好きになるようにしなくてはならない」と私はおもうのだが、今の自分の会社を見ていても、どうも欧米のやり方を、日本のやり方を中国人に教えてやるという、自分が高位者である態度が見えみえで、そういう人には中国のビジネスなど担当して欲しくないと思ってしまう。
【マスコミに期待すること】大手のマスコミは、そのへんについては無責任と言うか、新聞や雑誌が売れ、視聴率さえとれればよい、と言う考えしか持ち合わせていない様なので、それを攻めることはできないが、是非、この続報として、大企業の人事が言葉を濁したりする背景をもっともっと突っ込んだ記事を書いて欲しい物である・・・
とまあ、今回は「ですます」調でない書き方になってしまいました。明日の朝からの会議の資料を作成しなければならず、書きなぐってしまいました。ごめんなさいです。
では再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
この連休は何日休めましたか?私は29日から6日まで8連休をとり、大阪の実家で息子とのんびりとほぼ毎日キャッチボールの相手を勤めさせられ、一昨日淀川河川敷の野球場で、サイドスローで「高速シュートだぁ!」とちょっと無理をしたところ、右肩の筋肉に違和感を感じてしまい昨日は全力で投球できないほどの痛みで今日は惠の雨のもと、市内のパソコン屋さんを回り美味しいとんかつを食べることで許してもらいました。まさにパイロットの一声ではないですが「メーデー・メーデー!筋肉痛で身体が・・・・!」状態です。小学5年の息子はリトルリーグなどのチームには入ってはいないのですが、近所の中学生のお兄ちゃんたちにも相手をしてもらっているようで、速球の他に漸くカーブが投げられるようになり、ミットを構えた所に制球できるようになりました。お兄ちゃんの一人から『おーい×◎君、小Gongbenの方が直球速いぞ!』といわれたことでますます頑張ったようです。やはり子供はおだてて育てるに限る、ですね(かく言う私も家内からは「あんたにはおだてが一番だ」といわれています・・・)。
昔は日本でもゴールデンウィークといっても余り長い休みを取れなかったし、4月29日の旧天皇誕生日(現みどりの日)から始まるGWも、「飛び石連休」になってしまったりで、学校に通う子供さんがいると「どこにも行けない連休」なんていうことが多かったですね。でも今回は休みが続いているということで、家族旅行に出られるところも多いようです。昨夕家族で立ち寄った「ミスタードーナツ」にはGWにもかかわらず、お客さんが少なく、我たちがそこを出た時にはお客様“0”の状態でした。また、近くの「トイザラス」でも、予想外のお客様の少なさに店長さんは憮然とし、バイトの人たちは「あー、今日も店長さんの顔、怖ーい!」と陰でこそこそーっと話し合っていたとのことで、行楽地とは違う市内のお店には痛いGWになりそうです。
中国では最近は春節・五一・国慶節の長期連休制度化のお陰で、鉄道部(日本のJRというか国鉄ですね)や航空会社、旅行会社、ホテル等、観光地の様々なお店の連休期間中の商業活動が活発化して経済効果が大幅に上がっているとの報道がよくなされていますし、この時期に北京に入るのは国内の地方からの旅行者に加え、海外からの旅行者も多く、通常なら万里の長城で有名な八達嶺に一時間ほどでいける「八達嶺高速」ですが、この時期は入口の北四環路まで大渋滞する為、10年前にかかった所要時間2ー3時間もかかることもあるとのこと。少し北京を知る人なら幕田峪の方にまわるのですが、それ以外だととにかく「我慢我慢」の往復4時間5時間を過ごさねばならなくなってしまいます。この時期、中国でも日本でも、どこに行っても言えそうですが、出発時間を少しずらす、経路を変更する、目的地そのものを変更する、などの対応をしなくてはいけなくなってきましたね。そういう場合には、その地方その都市に詳しい人、土地の人に情報を聞くことで、かなり判断材料が揃いますよ。一流ホテルのフロントマンやコンシェルジェはその土地のことについて非常に明るいし、英語も話せる人が多いので、もしあなたが中国語ができなくても大丈夫、思い切って聞いてみましょう。
私は2001年の正月にシンセン(Shenzhen)・香港に家族で遊びに行きましたが、シンセンのホテルで「明日、この子供と一緒に『世界の窓』に行こうと思っているが」と話をした途端、「息子さんは小学校3年生ぐらいですね。それなら子供が楽しめる方がよいですよ。『歓楽谷』というところに行けばジェットコースターや色々なのりものもあるし、とても広いですよ。朝は早めに行って一日ゆっくり過ごして夕方にホテルに戻ってくれば晩御飯を香港のレストランで食べられます」と教えられ、翌朝「中国で遊園地ねぇ・・」と半信半疑で出かけたところ、ディズニーランド並みの広さで、100元ほどで入場料も乗り物乗り放題も全部こみで過ごせました。息子は大はしゃぎで北京に帰ってから香港・澳門・深(土川)の中で一番面白かったのは「なんと言っても歓楽谷」とのことでした。時間の配分なども詳しく教えてくれた香格里拉のフロントに感謝しつつ、大いに満足できる休暇(これは五一でも春節でもなかったですが)を過ごすことができました。
さて、私が会社に入った1980年ごろはメーデーというと、会社の組合の指示(というより強制命令)で大阪や東京の公園に「休みなのに」無理やりに行かされ、つまらぬ政治家たちのくだらない(本当に下らないですよぉ!)自己PRを聞かされて(その間みな話しなど聞かずにウォークマンで音楽聴いて、本読んで、でしたが)その後1キロほどのデモに参加をさせられて、とにかくGWの貴重な一日が台無しになっていたのですが、最近は組合も社員のことを考えるようになったのか、余りこの手の話を聞く機会が減ってしまいましたね。
さあ、この連休、今日5日が最後の人も、6・7日を年休とって9日まで休みにした人も、ラストスパート!有意義な休みにしてください。
では再見!***********************************
【途夢のコメント】中国で勤務する私も連休中です。会社は1日から6日まで休みですが、個人的に7日に休みを取って9連休にし、家族の住む台湾に来ています。
尚、1日から4日までタイのプーケットに家族で行ってきました(このメルマガは、4日23時55分に台北に戻ってきた直後に書いて発行しました)。4回目のプーケットでしたが日本のGWに行くのは初めて。思っていたよりも日本人や中国人が多くなく、白人が多くて異国情緒を楽しめました。。。
皆さんの連休は如何でしたか?
Gongbenです。皆さんニイハオ!
さて、「先週末に北京市・安徽省でSARS発生か?」という報道がなされ、中国もそれを確認する内容を発表しました。医療関係者の感染ということで、今までの経緯とは違うとは言え、一日も早く本件クリアにして欲しいな、と心より思います。
北京の日系旅行社に勤める私の友人は、報道直後のMSNメッセンジャーのやり取りの中で私がその話を持ち出すと「きゃぁ・・本当ですかぁ?予約キャンセルの嵐の再来なんていやぁ!」と恐怖の表情(顔が想像できました!)でした。また、この五一の時期に北京をご夫婦で訪問される私の友人からも「だいじょうぶでしょうか?」と問い合わせが来、私が「これまでに日本人は感染していないから大丈夫でしょう」と答えたのに対して「本当は『大丈夫だ』、と言って欲しかったんですが・・」と心配な様子でした。自分が北京にいないから気軽にいうのではなく、心から「日本人の皆さんには無事であって欲しい」との願いからそう思いたいのです。
但し、去年の日本企業のSARS対策は、私から見れば行き過ぎではないかな、と今でも思っています。多くの日本企業が中国を脱出してしまった際に、「日本人はいいですね。日本から来た人は『日本の本社の指示で』と、気軽に日本に避難ができますが私たち北京人には逃げ場がないのですから」と私にメールをくれた友人たちがいましたが、あの時の交信の中に「天安門事件の時も日系企業の多くは逃げ帰ったけれど、本社の指示にそむいて北京に留まってくれた日本人もいてくれた。その勇気と中国への信頼感を評価する北京っ子も多かったのに、今回は(伝染病とは言え)さっさと日本に逃げ帰る人ばかり。ああ本当に遺憾です」というメッセージをくれた人が居ました。
人間だれしもそういう危険からは忌避したいと思うものですが、そこに残留することを決定された友人も居ます。「心配だ」「心配ね」と事態を案じながらも、そこに残り、なんとその時期に出産を北京でされた友人もいらっしゃいました。きっと彼女に対する北京っ子の評価はぐっと向上したのではないかと思います。北京っ子も震え上がる中で、残留されていたのですから、その勇気に敬礼!です。
私の家内・息子は日本人学校の学期の関係も有り、昨年3月18日に一足先に日本に帰任した私が迎えにいくまで、二人で北京におり際どいところでしたが、SARSだから帰国したのではなかったことが私の心の中ではひとつの救いになっています。(あのSARS騒動の現場に居なかったから気楽なもんだな!といわれるかもしれませんが、私はもし当時まだ駐在の任を解かれていなかったならきっと私の信念で、家族だけを帰国させ、私は北京に残ったのではないか、北京の友人たちに背を向けることはできなかったのではないか?と思っています。・・・勿論、自分がその場にいて、北京の状況を見て恐れをなし、「真っ先に(!?)」尻に帆をかけて帰国していたかも知れませんが・・)
でも、万一北京で感染した、或は死亡してしまったりした場合、やはり日本政府や会社に多大なご迷惑をかけてしまうことにもなってしまいますね・・・う〜ん・・・こういう時には本当にどうしたらよいのか、簡単には結論は出せませんね。小泉さんや社長から「ふうむ。(無理に残って感染するなんて)何を考えてるんでしょうねぇ」と言われてしまうかもしれません(冷や汗)。
理想は、北京の友人から「Gongben、もういい、これ以上ここに居ると危険だ、お前は直ぐに一時帰国しろよ」と言われるギリギリまで頑張って、彼らも自分も一応の納得をしてから帰国の途に着くというストーリー展開ですが、その様な格好の良いことはそう簡単にはできそうもないかもしれません。
今回のコラムには結論は書きません。が、SARSで一時崩壊状態寸前まで行った北京市が、不死鳥の様に立ち上がり、経済も右肩上がりになりだしたこの時期に又もやSARS禍が拡大しないことを切に希望します。今、北京にいる駐在員のみなさん、留学生の皆さん、昨年のSARS対策五つ道具とともに、衛生に配慮され、罹患しない様にご注意下さい。
なんともしまりのないコラムで申し訳ありません。でもこれを衛生を考え、健康を考え、危機への対策を考えるきっかけにして頂ければと思います。
では来週まで再見!
Gongbenです。皆さんニイハオ!
4月15日、北京の東直門(Dongzhimen)大街にセブンイレブン(中文でも『7-11』便利店)がオープン、店の外にはお客様が列を作って初日は大盛況だったとの報道を19日のテレビで見ました。
店舗面積は100平方メートル程で、1500〜2000の商品揃えだそうで、日本と変わらない規模なのかな、と思いつつ見ていると、シュークリームが特価で2.5元など値付け的にはかなり高いのですが、まずは「おめでとう、現地に密着して北京っ子から愛される店になるようにがんばってください」と言いたいものです。
中文Yahoo香港の報道(繁体字)では『北京に50店舗を計画』となっていますが、中国情報局(Searchina)の日本語報道では『北京市内で、年内に150店舗』となっていますし、19日夜のテレビ報道(朝日系列だったと思います)では『5年間で500店舗を北京市内で出店する』とのことで、どの数字が正しいか判りませんが、かなり急ピッチに店舗展開をされるのは事実で、マクドナルドやケンタッキーの様に急成長してゆくでしょうね。
コンビニは、便利店(Bianlidian)と呼ばれるそうですが、上海では以前からローソンが進出しており、私の会社の分公司も同じビルにある関係上、何度か利用をしたことがありますが、人間が中国人、商品の表示が中国語と言うことを除いたら、殆ど日本と変わらない(当然ですが)感覚で、希望の商品(例えば髭剃りや電池、煙草)がどの棚にあるか、大体見当が着いた、と記憶しています。
中国で日系のデパートやスーパーに行った場合、商品の配置場所(フロアープラン)やディスプレー方法など、日本とは違うなぁと感じたり、「あれれ、こんなところにこんなものが置いてある〜!」という不思議な感覚に陥ることがよくあるわ、とは我が愚妻やその友人達の話だそうですが、現地の人の意見を尊重するべきか、日本の方式を(というより現地に無い概念を)押し付けるべきか、悩ましいところですね。
既にある概念が存在している所に「これは日本の方式だ、日本では成功した。」とか「アメリカの標準が世界の標準だ、だからアメリカ式でないとだめだ」というアプローチをすると、現地の人の反感を買うこと間違いなし!と言えるのですが、コンビニ店の様な、もともと中国には無かった概念の場合は、外来のコンセプトで進めながら、現地に順能同化させるというのがよいのかなと素人的には考えています。
上海の方が新しい物好きということもあって先にローソンが進出したのでしょうが、ローソン上海森茂ビルの現状経営は順調なのでしょうか、同じ日本企業同士ということもあり、私も気になっているのですが、今は上海に行く用事もないので、この目で実際に確かめることもできません。今度どなたか詳しい方いらっしゃったら情報くださいね。
ところで、西安事件を誘発したという誤報を伝えたのは香港の新聞でしたが、今回の報道は正確なのでしょうか、少しだけですが、気になります。まあこの報道が違っていたところで、暴動を誘発することは無いとは思いますが・・
今日はこれまでにします。
Gongbenです。皆さんニイハオ!
【莫 邦富著「中国全省を読む地図(新潮文庫)」】
莫 邦富さんの「中国全省を読む地図(新潮文庫)」という文庫本を先週衝動買いしてしまいました。中国の22省・4直轄市・5自治区に香港・澳門・台湾地区について夫々数頁を割き莫さんの目で見た、そして資料に基く解説がつけられており、大変判りやすい内容で、一晩で一気に読んでしまいました。
初版本は2001年12月、これが第六版ということもあり、若干情報としては古くなってはいますが、紹介された省や自治区についての風土やものの考え方についての記述は今でも大体そのままだと思います。(莫 邦富さんは上海の人ですので、やはり北京には厳しく・上海には甘く、といった感がありますが、これは仕方ないことだと思います。)
この本を読んでいて、ふと今回のテーマが決まってしまいました。
【数回目の出張で単身での中国国内移動を経験】
私が中国の営業をするようになったのは十数年前のことで、毎回出張をすると中国に十一あるビデオの製造を認められた「定点工場」を2週間で巡らねばならず、かなりハードな日程でした。最初の数回は日本の中国を担当する地域本部の営業課長や主任などと一緒に巡回をしていたのですが、そのうちに、「もう道筋も覚えたでしょう?空港の乗り継ぎなども数字さえ注意していれば、目的地の空港には事務書員を迎えにやるので安心ですよ。」と段々と冷たくなり(?)、確かに現地の事務所の人がピックアップに来てはくれ、通訳もしてはくれるのですが、各空港での待合室等では大変緊張をしたものでした。
私はこの対処方法として、空港内部の見取り図を「トイレはどこ、安全検査はどこ、待合室の椅子の配置はどうなっているか。必要な書類は何をどこで出すか。費用はいくらか」など情報とともにノートにびっしりと書きとっておきました(これは後で工場の班長さんや職長さんに単身で中国入りをして戴く時の一種の旅行指南書として役に立ちましたよ。旅行代理店の本や地図にもない情報満載でしたから)。
【タテ飯の宴会に一人代表として座らせられ】
いざ、先方との会議では、現地の所長や雇員さんが通訳をしてくれて助かったのですが、困ったのは夜の宴会。横飯(英語の食事)は何ともない私でしたが、当時中国語は殆ど話せず、かといって黙って座っているわけにもいかない縦飯(中国語の食事)では、いつも通訳が脇にいてくれたので、「我が社には○○という考えがありまして」とか、「我が社の歴史上でこういうことがありました」などといった会社の紹介や「わが国の諺で××××」といった日本の文化や言葉の紹介を通訳つきでやることで、そのホスト役を何とかこなしていました。
ところが、ある工場での食事会で、スタッフから「Gongbenさん、今日は日本の人は先生一人になりました。少しは中国語だいじょうぶになりましたです。だから今日はあの卓のホストをお願いします。」といきなりポーンと真ん中のテーブルに座らされてしまいました(日本人の責任者が別件で急遽こちらに参加できなくなった)。
「えっ!うっそぉ!」と言いながら、仕方なくテーブルに着くと、それまでの交渉で相手方の代表だった人たちが、にやにや(決してニコニコではない!)しながら「Gongben今晩は没問題?」と言ってくる・・冷や汗がわきの下にビッシリと・・何せ「おいしい(「好喫」しか知らず「好渇」を知らなかった)」と、「没問題」「有問題」ぐらいしか知らない状態といっても良いほどのレベルでありどうしようかとあせりを感じたその時!
【よし、ならばこのテーマで盛り上げよう!】
ぱっと閃いたのが、「お国自慢大会」でした。皆さん各地からの出身者が多く、10人前後のテーブルで夫々のお国自慢を聞かせてもらえばあっという間に2時間は過ぎる筈、と読み、急遽提案をしたところ一同大賛成!「◎×先生の出身地はどこですか?」を連発して、知った土地であれば「ほう、そこでは料理が美味しいのでしょうか」「あ、そこなら白酒有名ですね」「私もマーボ豆腐大好きです」などと言葉を返すと一人10分どころか30分も話し出す人がでてきて、2時間半をすぎてもまだ足りない!・・
私の役目は「知ってる知ってる(知道Zhidao)!」「へぇ〜そうなんですか」と相槌を打つぐらいで済み、参加した彼らも大満足、自分に順番が回らなかった幹部からは「Gongben、次回はいつ食事するか?」と妙に期待されてしまう結果となりました。
【でも毎回とは行かないので・・学習を】
結果オーライでしたが、その時に「これ位はやっておかないと恥をかくなぁ」と感じたことを列記します:
1)今の日本、自分の会社については話ができるように日頃から勉強をしておく
2)観光地についての質問を受けたり話題になったりするのでその簡単な説明ぐらいできるようにしておく
3)日本の歴史・政治と中国との関係などについても勉強しておかないと、彼らの方がよく知っていて恥をかく
4)遣隋使や遣唐使について、鑑真和尚、孫文といった人についての知識ぐらいは知ってお