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元中国駐在員の「日中徒然草」

メールマガジン【技術者のための中国語講座】で書いていただいているGongbenさんのコラムをまとめました。

中国駐在時の貴重な経験を元に、時には辛口でコラムを書いて頂いております。

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45. 日中間この一年とマスコミの責任

Gongbenです。みなさんニイハオ!
光陰矢のごとしとはよく言ったもので、今年もあとわずか、今東京から大阪への新幹線の車内で起稿しています。今回が本年最後のコラムになりますが、この一年間、お付き合いいただきまして大変ありがとうございました。この一年間私が綴ってきたものを振り返ってみると、「日中徒然草」のタイトルに引っ張られてどうもテーマに芯が無かったように思い、しきりに反省しています。コラムを書き出した当初は、駐在をしている人に一番共通の「日本に座っているだけで中国の実情を理解しようともせずに日本や米国のやり方を押し付けようとする、そういう人物には中国の仕事について偉そうに語れる資格など無い」という思いが強く、その線で続けようと思っていたのですが、途中で色々な方向に脱線してしまったようです。

駐在していると見えてくる「日本人出張者の対中国、対アジアへの蔑視感」について「これでよいのか、よいはずはない」というもの。『女性(複数)を囲っていることをタクシーの運転手たちに自慢』したり、同じマンションの日本人たちにも挨拶もせず、『オレは商社マンだ』と威張り散らかし、日系企業からも、現地のホテル従業員や保安の人たちから嫌われているM社の商社マンたち」といったものに対し、「お前ら何様だと思っているんだ、のぼせ上がるのもいい加減にしろ」という憤りを感じていたところに、自分の社内で、元二流商社の中の「掃き溜め部署(庶務二ではありません『ショムニ』の登場人物たちは皆素晴しい人間性を持っていましたので・・)」に置かれた人間の最後の自己顕示の手段として“商社と付き合っていること”が自分のステータス或は自慢だとばかりにその付き合いを吹聴し、最後には事もあろうにその商社と組んで仕事をやりたいなどと言い出したことに危惧を感じたことを綴ったもの。

小泉さんの軽率な言動が対日感情を悪化させているということで日本政府を批判したもの、サッカーのアジアカップで見せられた日本への悪感情というか怨嗟の念を危機だと感じた直後にアテネで日本選手の好演技に惜しみない拍手を送ったアメリカ体操チームへのフェアプレー精神に感動した、というものなど色々な方向にばらばらに進んでしまったものだなぁ、一貫性がないなぁと今は思っています。

また中年おばはん連中を中心にした韓国芸人へのべたつきぶりに『お前ら阿保か?!年齢を考えろ』といいたくなる気持ちを『韓流』というのはそもそも『漢流』のもじりであり、この親韓反中国を煽ったのが視点の低い日本のマスコミたちだ、というものもありましたねぇ。。と考えてくると、当初の、日本人駐在員に、或は留学生たちに警鐘をならそう、より有意義な駐在をしてもらおう、中国をもっと理解してもらおう、「日本よしっかりしろ」、「日本人よ言動には気をつけろ」といったスタンスで書き出した思い、それを維持することができなかったのではないか、と反省することしきりです。

毎回A4一枚程度に10.5ポイントで作文をする、ということは確かに大変なことですが、私は自分を磨く上でもよいことだと思っています。その昔、宣伝部門に居た時にコピーライターの糸井茂里さんが広告のコピーライターになりたければ、一つの手段として「同じ人にはがき一枚の作文をして毎日送り続けてみなさい。大変よ」と仰ることを聞いたことがあり、チャレンジを試みたのですが3日目で断念したことがあり、心のトラウマになっています(汗)。はがき一枚もA4一枚もたいした分量ではないのですが、それを「続ける」と言うことの大変さを感じました。私は自分のHPをもっていたのですが、メンテナンスするのが大変で、放置されっぱなしになっています。一方、編集長の途夢郷さんは、ご自分のHPを幾つかお持ちの上で週3回もメルマガの編集もされ、時にコラムを書かれている。これは凄いな、ご立派だなと思います。(爪の垢ください!煎じて飲んだりはしませんから・・)

来年は、心機一転して文体も変えてみようかな、テーマについても何回かの連続ものにしてみようかな、或は長文のコラムを先に書き上げて区切りのいいところで分割発行にしてもらおうかな、、、などと少し知恵を絞りたいと思います。今日から始まる冬休みを利用しまして。最後になりましたが、私の駄文を編集掲載して戴いた途夢郷さんだけではなく、コメントを戴いた皆さん、そして毎号私の駄文に付き合っていただいた皆様にお礼を申し上げるとともに、来る年『2005年酉年』こそは、幸せで有意義な年になりますようお祈り申し上げ、年越しのご挨拶とさせていただきます。

新年快楽!(大津波の被災者の皆さんには大変申し訳ありまへんが堪忍してやってください)


44. 日中間この一年とマスコミの責任

皆さんニイハオ!Gongbenです。
今年ももうあと僅かですが、皆さんにはどんな一年だったでしょうか?申年生まれの私の一年は、、、仕事上でもプライベートでもなんらの成果もなく、終わってしまいそうです。入札をしても結果がでるのは年を越す、二次審査までいった案件もその結果は来年まで越冬冬ツバメ・・単身赴任で家族サービスもままならず、一ヶ月に一回大阪に帰りキャッチボールをしてやったり、ボーリングやバッティングセンターに連れて行ってやったり、はしましたが、普段の学校生活の話をきいてやることや勉強を教えるという機会もあまりなく、という一年でした。来年はもっといいパパになってやらなければと思っています。 実は今日が息子の11回目の誕生日で、単身赴任の私は東京から電話でもかけるしかなく、電話ゆえに相手の表情を見ながら、或はこちらの表情を見せながらの会話もできません。照れ屋の息子ですので、面と向かえば面白いことも言ってくれるのですが、電話で会話をすると「べーつにぃ」という、私の嫌いな表現が帰ってきます(涙)。

先般、途夢郷さんとのメールで11月半ばに登場したのでもう一年になりますね、と言われて知ったのですが、あっという間の一年でした。でも1年は52週間なのに、私のコラムは44回しかなく、6月7月に越南での入札があった関係で、丸々2ヶ月以上欠勤状態であったことを本日知りました。来年の目標は52週皆勤賞!を目指したいですね。

年末になったこの一年の日中関係を省みて見ますと、やはり小泉首相の靖国参拝、アジア大会での中国ファンの対日本戦での打倒日本鬼子騒ぎによる反日感情の熾烈化、脱北者に対するスタンガン使用等の中国公安隊の厳しい対応、中国潜水艦による石垣島領海侵犯事件、など私としてはあまり耳にしたくない事柄があり、漸く日本側が何度も希望しては袖にされていた日中首脳のトップ会談が実現したという(少しだけですが)明るいニュースもありましたね。もっとも二回の首脳会談では日中間の政冷経熱を招いた小泉さんの靖国参拝を巡る諸々の言動に対し、中国側から厳しい指摘をされ、小泉さんとしては指摘されただけで、なんらの前進状況も作れなかったという結果に終わりました。拉致家族の日本奪還時の北朝鮮に対峙した小泉さんとはまったく別人のようで、韓国大統領との九州での会談でも結局は盧武鉉に「北を刺激するな」といわれ、浴衣での砂風呂入浴も「韓国の大統領が日本の浴衣など着られるか」と無視されるし、拉致の張本人である北からは横田めぐみさんの遺骨鑑定については「あれは捏造だ。事実究明を要求する」とまったくたわけた発言を公式にも非公式にもされて、最近の小泉さんは不調ですね。

18日に内閣府が発表した外交世論調査で「中国に親近感を持つ」が過去最低の37.6%、「親しみを感じない」が56.7%になってしまったという残念な結果になってしまいました。一方、中国側がこのデータ発表に呼応して調査した結果では、「日本に親近感を持つ」は5.9%から6.3%に微増したが、「親しみを感じない」が42.2%から53.6%と二年前の調査から10%以上も増えたそうです。日本側としては、あのアジアカップでの中国人ファンの非礼な態度に、中国側としては、(相変わらずなのですが、そして高級政治家の言動に)過去の歴史への反省がない、と夫々が夫々に対して『バッテン』をつけた、という記事が載っていました。

あの、おばはん連中が年甲斐もなく追い掛け回して怪我人もだしたという韓国人芸能人のおかげか、「かんりゅう」が「本来の漢流」ではなく「韓国の韓流」という日本のマスコミの『イミテーション造語』に踊る日本人の知識レベルが影響しているという見方も紹介されていましたが、大変残念です。私としては、相手の感情を逆撫でしたのは日中双方が夫々に「大人」として反省しないといけないと思いますが、それにしても、日本のマスコミのレベルが低いということが不幸の源になっていないか、とますます、マスコミのスタンス、あり方について疑問がというより強い危機感を感じだしています。

「たかが」と言っては大変失礼とは思いますが、サッカー選手やなよなよとした韓国芸能人に『○○様』などと様づけで持ち上げてみたり、何かその人にことがあると今度は手のひらを返したように様付けで呼んでいた相手を極悪人のようにけなしてみたりし、一誌(紙)、一局が先鞭をつけると他誌(紙)がそれを更に増長付和雷同してゆくマスコミ。一体彼らマスコミ人には自分の視点、不易のビジョンというのがないのだろうか、一般の人間というのは愚かなもので、マスコミによって踊らされる、だからこそ「ペンは強い」のではないだろうか、と強く感じたこの一年でした。

ではまた来週!


43. 最近のマスコミに思うこと

Gongbenです。皆さんニイハオ!
私が中国の仕事に関与するようになってからほぼほぼ十数年たちますが、「ほんの」という形容詞が正しいか否かは別にして、中国の新聞や雑誌の印刷の質が格段に向上した、と思います。昔は(おじさんになるとすぐに「昔は」と口にしますが、ここでは本当に「昔は」です)せっかく美しい広告を作っても、その印刷技術、低い紙質により、本来の美しさが表現されずに苦労したことを思い出しました。製版の段階で、日本の様に細かいものにすると、インクがべたっと乗ってしまい、真っ黒けのビデオの写真(大体ビデオは黒かシルバーですから)になってしまい、ぱっと見ると何か黒い箱があるな、といった感じで、仕方なく製版を少し荒くして対応をしましたが、今度はボツボツが気になり、営業からクレームが。。。「一体どうせえって言うんや!」と開き直りたくなることも何度もありました。

それが、今ではファッション雑誌や、北京ウォーカーや上海ウォーカーなどのタウン雑誌も日本製かと思うくらいに美しいものが街に溢れています。紙質が上質な紙の輸入によりぐんと向上し、印刷についても、当時は「ドイツの印刷機を持っている」『だけ』で、メンテもなされておらず、技術者もいい加減でしたが、十年たてばやはりしっかりと中国に根を生やした感じです。また、昔の新聞は人民日報、羊城晩報等も紙面が見開きで全四頁などというものが多く(今もかな?)、記事もあまり面白いものがなく、テレビ欄などは、折り目のところに縦に一列ちょろっと記載されているだけでしたし、テレビ放送局も番組表どおりにはオンエアーしない。

いつ始まるか、いつ終わるのかひやひやしながらのもので、タイマー録画などしたら、日本の夏と同様、見たい番組が途中で尻切れトンボになっていたりしました(日本でも夏場はあのプロ野球のシーズンで、名画劇場やサスペンスドラマなどでは冒頭の重要なシーンがカットされていたりしてむっとすること良くありますね、それと同じでした)。「番組は面白くないし、時間通りには放送がなされない・・・」そんな状態でしたので、ビデオを使ってタイマー録画をするのではなく、誰かがとったビデオをダビング(勿論違法です!)してそれが巷に出るので録画機能なしのビデオつまりビデオカセットプレーヤ(VCRではなくVCP)というのが主流になってゆき、ハイファイビデオは「帯カラオケ効能」というフィーチャーで馬鹿売れしたのですが、それもVCDビデオCDが出てきてからは衰退してしまいました。90年ごろのビデオの需要は200万台近くあったのに今ではもう数十万台もあればよいほうになってしまい、VCDに駆逐された中国市場になっています。

さて、先ほどテレビも新聞も面白いものがなかったと書きましたが、テレビについては日本・韓国・台湾のメロドラマやバラエティショー、クイズ番組、漫画が中国語に翻訳されていたり、中国版にリメークして放送されたり、バラエティにとんだ内容になってきてはいます。但し、『笑える』というのと『面白い』というのは違うもので、笑えなくても内容的にとてもよい番組もあるはずです。で、新聞は?どうなんだろう、日本に帰ってきてからはあまり中国の新聞を見る機会もなくなっているのですが、どなたか教えて頂けませんでしょうか?日本では、ただ『韓国から来た』というだけで四十・五十台のおばさんたちが節操もなく馬鹿番組としか言いようのないメロドラマ、ソープドラマを見て涙を流したりしています。

また、『関西人イコール馬鹿』とでも言わんがごとく、『さんまの馬鹿面』が下品かつ下手くそなだじゃれとともにもてはやされ、何を話しても全て『滑って』いるあのダンディ坂野という漫談師がテレビに未だに出続けている、オカマだということだけが売りで何の芸もない人がかばちゃんとか言われてちやほやされていることがマスコミの自覚を失わせているのかもしれません。大衆の責任もあるかもしれませんが、いい曲を貰っているだけで歌を歌ったら「ド下手」のグループ(私は彼らを下手な音楽漫才グループだと今でも信じています)のSMAP(コマーシャルに使いたくる企業も悪い)を安易に起用し、昨日まで持ち上げていた政治家をある日から急旋回して「悪の権化」のようにしてしまうテレビ・週刊誌の利益第一主義の報道。例を挙げれば枚挙にいとまありませんが良い番組がどんどん減ってきているような気がします。『悪化は良貨を駆逐する』とは言いますが、『悪番組が良い番組を駆逐する』と置き換えても違和感がないな、と痛感しています。 マスコミが低俗化しているからあんな番組ばかりなのか、視聴者が低俗化しているからマスコミがそれに迎合しているだけなのか、『鶏と卵』どちらが先なのかというのと同様、判断に戸惑ってしまいます。何もクラシック番組だけを流せば良いといっているわけではなく、番組の粗製濫造をやめるべきでは、と思っているわけです。 中国のCCTV(中央電子台)でも農業番組や自然紹介番組等、じっくりみればよい番組も時に流していますが(ちょっと退屈ですが)、最近はそれ以外のBTV(北京放送)などもおしなべて俗悪化しているように思えなくもありません。

さて、この週末に名古屋に出張した際に購入した徳山善雄さんの『報道危機』という新書を読みはじめました。911の報道(愛国主義を煽り立てるもので「なぜアメリカが嫌われるのか」についての報道がなされていなかった)によりアメリカの報道システムが崩壊した、とか日本のテレビ報道が池田小学校事件の時前後から市民から嫌われ、政府・市民対報道という図式に変容しつつある、本来市民を守る報道がそっぽを向かれている、といったことに危機感を抱く著者は朝日新聞阪神支局で友人を失った記者ですが、その主張するところはテレビも新聞も「マスコミよ、リ・ジャーナリズムを目指せ」というものです。この本はとても読みやすくあっという間に読み進める本ですので、一度手にとられては、と思います。

今週はここまで、
ではまた来週!再見!

●報道危機、リ・ジャーナリズム論
http://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=IC8L5+DVIPBM+1N6+67JUB&URL=http://books.rakuten.co.jp/afa8/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1567000
著者:徳山喜雄
出版社:集英社
本体価格:680円


42. 「マニュアルより真心を」のミスタードーナツにて

皆さんニイハオ、Gongbenです!
前回書いた親指の怪我はもう良くなりました。ご安心ください。昨日、月曜日は水曜日に控えた部門忘年ボーリング大会のリハも兼ねて、3ゲームほど投げてきましたよ。1960年代後半のボーリングブーム(須田佳代子・中山律子・並木恵美子の女子トリオが大人気でした!)時代の私は母弟と早朝ボーリングをした後、登校をしていた不良(?)中学生でしたが、その当時と比してぼろぼろの成績で(当時278点を出したのが最高、その後は200点前後に低迷し、最近は180点が出ない!北京や南京でなげるとなぜか200点近くまで上がるのはレーンが短い?んな訳はありません)、よる年波には勝てないと痛感しました。

さて、先月末に大阪に帰った際、カンフーの練習から帰った息子と自宅近辺のミスター・ドーナツに行き、おやつを一緒に食べる機会がありましたが、そのときのことを少しだけ書いてみます。ミスター・ドーナツ香里店は大阪と京都を結ぶ京阪電車の香里園駅から徒歩五分ほどのところにある、結構歴史の古いお店で、店番号は0003、つまり1970年に大阪北部の箕面市に一号店が開店してから三番目のお店です。今は落ち目のダイエーのすぐ傍らにありますが、土日でも人のいないダイエーとは対照的に、大体いつ行ってもお客さんがあふれているお店で、北京赴任前にはよく家族でおやつを食べにいったり、買いに行ったりしていました。中国にも進出されるという噂も数年前にはありましたがその後出店されたのかどうか、、どなたかご教示ください。実は私は遥か昔に主任試験を受ける前の研修として江坂にあるダスキン本社を訪問する機会を得、色々とそこで同社の歴史や経営に関するお話をお伺いしたことがあります。その時はじめてお聞きしたのが、

1)同社では新入社員の訓練として、京都の民家に「ダスキンから参りました。お宅のトイレ掃除をさせてください」と飛び込みで清掃をするという制度があること。
2)ミスド(大阪では中国人のように長い言葉は「百均(ひゃっきん):百円均一」の様に略して呼びます)がダスキンの系列会社であること。
3)ミスドで24時間営業をしたのは、「朝刊の新聞配達員の方にも暖かいスープや甘いドーナツでほっとする一息を提供したい」との判断からだった、その後24時間経営は効率等を考慮し是々非々対応するようになったこと。
4)ミスド各店舗で働くスタッフは、パートの方も含めて就業前に店の周りの掃除をする、それも無給で、という慣わしがあること。
5)(当時流行っていたマニュアル経営に対し)ミスドでは非マニュアル対応で「真心のこもった」接客をしていること。

等でした。今回、香里店のアルバイトの方がコーヒーの「お替りサービス」に来てくれた際に、4)と5)について質問をしてみました。4)については、今でも出社前に掃除をされているそうです。5)のマニュアルについては、『基本的なマニュアル』は存在するが、実地での接客対応についてはやはり笑顔と真心を中心に対応をされているとのことでした。ミスドの各メンバーが夫々の持ち味を発揮し、いつでも明るく接してくれている秘密、それは『マニュアルには書かれていない真心と笑顔』であり、創業当時からその精神が受け継がれている、それも正社員ではないパートの方も含めて、時を越えて継承されていることに深い感銘を受けました。

同じ米国から日本にやってきた企業同士ですが、あのマクドナルドが『何でもかんでもマニュアル対応』だったこととは対照的ですね。私の勤務先でも口を開けば「マニュアルがいるな」「マニュアルがないからだめなんだ」といったことを言う上司や同僚(これもアメリカ帰りが多い)が多かったですし、今もなお「マニュアル崇拝主義者」が闊歩しています。工場の製造指図書や、設計仕様書、パソコンを使った業務の標準化など技術がらみのものは確かに「マニュアル」が必要ですし、マニュアルを全否定するつもりは毛頭ないのですが、「マニュアルを作ること」が目的になってしまい、作成してしまえば「はいこれで終了!」と、『誰にも読まれない本』を机の脇に放り出しているのが現状であってみると、結局何の意味もない資料を作成するのに多大な時間と金を浪費しているとのそしりも免れません。そして誰もそれを非難しない。

営業においても「電話応対マニュアル」や「接遇マニュアル」というものを準備している会社も多いけれど、実践しなければ何の意味も持たないし、書かれている内容について説明をしたりそれを巡って意見交換をしあう、そういうことがなければ「当社はちゃんとマニュアルを持っています」という会社の『言い訳』や責任逃れにしかならない、ということに気づいている経営者は何人いるのだろう。そもそも携帯電話やパソコン購入時のマニュアルを(個人が独力で)全て読んで全て理解しているなんていう人はこの世の中にいったい何人いるのだろうか。。。無駄な費用をかけて「当社の使用説明書に書いてあるのにその通りに使用しなかった客が悪い」という為のマニュアルって意味があるのだろうか、、従業員がきちんと教育されていれば自然と真心と笑顔で応対できるようになるのでは? そんなことをいつも感じています。

ちなみに、ダスキンの方からいくつかの資料を送付していただいたカバーレターの末尾に、『以上○○の資料送付致しますのでご査収ください。合掌』と書いてあったのですが、違和感よりも、お客様に手を合わすという意味での「合掌」であろう、とその『行間』に好意的に受け取った私です。では来週まで、再見!


41. 指に裂傷を負ってしまって

皆さんニイハオ、Gongbenです!
昨日抜糸を受けました。20日に怪我をして包帯を巻いた状態だったのですが、順調に推移をしました。先週号のコラムはキーを打つと痛む中で書いたものですが、今週はもう大丈夫、でも内容は「?」です。(汗)実は先週のコラムを書く前、大阪に戻っていたのですが、その際、家内に「いつも帰ってきてはごろごろしてばかりなんだからぁ、たまには洗い物ぐらいしてよね!」と言われ、家内と息子は太極拳とカンフーの練習で、家をあけ、、、そこで親切心を出したのがいけませんでした。「僕が女性だったら絶対してあげるのだけれど、残念ながら僕は男に生まれてきちゃったからねぇ・・・云々」という切り抜け方をするという先輩が居ますが(その人は本当は凄いよい方です)、私は愛妻家というか恐妻家(この中国語ご存知ですよね、皆さんは)ですので、あっさりと引受けてしまいました。昼食に使った食器を洗い、シンクをピカピカに磨きあげ、麦茶のガラスポットがあるのに気付いたのです。キュッキュッと注ぎ口の近くをスポンジでぬぐった途端に右親指に激痛が!!!しまったと思った時にはもう既に時遅し。ざっくりと裂傷を負ってしまいました。直ぐには出血しないのですね、こういう場合には。で、ぱっくり割れた傷口をちょっと左手でいじってみたら、2センチ弱のぎざぎざの傷口からほの白いものが見え、、「ぎゃっ、骨だ!」と思ったのと血が吹き出てきたのとが同時でした(かなり痛そうでしょ?)。

実はその昔(小1の時だったです)、小学校で休み時間に野球をしていてホームランを打ち、フェンスを乗り越えてボールをとりに行こう(打った人の責任だった)として、左手をフェンスの上部にかけ、エイヤッと飛び越えた途端、上部処理をしていなかったフェンスの針金が掌に刺さったままだからだが向こうに行ってしまった為に、手の皮が破れて7針も縫う怪我をしたのですが、その時にも骨を見たと思ったら出血して、、とこれはもうデジャビュです。家族は居ないので管理人さんに土曜の午後でも空いている外科病院を紹介してもらったのですが、「救急車を呼んだほうがよいのでは?」の声を聞いて、恥ずかしさもあったので自分の足で近くの駅前にいるタクシーを捕まえ、救急病院に行きました。

腕を心臓よりも高い所に差し上げ、ティッシュでぐるぐるに指を巻いて、親指の付け根部分の血管を圧迫して。幸い、救急患者として扱われた為、待ち時間殆どなしでレントゲンをとり(ガラスが残っていないかを見るそうです)、先生が見てくれました。「こりゃ結構深いねぇ」という先生に、「お願い!12月8日にボーリング大会があるので、それにでられるようにしてください!」と頼んでみると「了ー解」といいつつ、「じゃ、縫合しましょ。ちょっと麻酔打ちます。ちくっとしますよー」と針を傷口に。「うっ」と呻くのは一度で済むと思ったら、これも甘かった。傷口の周りに何度もぶすっぶすっと打つのですね。もっとも何度か呻いたら、その後は薬が効いてきて、痛くも何ともなかった。いやぁ、医学って凄いです。黒い糸で編み上げ靴の靴紐のように傷口を編み上げていく先生は、「ほいほーい」と鼻歌交じりでした。。

そして保険証がないのでほぼ2万円を払い帰宅(歩いて30分!)しましたが、よく考えてみると私の怪我は全て東京でやったものばかりということに気付き、中国では怪我しなかったなぁ、と胸をなでおろしました。でも2万円って高いですよね、人民元だと約1500元ほどですか。。以前北京から成都に出張時の宴会(昼の部です!)に急病(実は過労でしたが)で倒れた時に、成都人民病院に担ぎ込まれて血液検査をして、問診と聴診器をあてるなどしてもらい、最後に点滴を2時間コースで受けたのですが、その時支払ったのはたしか140元ぐらいだったかと思います。保険がきいている値段ですね。もしかしたら以前書いたかもしれませんが、その病院で日本人が来ると言うのはかなり珍しいらしく、点滴を受けるため横になっている私の部屋に、掃除人らしきおばちゃんがやって来て「ズーベンレン?ズーベンレン?(成都の方では日本人:「Ribenren」がこの様に聞こえました)」と質問してくるので、そうそう、と応えるとそのおばちゃん、すぐに部屋をでて、5分ほどすると見知らぬ人をつれて戻って来ました。その友人か知人かわからぬ人がまた私に「ズーベンレン?ズーベンレン?」とやりだす。次は、白い割烹着ではないかと思われる服装のおじいちゃんもやってきて、小半時間もするとなんと私は、総勢9人もの病院関係者か患者さんか判断のつかない人たちに囲まれていました。そこにお客様が宴会を途中で抜けて様子見に来てくれたり、で、点滴の針が抜かれる所まで見ている人もいて、「おーっ」とか「わーっ」とか歓声を上げるのです。絶対に変ですよね・・。でもそんなときの彼らの表情は皆柔和な感じがして、決して不愉快ではなかった、と記憶しています。

もし、日本の病院で、点滴中でも治療中でもよいですが、見知らぬ人たちに取り囲まれ、質問攻めに会ったら、きっと「出て行ってくれーぇ!」と悲鳴とも着かぬ声をあげてしまうかもしれませんが(そんなこと日本では起こり得ませんね・・)、成都の人がよい感じなのか、私の昔のお客さんのうちで、成都の工場が一番・二番を争うほどよいお客様だったから対成都の印象がよいからか、私はなぜかリラックスできました。因みに『点滴』と聞いて「その針は大丈夫かぁ?!」と馬鹿な質問をしてしまったのもその時のことでした。


40. 海外研修生制度帰国したらさっさとグッバイ!

皆さんニイハオ!Gongbenです。

【交通の便が悪かった時代の『洋行』】
先週ある民放のクイズ番組で、「コロンブス・ペリー・ザビエル・鑑真のうち、一番若くして日本に来たのは誰?」という問題がでました。答えは「ザビエル」でしたが、当時の交通事情などを考えると、さぞかし大変だったことだろうと推測します。時代が明治・大正・昭和と移っても、やはり日本から出るというのは大変なもの。森鴎外や、夏目漱石ら明治大正期の作家や政治化たちが欧米に留学・赴任したことは有名ですが、その頃は交通の便も現在と比して大変に不自由(船旅でとなるとまさに『洋行』と言う言葉がぴったり?)ということもあり、国や企業は大きな期待をかけた人のみを送り出したものでした。また当該者が任地に赴く際には「天下国家のため」という強い思いをもって赴任されたとか。遣隋使・遣唐使の頃とは事情が違っても、やはり洋行をする人、或は外地に出る人というのは本当に「エリート」だったのでしょうね。最近は中南米やアフリカなどは別にしても、大抵の地域にはジェットで一っ飛びでいけるようになり、随分と出張も旅行も楽になってきたものですね。

【海外研修制度は採用PR材料に・・】
扠、時代が昭和になり、企業人材の海外派遣も盛んになり、入社して間もない人でも「海外研修生製度」で海外に赴ける、というのは今ではかなりの企業でも行われるようになってきています。また、そういう制度があるということを新卒採用時のPR材料とする企業も多くあります。多くの新入社員の中から選ばれて海外に出てゆくのですから、エリートという表現もあながち間違ってはいないのでしょうね。彼らの派遣先はもともとは欧米でしたが、今ではそれら地域に加え、東南アジアや中近東、中南米など多岐に渡っています。私の友人も中南米にトレーニーとして赴任したら、いきなり現地会社の社長が誘拐されるという事件にまきこまれた、などと当時の話をしてくれましたが、行く先々で様々なドラマが展開されている様です。

【海外から帰国後、『即』退社する社員も増加】
会社が「これは」と思った人材を海外に研修にだし、期限が来て日本に戻った彼らに「これから頑張ってもらおう」と思った矢先に「私やめます」と会社に三行半を叩きつけて辞めてしまう人、これって裏切り行為では?と思わないでもありませんが結構多いようです。「自分の赴任先やそこで学んだこととは全く違うことをやらされるぐらいなら『サヨナラ』しよう」と彼をして思わしめるような人材配置をする会社にも問題があるようです。中国研修生が帰国後の配属職場の雰囲気の悪さに辟易して退社、スペイン研修生が帰国後に会社の対応に不満を持って航空業界に転出、といった事例は幾らでもありますし、研修生ではなく業務で赴任していた先から帰国した後に赴任していた時とは全く違う地域、全く違う仕事をせよと言われて嫌気がさして辞め、自分のもといた赴任地にUターンして別の企業に再就職した人もかなりいます。本人の問題では、という場合もありますが、つくづくその企業の人材育成に関する先見性の無さを感じるな、という場合も多々あります。

【「ご本人の将来の為」と言う理由で・・】
そういう場合の会社の言い分は概ね『ご本人の将来の為』となりますが、せっかくその国の言葉や習慣、文化を理解し始め、その国の会社の実情もわかり、「さぁ今後の仕事で活用してみよう」と思っている本人の意思に反し、日本国内市場の『企画』とか『マーケティング』(つまりこの会社ではデスクワーク中心に関連部署の連絡役)をやって欲しいといわれ、私のところに相談に来られた「英語とスペイン語ペラペラ・システム営業大好き小姐」は真剣に退社を考えていました。また、ある一大プロジェクトで東南アジアの某国に3年程のプロジェクトの代表として長期駐在をしているゴルゴ13似の方もその国の現地語(これはとっても難しい!普通語では四声ですが、広東語以上に声調が多いらしい)も話せるようになり、法律や経理にも詳しくなり、プロジェクトマネジメントについても勉強しつつある彼ですが、「帰国後ぜんぜん関係のない仕事をやらされるのなら帰らずにこっちに残りたい、それがかなわなくても親元の仕事にだけは戻りたくない」というメールがマイコンで来ます。それにしても外聞きのよい理由をもって本人が見に付けたものとは全く異なることを本人の意思を無視して無理やりに配置してしまうその企業の人材育成方針(方針なのかなぁ?)にはあきれる他ありません。結果として「本人へのリターンは一杯、会社の膨大な投資に対するリターンは『ゼロ』と言う事態」に。

【企業への社員のロイヤリティの低下】
昔は会社に就職するからには良くも悪くも会社と一心同体、と会社に対する忠誠心も高かったのですが、最近ではアメリカ式に「会社は従業員の為にあるのではない、株主のためにあるのだ、とばかりに社員の首切や早期退職を本人が「ウン」というまで迫る経営者」に対し自分を守る方が優先というロイヤリティゼロ社員が増え続けています。さまざまな人とお会いし、お話を伺い、ご相談にのっているうちに私にもその彼らの気持ちも判るようになって来ました(私自身、元々はかなり古いタイプの人間でしたが・・)。『若い人が年寄りに給与で勝てる』パッと見はよいが、実は昔に頑張って会社を大きくしてくれた人も年とともに段々とパワーも落ちてくる、それを支えてくれたのは日本式経営のよいところでもあったわけでそういうことは「(先輩社員には)一旦忘れてもらって」近視眼的に今自分の会社の数値だけよくなりゃ実態はどうでもいい、そういう経営者が増えてきているような気が強くします。勿論本当に年だけとって何の貢献もしていない人もいるのですがね。。ですからその辺の兼ね合い、バランスが難しい。何でもかんでもアメリカが正しく日本が間違っているというのは言いすぎだと思うのですが、最近は「退職金なんてあてにならないから、先に給与で貰いたい、嫌になったらバイバイ!という人を増やすための制度」とも陰口をきかれる退職金前払給与制度を採る新入社員も増えています。企業ロイヤリティもさようならです。

【そんな経営者ばかりだから・・】
尤も、ドライに割り切って「人の褌で自分の身に着くものを奪えるだけ奪ってあとはサイナラ!」という手法をとって、「騙された会社が馬鹿よ」と思うというのも一つの考え方ですね。「人を育てるのはその職場の責任で、人事はそのお手伝いをするだけですから」という人事には何らのペナルティもなく、職場の長の責任になってしまうのもなんだか変ですが、そこまで気にしていたらいけないのでしょうね。そんなことを考えていると、今後日本の企業の将来がアメリカ追随の失敗で潰れたとしてもアメリカからは「猿真似するからだ」と笑われるだろうし、この十数年の日本企業の経営の失敗の穴埋めに要する時間も結構馬鹿にならないだろう、ああ日本はどこに行くのだろう、と何だか悲しくなってきてしまいました。

では再見!


39. 元気のない日本と元気な韓国人芸能界

皆さんニイハオ、Gongbenです。
11月初からシドニーに商用で出張していたのですが、なんと会社の情報セキュリティとかのせいで、インタネット接続がままならず、メールもできずに仕事にも影響が出てしまいました。結局その余波で、途夢郷さんにも連絡をできないまま、コラムの原稿も送れずに、お休みをしてしまう羽目になってしまいま
した。 真対不起!

【日本人女性会員1800人の韓国人との見合いの会】
さて、本日16日朝のテレビ番組の中で、「ヨン様をみつけよう韓国お見合いツァー」なるものが企画された、という報道をみました。ヨン様というのは、ペッヨンジュンという芸能人本人ではなく、「韓国人夫」をさす言葉になってしまったようです。この際、日本人女性に跪いてプロポーズをしたり、花束を持って参加した韓国人男性たちがいた、と報道されていました。ずいぶん日本人女性がちやほやされた様で、きっとホイホイと結婚に同意する思慮の浅い女性もたくさんいたのだろうと思って続きをみていたら、「ヨン様とは似ても似つかぬ人ばかり」っとがっかりする女性の方が多かったとか。。実は設立当初は十数人の会員だったのが、今では何と1800人を越える会員を擁する組織になったそうです。まさに韓国ブームです。

【北京で「韓国人みたい」という表現の意味】
実は、何年か前北京出張の際に、「韓国人みたい」という表現に遭遇したことがあります。その女性事務所員は日本語がとても上手な美人で、どんな内容でも大抵はすぐに通訳(時には同通も!)してくれる彼女を目当てに出張してくる部課長が結構いたのですが、オフの際に日本人同士でちょっとした女性談義をしていたところ、「×○さんって韓国人みた〜い」という声が聞こえて来、振り向くとそこにはむすっとした彼女の仏頂面・・・。一同唖然としていましたが、「Shenme Yisi?」と聞き返した私に「韓国人=好色」です、という漢族の彼女はそれだけいって部屋からぷいっと出て行ってしまいました。どうも北京では韓国人は歓迎されていないということをその後何度となく聞かされました。一方上海や天津では韓国人好きが多いということも
私の駐在中によくききました。

【「冬のソナタ」による韓国ブーム】
あの「冬のソナタ」とかいうメロドラマ(というよりもソープもの?)以来韓国ブームが盛り上がったようです。ペッヨンジュンというなよなよとした主人公(そういえば「ハリーポッター」の映画もルックスは女性的でしたね。最近の日本人女性はどうも男っぽい骨太の人には憧れないようです??)に憧れる女性たち(若い人からいい年をした「おばはん」まで)をみていると、何だかあきれてしまいます。わが愚妻も実はあのテレビを楽しみにしていますが、息子と私は、「ママって馬鹿みたい」、「早く終われ早く終われ」、「あ〜男の癖に泣き虫だ!」とチラッとは見ながらも完全無視状態。その時間だけは家族の輪が切れています。

【軽薄じゃないの?】
本当に韓国が好きになっているのか、「冬のソナタ」のペヨンジュンをみて韓国人が好きになったのか、いやベッカム「様」に続く、浅薄なマスコミの「様」づけ報道にのせられた軽い日本人女性が見てくれだけを見て韓国人が好きになったのか、、、。これは難しい問題かもしれない。私は、調子よいマスコミに乗せられのぼせ上がっているだけだと信じたいですね。ちょっとマスコミも軽率、載せられる女性も軽薄、そんな気がしています。

【「韓流(Han2Liu2)」は「漢流(Han4Liu2)」の二番煎じ?】
「かんりゅう」、その言葉を聴いて実は私は「漢流」をすぐに思い出しましたが、これには訳があります。2000年末に北京に駐在初期に、あるレストランで抽選会が開かれ、当ったCDのタイトルが「漢流」だったのですが日本で「韓流」という言葉が作られたのは私が帰国してからのことです。もしかしたら、目ざといマスコミのことですから、それをもじったのではないか、安易な新語だなぁ、、などと思っていますが、私の目からすれば、オリジナルな言葉ではないように思ってしまいます。それだけに「カンリュー、カンリュー」と浮かれているマスコミには苦笑してしまいます。一度これを煽り立てているマスコミの当事者たちの意見を聞いてみたいと思っています。

【え、あの人も?】
二ヶ月ほど前、ある芸能関係に詳しい方とお食事をする機会があり、「最近日本は韓国人芸能人ブームですねぇ。まったく馬鹿みたいに騒いでいるが、」という話題になりました。そのときに彼いわく、「昔から芸能界でもスポーツ界でも名前を変えたり国籍を隠して活躍している韓国人・朝鮮人は多いのですよ。別に今に始まったわけでもないですよ」といいながらたくさんの事例を教えてくれました。美空ひばりとか金井克子、力道山、張本勲夫、新浦(元読売の投手)さんといったところは昔から有名でしたが、そのほかにもF社のパソコンやANA、ウィダーなどのテレビCMに出ている歌謡グループの(実態はコミックバンド)K、その婦人でたかの友梨のCFソングを歌っている元歌手(今もかな)、映画「ピーターパン」で二声吹き替えや風の谷のナウシカの主題歌を歌って今も元気に活躍しているYSといったところが私の記憶に残っています。桂銀淑さんは「かつらぎんしゅく」という落語家がしゃれで歌を歌っていると思ったら、バリバリだったというのも元気の方の一方。それに引き換え、最近は男性でも女性でも日本人歌手、芸能人で本当にいい人うまい人が出てこないのがなんとも寂しい限りです。加油(Jia1You2:頑張れ)日本人!

では来週まで再見!


38. 新潟県中越地震激震で我家のテレビが棚から落下しました

Gongbenです。みなさんニイハオ!
先ずもって、新潟県中越地震で、被災された皆様に心よりお悔やみ申し上げます。この23日の土曜日の夕方、私は両親の実家のある越谷市(埼玉県)におり、父のパソコンの調子が悪いとのことで、父と一緒に修理に当たっていました(まあこれも70歳を越した父への親孝行の一つですが・・)。何か自分が揺れているような気がし、月曜から引いていた風邪のせいでふらついているのかな、と思った刹那、ぐらぐらっと家(築後三十数年のあばら家です)がゆれだし、「地震だ!」っと私が叫んだ瞬間に、机の前の書棚にいれてあった14インチのテレビが棚から落下してしまいました。すぐに母が一人でいた階下に降りてテレビをオンにし、NHKに入れたところ、臨時ニュースのテロップが流れ、報道番組に切り替わりました。

各地の震度情報では、越谷周辺は震度3となっていましたが、「あれは震度5はあったよねぇ。棚からものが落下するのだから」などと話し合っていたところ、再び余震がきて、次のテロップでは、越谷あたりでは震度4となっていました。「二発目の揺れが震度4なら絶対に最初の方が揺れていたはず、どう考えても震度5或は震度4強だ」と我が家内部では意思統一。「それにしても新潟の方大丈夫かねぇ。一度目だけでも十分に大きいけど、大きい余震が続くと大惨事に成るぞ」などと言いながら目はテレビ報道に釘付けでした。

家内の実家のある能登半島の珠洲市(石川県)地方では、初回の震度が5と出ていたので、心配になり、実家の電話を回してみても「ただいまこの地域は電話が混雑していて繋がりにくい状況です」というNTTの案内がながれたり、繋がって呼び鈴がなっても、誰も出ない・・・もしや家屋が倒壊して、両親が下敷きになって、電話だけがなり続けているのでは、、、と気が気ではなく、家内に電話をかけて「関東からは繋がりにくい。携帯から、それでもダメなら隣のマンションの公衆電話を使って連絡を取れ、同時に金沢の妹さん夫婦にも電話をしてそちらは大丈夫か、確認しろ」と頼み待つこと半時間。漸く、家内から「両親は金沢の妹夫婦の所にたまたま泊りがけで遊びにきていたので両方とも無事だった」と連絡が入り、今回被災された皆様には大変不謹慎な表現ですが、一先ずほっと胸をなでおろした私でした。

地震発生が17時56分(マグニチュード6.8)、59分(M5.3)、18時3分(M6.3)、7分(M5.7)、11分(M6.0)、34分(M6.5)と、テレビ各局の報道番組の時間であったこともあり、つぎつぎと飛び込んでくる被害の広がりに、あの、阪神大震災(95年1月17日未明)の時の被害の拡がりを感じてしまい、その際に、飛行機の中で知り合って以来お友達になった日本航空のシニアチーフパーサーの方や、スチュワーデスさんが倫敦やケアンズからわざわざ国際電話を頂いて心配して頂いたことを思い出し、海外で知り合いになった日本人の方で、甲信越出身の方が居らっしゃらなかったかな、と思い出しながら、立て続けにメールを送信してしまいました。幸い、北京で旅行会社に勤めながら、現地の方と結婚され、とても可愛い息子さんをご出産された方からは、実家は山梨で、かなり激しく揺れたけど、みな無事でした、といったメールが多く、こちらも一安心。関東地方には東北や北陸ご出身の方も多いので、このメールマガジンの編集人をなさっている途夢郷さんにもメールを差し上げましたが、奥様のご実家が同地方にあるとのことで、さぞかしご心配のことだと思います。また、途夢郷さんによると、よくTIPSをお寄せいただいているMさんが長岡市にご在住とのことで、ご無事でしょうか、大変心配を致しております。

扠、普段私はマスコミの浅薄な対応や分析、身勝手な報道姿勢について不信感を強く持っていましたが、こういう大事件・大災害が発生した時にはやはり報道機関というのは頼りになるものだな、チャンネルがいくつもあるのは角度を変えて同一事件を捉えることができて便利だな、と今回非常に強く感じました。最もテレビ東京では「秋の日本列島どんぶり旅」などというノー天気な番組を流し続け、私は心の中で「なんと非常識な放送局!」とばってんマークをつけてしまいまいしたが。。。特に、NHKは、海老沢会長のNHK私物化・職員の不正など問題が山積みではあるものの、今回いち早く報道をし、報道特番を流し続け、教育テレビとFM放送を使い「被災者へのメッセージ」放送をするなど、公共の報道機関としての面目を一新したような気がします。海外にいてもこういうときに一番頼りになるのは、NHKの衛星放送などだと思います。

今回の地震発生から三日目の夜になる今(25日深夜起稿)、26人が亡くなられ、更にご家族3名が行方不明との報道が先ほど入りましたが、雨が降り始め、寒さも一層厳しくなる中で、暖かい家で夜を過ごせずに車やテントで余震の不安がまだ残っている被災地の皆様が一日も早く安心できるようになることを心よりお祈り申し上げます。このメールマガジン読者の皆さんも何でもよいですので何か一つ被災地の皆さんにしてあげられることがないか、考えてみていただけませんか?新潟県災害対策本部出納部というところに不要な毛布や「ほっかいろ」の様なものを送付する動きをメルマガの読者が団結してとれないでしょうか?私は少ないながらも早速明日にでもネスカフェの空瓶に入っている(本来は大阪に帰るときに息子にあげるお小遣い用に貯めていたものですが)小銭の塊りを義捐金として送付手続をとるつもりです。

中国では昔唐山地震という凄い地震がありましたが、小泉さんのお陰でギクシャクしている日中関係があるものの、民間レベルで日本海を越えて皆で支えあえれば、と思います。今回は、西武の12年ぶりの優勝について書きたかったのですが、敢えてそれを見送り、今回の地震に関する内容にしてしまいました。
では来週まで再見!


37. 上海人の六割は反日感情を持っている?

Gongbenです。皆さんニイハオ!
この週末、またまたパリーグのプレーオフ第二ステージは盛り上がりましたね。ダイエーも、西武も最後の最後まで本当に頑張って死闘を展開してくれました。私は札束で選手の顔をパシパシとやる西武は余り好きではないので、ダイエーに最後の花(もしかしたら来期はダイエーがなくなるかも知れませんので)を飾って欲しかったのですが、敗れた王監督が優勝監督の伊藤さんのところに自分の方から握手をしに行った姿は凄く印象的でしたし、インタビューを受けた伊藤監督も相手を小馬鹿にしたようなニヤニヤ顔ではなく、本当に嬉しいというのが良く伝わってきました。 これから中日と日本一をかけて戦うことになるのですが、野球は読売のセリーグよりもパリーグの方がドラマティックだと感じさせてくれた日本ハムやダイエーの選手たちの願いも込めて今回は西武を応援したいなと思っています。

さて、10月6日の第269号私のコラム(あるアメリカ帰りの『営業』課長)の書き出し部分で、テレビ朝日のサンデープロジェクトに関しての記述をさらっと書きました。「日本を嫌いだという中国人が6割もいるというリサーチ」と。。この調査とは、中国の人の意見というよりも上海の調査だけの結果(一応上海での調査結果とは断りを入れていましたが)であり、決して中国全土での、或は主要地域での調査結果ではないのです。テレビ朝日のというよりはその際の出席者の調査ですが、なんとも浅い調査だなぁと思ってしまいました。私の否定する、「どこかの都市だけをみて全中国という物事の捉え方」の浅薄さに呆れたという方が正しいかもしれません。

小泉首相の靖国参拝の固持という姿勢に対して快く思っていない中国の人が多いことは事実で、銀座のクラブに働く女子大生たち(20歳〜26歳)に聞いてみても、それは快く思ってはいないのですが、日本が嫌いかときくと、嫌いなところもあるけれど、来てみてよかったところもいっぱいある、との意見もでました(私の情報網はこの辺の小姐たちからの情報も結構あるのがばれてしまいそうですね!)。ただし、一つだけ私の北京駐在時代に上海の友人から聞いた言葉が記憶に残っています。それは、「上海に居る日本人は嫌われています。彼らは中国人に対して尊大な態度をとる人が多いです。大阪弁でまくりたてて、柄の悪い人も沢山いるですね。なぜあんなに偉そうな口の利き方をこちらの人に対してするですか?私たちには理解できないよ。北京の日本人と上海の日本人は全く別人みたいだ。」という発言です。

北京上海広州はおろか、西方地域や東北地区によく出張で出かける私の友人からも、「上海では日本人を嫌う人が多いので気をつけてくださいね」と赴任当初に一緒に上海に出張した際にぽろっとアドバイスを受けました。「何故?」という私に対する彼の言葉は大阪出身の私にとってはショックでした。「北京には大企業からの駐在員が多いですし、政治の中心地ということもあり、日本人はそれなりに相手の国に対して敬意を持って接する人がおおいのですが、上海にはまともな人もいるけれど、日本で食い上げてやって来た、所謂『裸一貫』でやってきた人がぎりぎりの状態で生活をしていたり、大阪のヤクザが人身売買のために来ていたりしていてぎらついているから、と言うのが主要な理由ですかねぇ。日本人学校でも生徒のタイプが違うみたいということを言われたこともあります。」・・・

大阪ってそんな目でみられてるんや、いややなぁ・・・というのが最初に感じたこと、です。確かにいい人も多いですが、北京の町並みを歩いていて、百貨商場を散策していてもあまり異様な人は見かけませんでした(あまり、と書いたのは、デパートや超級市場で若い女性を泣かせていたりする不貞の輩を見かけたこともあるので・・)。上海に駐在していらっしゃる駐在員の皆さんや留学生の皆さん、上海では6割の人が反日感情を持っているというデータが正しい、間違っているの議論は別にして、言動には気をつけてくださいね。

魔都上海と言われる上海ですが、ぼ〜っとしていて、「カラオケ行きましょう!」「綺麗な小姐居ますよ」という呼び込みの言葉に騙されて身ぐるみはがれた人が多いのも上海、そんな中では注意をすることは大事ですが、『触るな下郎!』的な態度は禁物ですね。そして、中国各地にいらっしゃる皆さんに・・・皆さんは日本の企業や学校を代表して来られているのですから、あくまでも中国の人から見たら外国人であり、皆さん個人個人の言動は即そのまま「日本或は日本人の発言」となってしまいますよね。日中友好を目指しているのではなく、いやいや来ている方もいらっしゃるかもしれません。でも、少しでも中国の中に溶け込む努力をして戴きたいものだと思います(それは決して小姐を買うなんてことではなく!)。

でもあまり硬っ苦しく考えることは要りません。皆さん一人一人が『自分は日本を代表して来ている、自分の会社や学校を代表している』という認識を忘れなければ、「ああこんなことは言っては、してはいけないな」という『常識』が働いて皆さんの言動に修正をかけてくれる、私はそう信じたいと思っています。

PS:今回もしつこいです・・・『我愛NI中国』のCDどなかたお持ちではありませんかぁ・・お譲りくださ〜い
では、また来週まで、再見!


36. あるアメリカ帰りの『営業』課長さん

皆さんニイハオ、Gongbenです。

3日のサンデープロジェクトで、日本を嫌いだという中国人が6割もいるというリサーチ結果を見せながら、悪いのは「中国人」、と決め付ける番組があり、東京都知事の石原慎太郎氏が、「支那人たちは・・・」と発言し、司会の田原総一郎にたしなめられると「この表現は、中国人への尊称だと中国人に怒られた」と開き直っていた。

私は、大学のころから、別に支那というのは英語ではチャイナ、フランス語でもシノワーですし、仏領インドシナや東シナ海も、そして支那そば(特に屋台引いてきてうってくれるのは大好物!)という言葉にも大して違和感を感じておらず、中国から差別だと言われることには「変だな、余計なことを言ってくる国だなぁ」と思っていたくらいですが、石原慎太郎氏が『敢えて』使うとそこには不自然さ、「俺の意見になんでも反対する中国め!」という怨嗟感が溢れているように感じ、不快感がありました。

でもでも、この10月最初の土日曜は、プロ野球パリーグのプレーオフのシーソーゲーム、イチロー君のメジャーリーグ一シーズン最多安打記録達成と、テレビの前で釘付けになって、大声で「ヤッター!」の連発で、少々疲れ気味の週明けを迎えています。

九回の裏のさよなら本塁打でダイエーとの決戦に進めなかった日本ハムの選手の皆さん、そして、新庄、ありがとう!大記録達成のイチロー、おめでとう!そして、何よりもまず阪神のバースや近鉄のローズ(どちらも当時)が王貞治の本塁打記録を抜かんという時には敬遠策など汚い手を使った日本ですが、そんなこともせず、イチローと真っ向勝負をしてくれたテキサスの選手たち、応援してくれたアメリカのファンの皆さん、フェアプレーをありがとう!

さて、前置きがながくなりましたが、今回は、ある会社のアメリカ帰りの営業課長さんのお話です。

先週、あるプロジェクトの関係でオーストラリアから来たお客様と愛知県で会議をするため二泊三日の出張をしてきました。大量の英文入札資料を約一ヶ月前に入手し、その日の会議となったのですが、会議中に話をしているのは、お客様と工場の技術課長、私の三人だけで、工場から出席しているアメリカ帰りの営業課長が会議に参加できていない。

「?」と思いつつよ〜く見ていると「書類○○には、こういう制限があるのでちょっと難しいなぁ・・どう対応しようかなぁ」というお客様の発言に技術課長が、「ああ、あそこですね」と即座に応対、それに対して件のアメリカ帰りで英語には自信がありという営業課長の態度は『ん?それはどこのことだろうか・・・・・・』と、質問するわけにはいかないので、手元の英文資料を前にいったり後ろにいったりと、指がその文言を探しまくっている!

「お、こいつ読んでいないじゃないか!」とムカッとして、「でもそれについてはその後ろで、××の場合はその限りではないという記述があったでしょう?だから無視してもよいかと思います。第△×条第×○項です。」というと、今度はその課長、「第△×条第×○項ってどこだ?」と必死でその項目を探している・・・

昼食の時間が近づくと、件の課長は「GongbenさんPianGuさん(ピングーではないです)。これから彼と『二人で』昼食に行きますので、午後は×時からスタートということでどうでしょうか?」と、もう昼食をどこで食べるか、何を食べるか、ということに全神経を集中させていらっしゃるご様子。そして二人だけで、会議場を離れました。

主役である技術の課長を放ったらかしにしておいてお客様からは「今回はあまり時間もないし、腎臓が悪いので簡単なもので済ましたい、といっているのだが、彼はイタリアンを食べたいそうで、これから少し席を外します。ごめん」と言われてしまい、何か変な感じです。

一晩だけ、件の営業課長が「別件で超有名ホテルにいくので一緒に食事を」と言われて、お客様と食事をしました。「今回の会議にあたり、技術課長は彼の上司のために必死で図書を初歩訳し、その中で彼が判らない所には私が注釈をつけ40頁程にした要約と、今回提出すべき資料のポイントをエクセルで500行(A3縮小して6頁)にまとめたものを彼の上司、私の上司(どちらも英語だめ)とともに営業課長さんにも渡してありましたので、せめてこの日本語の凝縮版だけでも読んでくれているとおもったのですが、その形跡がまったくない」と切り出したら、「彼の英語は悪くはない(私からするとまだまだと思うのです)が、最低限図書ぐらいは読み込んでいないとねぇ」という返事が返ってきまし
た。(おかげでお客様と技術課長、私は極めて仲良くなり、かなり話を詰めることができました)

当社の場合、英語がまるでだめな人もかなり多く駐在或は出向という形で欧米をはじめ世界各国に出ています。が、その故にか、英語を使って営業活動するのは現地人で十分「我々は彼らにはできないマーケティングや企画をするのがミッション」等と、ますます英語を使わずにすむ環境に自らをおき、昼食・カラオケ、ゴルフは日本人だけで、という人が多いのです(他社にも多いらしいです!嘆いていた現地人の声あり)。

そういう方が日本に帰ってくると、「僕はアメリカに××年もいた」とそれをひけらかす。キャノンの御手洗社長のように米国は米国、日本は日本と割り切れる人、また、駐在の間に自分を磨いた方も多数いらっしゃっることも事実ですが、どうも、島国根性丸出しの日本人が陥りやすいところのような気がします。

欧米に比べ、アジアへの出向駐在者などは、その辺がもう少しくマイルドですが、やはり現場に溶け込めなかった人ほど帰国後には海外駐在をひけらかす傾向が残ります。私もそういった海外駐在経験者、そういう風にならぬよう自戒しつつ、今後のビジネスに活かしてゆきたいものです。

本日からその営業課長は私の上司と現地入りします。今までは単品の売買しかした経験しかなく、今回のようなプロジェクトについてもそのトータル概念を把握しているわけでもなく、何らかの分析資料や日本側からの提言を持っていくわけでもなく、『手ぶら』で。。。

あまりに危なっかしいので「私の上司」にだけは、現地人社員も出る為英文で説明資料をつけ、要求内容を列挙し、日本人の社長・部長(一応英語は可)に対しては、より判りやすいように日本語の解説をつけた英日語版の資料を手渡してしまいました。これなら○ドメ(まるでドメスティック:完全な海外音痴)にも、そしてプロジェクトビジネスを推進したことのない現地子会社の社長にも理解できるだろうと願いつつ・・・

では来週まで再見!


35. クラシック音楽に見せられた夜

みなさんニイハオ!Gongbenです。

前回のNHKの番組に関し、松村田さんからメールをいただきました、「その番組、再放送だよ〜」って。。。知りませんでした(汗・・・)NHKも色々悪口を言われたり、会長の不祥事とか悪い評判も多いですが、やはりよいドキュメンタリーを沢山制作しているというのも事実ですよね。再放送でも感動しました。

【久々のコンサートに酔ったGongben】

扠、少し昔に遡りますが、9月8日の夜、上野の奏楽堂(その昔滝廉太郎がここで『荒城の月』を作曲したのでは、という話も伺いました)に文部科学省の合唱団コール・アペのコンサートを聴きにゆきました。コール・アペのアペとは蜂のフランス語なのですが、文部省ということで「ぶんぶん」から発展させて命名されたと伺いました(お役人にも粋な方もいらっしゃるものです)。

別に文部科学省に知人がいるのではなく、私が毎日単身赴任の栄養補給によく行く天婦羅屋の親父さんが団長を勤めているグリークラブ「秀声会」の方々が、そこに友情出演をするというので、親父さんと、常連客のおじ様に招かれて行った訳です。(只です。私だけでなく皆さん全員!)

【愛唱歌・教科書採用曲にもなった宮崎俊の「君を乗せて」】

演奏された楽曲は、「ビリーブ」、「君を乗せて(宮崎俊の映画のテーマ曲)」「涙君さよなら」、「ちいさい秋見つけた」等の愛唱歌、小中学校の音楽の教科書にあるような曲が中心で、その他に「朔太郎四つの詩」や「落葉松」、「北陸にて」などとてもよい歌がたくさん入っていました。びっくりしたのは、昔むかし、フォークソングの「バラが咲いた」が教科書に採用されたと記憶していますが、今では、杉本竜一の「ビリーブ」も、「君を乗せて」も教科書に採用されているということで、私の小さい時の教科書とは随分様変わりした感がします。

【Gongbenに音楽は似合わないかもしれませんが・・】

少しく私の音楽とのからみを紹介してしまいましょう。。。 昔、幼稚園の時に先生がお昼寝の音楽にオルガンを弾いてくれたのに端を発し、ピアノを習わせてもらっていたことや、中学ではブラスバンドにいた(小太鼓と指揮でした)関係で、チャンスがあればN響(NHK交響楽団)等のコンサートに出かけたり、浦高時代には音楽の臨時教師(太田まり子さんというとっても美人の音大生でした)と二人で館野泉のピアノコンサートにデート気分で出かけたり、上智時代にはグリークラブの友人やマンドリンクラブの彼女に誘われて、彼女の好きだった赤いバラの花を探して新宿まで足を伸ばして楽屋に花束をとどけるといったほのぼのというか、ふんわかムードも楽しみました。会社員になってからも大阪時代には、大フィル(大阪フィルハーモニー管弦楽団)の定期演奏会などに毎回駆けつけていました(会社がスポンサーであったこともあり、チケットの入手が容易でした)。

【ホテルのロビーで鳥肌を立てたGongben】

北京駐在時代には、毎週週末に、中国大飯店のロビーで、合唱や、交響楽、ピアノ三重奏などのイベントがあり、息子に生の音楽を聞かせるのによいチャンス、とばかりによく出かけてはコーヒーを飲みながら、私は音楽に耳を傾け、息子は草苺(Zaomei)のアイスクリームにつられて食べるのに一所懸命でしたが、きっと何かを感じてくれたことと信じています(親ばかかもしれませんが・・)。

よい音楽を聴くと、鳥肌が立つんですよね。中国大飯店でも立ちましたよ。でも、息子の幼稚園や日本人学校の発表会の時に精一杯声を出して歌っている子供達の一途さにもまたまた鳥肌を立ててしまいました。親ばかというより、そういう新鮮な感動を味わったと理解してくださいね。

【ロックに押されているクラシック】

さて、日本に帰ってからは、誘ってくれる人もなく(ここの職場では部門長からしてロックが好きな人で、クラシックには縁もゆかりもないさびしい職場です、本当!)久々に聞く音楽会で、一時間半ほどを夢見心地ですごしました(演奏の上手下手はこの際不問!でも天婦羅屋さんの男声合唱団は、銀賞をとったりするほどの団体で、さすがでしたよ:このホーム頁をマスターが見る可能性がある!)。

【アイラブユー、チャイナ(中国、私の愛する祖国、とでも訳すのかな)】

このコンサートの翌日、メンバーの方とお会いする機会がありましたが、次回には、北京で一番感動した声楽曲「我愛(イ尓)中国(I love you China)」を歌ってほしいものだと提案したところ、CDか何かないですかと聞かれました。

二年前、北京中国大飯店のロビーでこの曲を聞いてまたしても鳥肌が立ち、演奏終了後に歌を歌っていたテノールとソプラノ歌手たちに接近し、「今のあの曲のタイトルと作曲家を教えて欲しい」と申し出たら、笑顔とともに気軽に教えてくれたのですが、作曲家名は失念してしまいました。

その夜、酒バーに立ち寄り、小姐たちにこの曲の一部分を歌ってあげたところ、ある西安出身の小姐(家内が実際に彼女を見て「あの娘さんは感じがいいわね」とその店への出入りに関してお墨付きをもらいました)が、北京市内の10軒以上のCD屋さんに足を運んだ挙に「CDがなかったの、カセットテープで漸く一本見つけたわ」と嬉しそうにニコニコしながらそのテープを私にくれました。彼女の好意で、免費(Mianfei:只のこと)にてプレゼントしてもらいました。それにしても交通費やテープの購入代(海賊版ではありませんでした)も馬鹿にならないだろうし、もっとも嬉しかったのは貴重な時間を割いてくれたことでした。

【お気に入りのテープが引越しのドサクサで・・】

古典的な曲で、有名ではあるのですが、流行のポップスのように数が出ないのでCD化されていないのだろうと彼女が言ってました。コマーシャリズムですねぇ(苦笑)。でも彼女には大変に申し訳ないのですが、日本帰国の荷造りの際にこのテープ、紛失してしまったみたいで、今は手元にありません。(家内の能登の実家の蔵の中に眠っている「当座不用品」の箱の中にもしかしたらあるのかもしれませんが、探し出すのも容易ではありません。)

【私の切なるお願いをかなえてください】

そこで、このコラムを通じてもし、どなたか「Wo ai ni Zhongguo」のCDを入手いただけませんでしょうか?勿論、御代は何とかしてお支払いしたいと思います。Gongbenの是までのコラムで最初のお願いです。テープでも結構ですが、やはりCDが欲しいなと思っています。。「お礼も欲しい」ですって?いいですよ、何でもしちゃいましょう。とにかく今は、このスメタナの「我が祖国」の中国版の「我愛(イ尓)中国」がのどから手が出るくらい欲しいのです。

少し長くなってしまいました。ではではまた来週!
吉報お待ちしていますぅ!

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【途夢のコメント】

今回のGongbenさんの内容にも関連しますが、昨晩は広州の天河体育館で行われた女子十二楽坊のコンサートに行って来ました、、、って、実は、このメルマガを編集している時点では、まだコンサートに行く前なので、感想は後ほど!

ところで、Gongbenさんの文中に出てきた松村田さんのお便りですが、以下の通りとなります。


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途夢郷さん、Gongbenさん、ニーハオ
松村田です。

私もNHKの番組見ましたけど、見たのは2回目ですよ、再放送!多分NHKは、寄付の申し出を無視した、というか戸惑ったのかも?
 
・・・莫邦富さんが、『日本人よ、日本企業よ、驕ることなかれ』と警鐘を鳴らし続けている。・・・と言っている事に関しては全く同感です。返す言葉はありません。これに関係して、ずっと感じている事が有ります。それは、日本の衛星ロケットの打ち上げ失敗が続いた事(今も続いていますが)。その失敗の原因を新聞などで読み、それがあまりにも初歩的なミスで失敗したのを知る
たびに、本当にこれがあの技術立国の日本ですか、と・・・・非常に落胆しています。間違い無く、かなり技術が落ちているんですね。 

ここにひとつ私が聞いた話が有ります。ある機械を据付けてもらった人の話です。長さ15mほどの大型乾燥機なんですが、三日間かけてやっと設置してもらったそうですが、スイッチを入れても全く動きませんでした。おかしいなと思って周りを調べて見たらなんと、機械が10センチも傾いて完全に歪んでいたそうです。もし間違って動いていたら、と思うとぞっとすると話していました。

設置の指揮を取ったのはメーカーの(ばか)息子。一応東京の有名私立大学卒業ですよ。後から聞いた話では、こいつ、中国に来た目的は仕事ではなく小姐だったそうです。日本にいるときから小姐に狂ってしまって中国に行く理由を見つけていたそうです。・・・・こんな日本人が増えてますよ。感じませんか?

また、視察とか見学とかは完全な名目で目的は夜・・・この手の日本人団体がなんと多いことか。堕落して落ちるところまで落ちるのではないでしょうかこの国は。まさに共産党の思うつぼ、江沢民のほくそえみ「没有共産党就没有新中国」ではなく「没有日本人就没有共産党」ですね。


34. 中国人就学生寮「西尾久寮」のNHK報道をみて

Gongbenです。皆さんニイハオ!

この週末にNHK衛星第一で、とてもよい番組が放映されていました。題して『日本に来てはみたけれど・中国人就学生寮の1年』。「西尾久寮」という東京都荒川区の都電沿線にある中国人就学生専門の寮があるということはこのテレビ放送ではじめて知りました。

彼ら中国人留学生は、日本に来るに際しては親族から金を集めてやってきます。経済的成功を収めるという目的のために。。。就学生として日本に滞在できる期間は僅か2年。希望に燃えて日本にやってきても、大変な苦労をしている人がとても多いこと。カメラは、そこで暮らす就学生らのそんな苦労、詐欺師にだまされたり、外国人(中国人?)という理由だけで、警戒されてアルバイトを探すのにも苦労しているという就学生たちを追い続けます。そして、入国管理局による在留資格審査の強化が突然始まって、寮生は47人から半減したそうです。

劉さんという女性は、大学の受験にも合格し、奨学金ももらえることになった、それで、中国の実家に合格したことを電話で伝えたところ、父親が電話口に出たお母さんにも代わってほしいな、と伝えます。 父親は、受話器のむこうで、「母さんはいない。外出している・・・」と歯切れの悪い応答をし、変だなと思っていたら、後刻、父親から電話があり、母が半年前に逝っていたことを突然明かされるという意外な展開に。。。

「な、なんで私に知らせてくれなかったの・・」と、泣き崩れながらも父を責める劉さんに父親は、「お前に知らせなかったのは、それで勉強が手につかなくなってはと思ったから・・・」と伝える。一人娘の日本の大学受験の成功のために、金を工面し、そして母親の死をも告げられなかったこの父親の胸中は本当につらかったのだろう、と私は画面をみながら、もらい涙してしまいました(涙腺は弱いほうで、二時間ドラマを見ていても最後のエンディングなどでは家内に「やぁ!パパまた泣いてる!」と冷かされることがよくあります)。

そして、呉さんと徐さんという二人の男性も紹介されていました。徐さんは、待ちに待ったビザが取れ、これからというときに、この西尾久寮を解体してマンションに作り変えるので、寮を出るようにと通告され、他のマンションやアパートに出ろといわれても、敷金礼金などで20万円(こんなに安いということは、あまり上等な家ではなさそうですが?)もかかってしまうし、アパート代だって苦しい、もう少しだけせめて受験が済むまでと管理人に交渉にゆき、等々最後には管理人と怒鳴りあいになってしまい、数日後、彼は退寮することを決断しました。

彼が小型のかばん二つをもってバスに乗って去る姿、そして寮生らと一緒に対話をしているときにふと口にした言葉「受験まであと半年、いったいどうしたらいいんだ・・・」が印象的でした。新しい生活環境に慣れるのも大変、そして一人で出て行ったということは、他の同居人がいればともかく、単身赴任の私と同じように食事や掃除洗濯といった家事も自分でしないとならないでしょうから、勉強をする時間もそれだけ短くなってしまいます。彼だけでなく、残された就学生たちもまもなく退寮を強く迫られるようになるでしょう。

若いときには苦労は買ってでもしろ、とはいいますが、彼らの苦労は大変なもので(いまどきの日本人の若いあんちゃんねえちゃんにはきっとそんな苦労なんかしたくない、と早々とあきらめるのでしょうが)、勉強をする場として日本を選んでくれた彼らに、日本は、そして日本人は何をしてあげられるのでしょうか。

私は、その番組を見た直後に、感動していたこともあり、調子に乗ってNHKのホーム頁にアクセスし、少しだけだが資金援助をしたい、と申し出たのですが、NHKからは無視されてしまいました(もしかしたらこの番組の後にやっていた北朝鮮のマスゲームを礼賛するような内容の番組に対する批判も一緒に書いたからNHKが怒っているのかなぁ・・とも思っています)。

最近というか、少し前になりますが日本の報道で、中国人の犯罪が急増しているということをこぞって書きたてていたことがありますが、こういった報道が、就学生たちのアルバイト探しを難しくしていることも否めないと思います。

実際には中国からの入国者は近年急に増えているから目立つのであって、南北朝鮮人の犯罪の数量と実数で比べているのではなく、単に急増しているということで、0人から1人になって、それが10人になると「十倍になった、急増した」という書き方もできる訳ですよね。

浜松町のカレーショップで昼食をとることが多かった私ですが、大連からきた王君という好男子がいましたがその彼を雇っている店長さんが「彼は大変ですよ。朝のうちは勉強、昼食時間はここで3時までバイトし、夕方から夜にかけては別のレストランでまたバイト。勉強する時間はねる時間を惜しんでやっている。日本の若者だったらきっとこんな苦労をしてまで勉強したくないや、と早々と学業をあきらめてしまうだろうねぇ」とおっしゃっていました。

本当に中国の人は学習熱心ですし、向上心に燃えている人が多いですね。少しは日本人も見習わないといけないと思ってしまいます。日本から駐在にきていても毎日三時まで仕事をしたらその後はゴルフにでかけ、カラオケに行ってから帰宅する、そんな姿を見て中国の人たちはどのように感じているのでしょうか。

莫邦富さんが、「昔の日本人の熱心に働く姿、仕事に情熱を傾けてワイシャツを着たままパイプの中にもぐりこんで、汚れはないか、を探したあの日本人の姿を見て私は日本ファンになった」と私に語ってくれたことは以前ご紹介しているかもしれませんが、その彼が最近の日本人の堕落ぶりをみて、そして傲慢になってしまった日本企業をみて、『日本人よ、日本企業よ、驕ることなかれ』と警鐘を鳴らし続けていますが、誰か彼のその言葉に反論できる人がいるだろうか・・・ 少しじっくりと考えてみたいと思います。


33. 関西人の私にとって東京は鬼門?

Gongbenですニイハオ!

前回の「爽やかアテネと異様だった北京」の中で、韓国人選手の態度についての所感を書いた部分がありましたが、これに対する松村田さんからの感想を戴きました。ちょっと反韓国の色が強すぎたかな、と思いつつこわごわ読んでみたのですが、書きにくいことをよく書いてくれた、との励ましの内容で、ホッと致しました。「反対でも、賛成でも、反応があるということは物書きにとっては嬉しいこと。無視されるのが一番がっかり」、とはあの莫邦富さんもよく私にお話くださったことです。

今回も、韓国の核疑惑、北の不可解な爆発事件(対岸の中国側では爆発音を聞いた方がいない模様、とは昨夜のテレビ報道での女性レポーターのコメントでした)に関連して、六カ国首脳会議のお話でも書こうかと、思った(ネタはごろごろありますね)のですが、ちょっと方向を変えて私の最近の健康についてかいてみたくなりました。


【2004年春: 在品川駅東口広場の段差】

ベトナムに出張する前ですから5月ごろだったでしょうか、私の部門の若手社員が大阪の本社の広報部に晴れて転勤できる、ということになり、品川駅の近くにあるお店で送別会をし、その帰り道に左足首外側の靭帯を伸ばしてしまう怪我をしてしまいました。

理由?飲みすぎのせいでしょうか、、、先輩と新宿までをJRで帰ろうか、タクシーで帰ろうかと広場で話をしつつ、先輩が「JRにしよう」と駅に向かい歩き出したのをみて、私が「タクシーならそこに待っていますよ」と右の方向に行こうとする先輩に声をかけつつ左前方に一歩踏み出したらそこは二段ほどの段差があり、気付いたら足元に地面がなかっ!!前に右足の靭帯断裂寸前の怪我をして全治三ヶ月の怪我をした際に、「転ばぬようにと頑張っちゃだめ」と医者に言われたのを思い出し、衆目の面前で(ちょっと格好悪いが)すってんころりんとやってしまいました。結果は?全治1ヶ月ほどの怪我で済んでしまいました。


【2004年晩夏: 在笹塚社宅の布団の中】

そして、3週間ほど前の月曜日の朝、起きようとしたら胸が痛い・・心臓の近くでもあり、もしや、と思いつつ、「手を伸ばすときに痛いのは外傷?」と足の怪我の際にお世話になった病院に行ってみました。「前日の日曜日の夜は何ともなかったのに、起きたら痛い」という私の話を聞いてX線を撮ってみたところ、肋骨にひびが入っていたとのことで、全治1〜2ヶ月との診断でした。

湿布薬と特殊なサポーター(乳房の部分を外して巻ける形のもので口の悪い人は4分の0カップのブラじゃないかこれは!と言う)とをもらいましたが、原因について先生が「昨晩は恐らく布団の中で異常な体位でなにか・・」と言い出したのを聞き慌てて自分が独身社宅に単身赴任していることを説明し、難を逃れました??ん?ではなくて、結果的には布団の中で激しい咳をしたか、くしゃみをしたかという辺りが原因だろうと言われました(老人性骨粗鬆症?ではないとのことです。私は今48歳、まだまだ若いです)。


【2000年晩夏以前: 只在東京】

実は私は大阪に居る時には殆ど怪我や病気をしていないのですが、東京に居るとどうも調子がおかしいのです。会社生活だけをとってみても、大阪から浜松町に出張し、その帰り道に東京のある部長さんと駅の階段を歩いて降りていたら、携帯の電話がなり、胸ポケットから取り出した途端に最後の2〜3段を踏み外してしまったのは上述の通りです(因みに電話の主はエロ・サイトからのメールでした!)し、小学校の時には塀の上で遊んでいたら近所の男の子に突き落とされて墜落、落ちたところにあっ鉄の棒が頭に刺さって顔中血まみれの2ヶ月の怪我をし、幼稚園に遡れば近所の農家のおじさんのところで食べたフルーツ(恐らくスイカ)が原因で、赤痢になってしまった、、、


【東京是不是我的「鬼門」?】

これまで人生の半分を大阪、4分の1を埼玉、4分の1を東京で過ごしていますが、埼玉では何の大きな病も怪我もしませんでしたが、東京に限り悪いことが起こっています。もしかして私にとっては東京は鬼門?と思ってしまいます。


【天津朋友介紹我的紅花油】

さて、品川で怪我をしたことについて、中国人の通訳の方と雑談をしていたら、中国の薬で「真龍牌正紅花油(Zheng hong hua you)」という塗り薬を持ってきてくれました。彼女(もう奥様です!)はお風呂であばらを強打した際にこれを塗っていたら完治したと話してくれまして、手持ちのものがもう少ないのでと、只でいただきました。 これは効く〜でした。

みるみるよくなってきたので、たまたま私の留守中に北京の元上司が日本に出張で来られた時に二本購入して持ってきてもらうようにお願いし、戴いた一本を彼女にお返ししました。値段?元上司が「只みたいなものだから」と価格を教えてくれませんでした。。。 どなたかご存知の方いらっしゃいましたらご教示下さい。


【総結???】

今度、中国の薬について、なんていうテーマで書いてみたら結構面白いものがかけそうな予感がしてきました。(今回は今朝はっと気付いたら今日の午後が原稿締切ということで、いつものことでもありますが、特にまとまりのない、個人的なお話を紹介してしまいました)つらつらと書き綴っているうちに次から次へとお話ししたいことが出てくることもあるものですね、これこそ「徒然日記」なんでしょうか???

中国の薬のネタになりそうな失敗談や成功談など、もしご紹介戴けたら、紙面に反映させて生きたいな、と思いつつ筆をおきます。

では皆さん再見!

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【途夢のコメント】

中国には何故か薬屋(葯房)が非常に多いです。漢方薬など、その場で調合して売っているようですね。

実は私は今、中国でちょっとした薬を二種類試しています。正確に言うと、二つとも中国で産まれた薬ではないのです。日本では手に入れ辛い薬ですが、効果は世界的に証明されている薬です。中国では簡単に手に入りますよ。えっ、どんな薬だって? 結果が出るには数ヶ月掛かるので、その時にお話します。(^^ゞ ヒントは、一つは女性が、もう一つは男性が非常に気になる効果のある薬です。

ところで、Gongbenさんの文中に出てきた松村田さんのお便りですが、以下の通りとなります。

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先日ごんべんさんがアテネオリンピックでの韓国人の態度の悪さを批判しておられましたが私もその意見に大賛成です。その記事を見て思い出しましたが、93年10月28日の「ドーハの悲劇」の同点ゴールを演出したイラク人選手・・・その後韓国でどうなったか皆さん知っていましたか?たまたま韓国で仕事をしていたときに韓国人がふっと漏らした言葉に、脳天まで怒りがこみ上げました。

あの時日本が引き分けたおかげで、韓国はかろうじて出場できたわけですよね。その後韓国が何をしたか・・・・実は点を取った選手を国をあげて招待し賞金まで与えたそうな・・・英雄として。 全国各地で熱烈に歓迎したそうです。普通そこまでしますか? いったい全体どういう性格をしてる国民なのか分からなくなりましたよ。他にも集団すりが日本で暴れていることについても皆さん拍手していましたよ。さすが韓国人の技術はすばらしいと言ってね。まったくこれだからいつまでたっても仲良くなれないなーと言う気がしました。

ほかにもたくさん有りますけれど、やめます・・・。以上みんな結拝兄弟(義兄弟)関係の韓国人から聞きました。

中国の事とは関係ありませんでしたけど、やっとすっきりいたしました。Gongbenさん、痛烈な韓国批判してくれて有難う!


32. アテネは終了、次は北京ですね

皆さんニイハオ!ごんべんです。

平和の祭典第28回オリンピックがこの日曜日に終了しました。いやぁ、よかったよかった!男子マラソンのいかれたおじさん(元司祭という)の闖入事件はありましたが、総じて懸念されたイスラム教徒によるテロ事件もなく(イラクではイスラムテロリストがやりたい放題に拉致・誘拐・爆破などを行い、ロシアでもやはりテロリストによる旅客機爆破事件が発生しましたが、オリンピック会場に、と限れば)、無事に終えられたことはオリンピック関係者のみならず視聴者であるわれわれにとっても嬉しいことだと思います。

皆さんもそれぞれのプログラムを深夜放送でみたりされたことと思います。私は開会式と閉会式はあまりに遅い時間からのスタートということで見ませんでしたが、女子マラソンや男子マラソンは、自分が中学から長距離走をやっていたこともあり、興味を持って見ていました。野口みずきさんの25kmからのスパート、その後の追い上げ(あとでご本人は会場に戻って来てガッツポーズをした時まではしらなかったそうです、なんともおおらかな方ですねぇ)にはらはらどきどきの数時間でした(ちょっと寝不足がたたってしまい会社に戻った時には調子が出なかったです)。

男子体操や柔道での日本人選手の活躍も、そしてアーチェリーの山本さんの銀メダルもすごかったですね。でも、メダル受賞者も入賞者もすごいですが、女子のホッケー、ソフトボール、サッカーも優勝とかそういう凄い賞はとれなかったものの、日本女子スポーツ界(バレーにはもう少し頑張ってほしかったですが、あの世界一小さなセッターの竹下選手の「念力」的な粘りに心を打たれました)の信興には大きく貢献できたと思います。

これで今回勝てた人には更に自己を磨いてもらい、おしくも敗れた選手の皆さんには更にレベル向上を図ってもらって、北京2008にはぜひとも今回以上のメダルを獲得してもらいたいものです。ないても笑っても北京まであと4年です。アテネとは違い、北京っ子は、そして中国政府は、東京五輪で日本経済が更に伸びたように、北京五輪を契機に中国経済の更なる発展と文化向上に真剣に取り組み、2006年中には全競技場の建設を終えその後試運転をして本番では「失敗なし」を目指しています。そのための道路やビル、ホテル建築(改築も含める)がガンガン進められていますね。当初北京五輪の際には高級(三ツ星以上)ホテルを800軒(13万室)にして、観光客や来訪者の受け入れ態勢を万全にする、と発表されていましたが、覚えていらっしゃいますか?

その当時高級ホテルは392軒(8万室)でしたが、四ツ星以上は54軒(26千室)しかありませんでしたが、この数年で四ツ星・五ツ星のホテルがどんどんできるという話もあって私たちもその情報に振り回されていましたことを思い出します。実際、新しいホテルの新建もありますが、一ツ星や二ツ星ホテルの設備更新などで三ツ星に格上げができることもあり、その手のプロジェクトもかなり進められると聞いていました(問題はそういうホテルの場合、支払をきっちり受けられるかどうかが「?」ということもあり、ちょっと取り組むには勇気のいるプロジェクトでした)。

私の上司は「日本では東京五輪に合わせて名神高速道路や新幹線ができた。北京でも北京上海新幹線や北京空港増築などいろいろなプロジェクト(項目:Xiangmu)が出てくる。これを逃したくない!」と口癖のようにいう北京っ子でしたが、私が日本に帰国してからも、空港や体育場などのプロジェクトを追いかけて、超人的な勝率で成功を収めています。嬉しいうれしぃ!

北京五輪では「緑色(環境保護)・科技(ハイテク)・人文」五輪という三つのスローガンがありますが、科技と緑色(よく、環保:Huanbaoと略して言いますね)は何とかなるでしょう。最後の「人文」ということについては、2001年の12月の『北京奥運行動指針』の中に、「中国民族の凝集力とプライドを増強し、祖国の平和統一を促進する」という説明分が出ていますが、その直前には「五輪退会の趣旨に従い・・・各国人民の相互理解、信頼および友誼を深める」という一文も出ています。

私は、是非この北京五輪ではあのサッカーの重慶・済南・北京会場で見たような「ブーイング」騒動は起こしてほしくないものだと強く念じたいと思います。中国・北京の皆さんに是非この五輪の行動指針を思い出して頂きたいと思いますし、在中の駐在員や留学生の方、出張で中国を訪れる日本人の方も、機会をみて一国民の立場ではありますが、是非中日友好・日中友好の精神の原点に立ち返って2008年を迎えられるようにいまのうちから「草の根運動」を展開していってほしいものだと思います。日本政府だけでなく他人を当てにしていると裏切られた時にその人のせいにしてしまいがちです。自分がやれば自分の責任、と少しは思えるでしょう?

では!


31. アテネの爽やかさ・感動を北京につないで欲しいものです

みなさんニイハオ!ごんべんです。

第28回オリンピックもだんだんと佳境を迎え、日本の金メダル獲得数も野口みずきさんのマラソンの金に続いてレスリングでも獲得、日本チームがんばっていますねぇ。男子のマラソンも頑張って!と祈っています。今回の五輪のテレビ中継を見ていて、観客の声援にしても審判のジャッジにしても、韓国でのソウル五輪と比べ、割合と気持ちよく感じます。そして、金メダルのかかった日本人選手(団体戦)の演技に対して、「こりゃお手上げ!」というのか、「すごいなぁ!」というのか、拍手をしていたアメリカチームの選手にさわやかさを感じました。一方、韓国チームの態度は、というと、ダレた座り方で、相手のチームのミスを待っており、よい演技をされると、しらけきった態度で、非常に不愉快なものを感じました。

昨日、社宅近くの天ぷら屋さんで食事をしていたら、近くの席にいたお客さんの間で、個人体操でアメリカの選手に金を取られた時の韓国人の選手の態度について話題になっていました。なんと、アメリカのライバルがミスをしたときに、「これで金メダルは頂き!」と思った韓国人選手が、コーチと小躍りしてかたを叩き合って喜んでいたというのです。なんともさもしいというか、あさましい姿ですね。まあ結果的にその後、相手を甘く見た韓国人選手が手抜きの無難な演技をし、アメリカが目一杯の演技をしたので、米国が逆転優勝し、その瞬間、今度は件の韓国人選手が頭を抱えてしまったということで、話を聞いていた私も溜飲が下がる思いがしました。

ソウルオリンピックでは、聖火の点灯式で生きた鳩を丸焼きにして点火式をおこなったということで、この辺に民族の差を感じてしまいましたが、いくら金を目指してプレーをするにしても、汚いプレーをしたり、汚い審判をさせたり、という日本のどこかプロ野球チーム(先日その悪名高いオーナーが突然辞任した)ではありませんが、ゲームは激しく戦い、終わったらノーサイドというラグビーやサッカーの様な、英国のプレー概念の方がさわやかでよいと思います。

先般、サッカー・アジアカップの行われた中国重慶市と済南市、北京市での試合を録画しておいて貰い日本に帰国してから見たのですが、君が代の是非は別にして(私は日の丸の国旗は認識しやすいので好きですが、君が代はなんともたら〜りたら〜りとして中国やフランス、アメリカの国家の様な元気のでる音楽ではないので好きではないというのが実感です)対抗国の国歌を聞くときにブーイングをしたり、中指を突き立てて「Fuck You!」というのは見ていて不快であると同時に、大変残念でした。

天津から日本に来ている留学生の女性や、通訳で派遣されてきているこれまた天津人の方にその話をメールを通じてしてみたのですが、「十億以上の人がいれば、そういうのもいますよ。でも中国の人は大人だから、試合が終われば、そういうのは直ぐにさめる。政治的な考えで扇動した人たちは別として、韓国人とちがい、『怨念・怨嗟・うらみ』ということでぐじぐじとはいわないでしょう。」とのことで、北京っ子にも聞いてみたら「私は日本の企業で働いているので、平等に見ています。でも中国対日本の試合ではやはり中国を応援しますよ」とあっさりとしていました。

「でも毎年夏になると『抗日○十年特集』とかいってCCTV(中央電視台)とかが反日感情を盛り上げてるじゃないか、どう思う?」と振ってみましたが、「ふ〜む、あのテレビの影響は小さくはないですが、おじいさんやおばあさんは凄く嫌な思い出を持っている人が多いですが、僕たち若いひとはあまりああいう番組は面白くないのでもっと面白い他の番組を見るようになってきているので、これから変わるでしょう」と返事が返ってきました。

それにしてもあまりにひどい応援マナーに対して、あの「青年報」が「もっとマナーを」という評論を書いたということですが、これにはびっくりしました。青年報というと、毎年3月15日(三一五:san yao wu)といって品質強化運動の頃になると日本メーカーの製品の不良品特集を組んだりして各メーカーの現地の責任者や広報部門が対応に大童になり、製品そのものではなくサービスというものに対しても批判記事を書いたりするアンチジャパン(私の駐在時代にはベンツ車に対してもかなり突っ込んでいましたが・・)みたいな新聞なのに、良識的な記事をもかくんだな、と認識を新たにしました(一説によると政府としてもこのままでは北京五輪に対して世界からにらまれることを危惧して政府介入があったとのことですが、それにしても青年報が先陣を切った報道をしたことには、「変わったなぁ」と思ってしまいました)。

2008年の北京五輪も成功して欲しいですし、2010上海万博も成功して欲しい、その主催地となる中国がこれから数年の間に、いまの北京の建設工事の様な勢いで急激に大きく変容を遂げて言ってほしいものだと思い、こんな記事を書きなぐってしまいました。


30. 日本人出張者の海外での奇怪な行動

皆さんニイハオ、久々の原稿です。

実は、ある入札の対応でちょっと長い間胡志明(huzhiming:ホーチミン)入りをしていましたが、帰国後にパソコンの調子不良で漸く使えるようになったと思ったら、なが〜い夏休み(15日もとった!)に入ってしまいました。入札の結果は、まだ出ていませんが、海外の案件を「日本人が、殆ど日本人だけで、しかも完全に日本のやり方で、仕事をする」という方式で推進をしていくという方法で果たして好結果をだせるのかどうか、甚だ疑問ではありますが、まぁそちらはそちらで、今後も頑張っていくしかないでしょう。

私の北京駐在時代には、現地人を中心にしたチームで、現地のやりかたで、推進をし、そのサポート(本当の意味で支援をしてもらうだけ)のみを日本や、マレーシア、イタリアなど海外の関係会社から受けていましたが、その方針は私が日本に帰国してからも変わっておらず推進しており、結果的には受注案件が相次いでいます。リンカーンの「人民の人民による人民の為の・・・」という言葉をそのまま置き換えても通じるなぁ、「現地人の現地人による現地人のための・・・」。

では今回は、その越南(Yuenan:ベトナム)長期出張の際に感じたことを書きたいと思います。


【一大日本人ミッション?】

私たちは日本のメーカーと商社さんとで組み、入札対応にあたり、日本人が15人(も!)、現地人商社マンが2人(だけ)という一大ミッション(1)を組んで商社さんの事務所に朝から晩までこもりきりで書類作成やチェックの作業をしていました。 メンバーの中には私のようにベトナム出張が初、と言う人や、海外出張そのものが初という人が数人居ましたが、私も含めて彼らにとっての楽しみは入札の成功もその一つですが、「メインイベント」はやはり、フォーやベトナム春巻きなどに代表されるベトナム料理をつつくことでしょう。海外では基本的に現地の料理は安くてうまいが常識といってもよいですし、東南アジアでも欧州でも現地料理に飽きたら中華料理も安くてうまいというのも一つの常識だといえましょう。


【食べ物の恨みは怖〜い?】

朝8時過ぎにホテルをでて、タクシーで10分ほどの距離にある商社事務所に入り、夜遅くに作業終了してホテルに直帰する、こういう状態が休日抜きに何日も続きますので「食」だけでも皆が満足できればよかったのですが、、、


【高い・まずい・サービス今一つの海外の日本料理屋】

なんと、現地に入ってから毎昼食・夕食全て日本料理屋、高い割りにたいした味でもなく、一食あたり昼食で10ドル前後、夕食になると15ドル〜20ドル、時には酒の量により30ドル近くを取られますし、サービスも今ひとつ。。。日本航空の現地マップで推薦されているお店でもこれですから、(我々が行ったお店は全て一応現地の日本人商社マンの推薦店でしたが)他のお店の「味・サービス・値段(割引)」についても北京の穴場を知っていた私からすると、今一つ二つと言う感は否めませんでした。


【壁に耳あり障子に目ありの日本人の溜まり場日本料理屋】

日本食レストランというのは、当然日本人客が多く、仕事の話をしたりするのにも周囲に気をつけていないとどこにライバル会社の人がわからない、そして現地人客だからと安心していると、実はライバル会社の日本語達者な現地人社員ということが往々にしてあります(商社マンなどはよくそういう所に出入りされていますよ。ご注意!)。また、酒が入ると周囲を気にするという注意心も散漫になり、大声になってしまったり、更に話がくどくなってしまうので、「何?いまなにを言った?」と注意をしていれば周囲の人にも話しの内容がよく判ります。私の知人(上海人)は北京の京倫飯店の日本食レストランで隣に座った日本人たちが彼の対応中の入札の話をしているのを知りライバル会社の話す内容を全て紙ナプキンに書きとめておき、翌日の入札にその内容を反映させたところ、受注できたということを話してくれました。

私たちに「ホテルやレストランなどでは、価格や仕事の話を一切しないように。ライバル会社の人がどこにいるかわからないので」と入札なれしている若手に対して偉そうに言っていた方たちが大声で、「○○億円までやっとこぎつけたねぇ!」などと何度も話をしているのを聞いていて、本当に「あれは自分たちに対する戒めの言葉だったのでは???」と思ってしまいました。


【毎晩『説教部屋』行きの被害者がでた日本料理屋】

こんな状況下で、更にまずかったのはあるメーカーの方が昼間の仕事の憂さを夕食時に酒が出てくるのでその勢いで若い人に対して「説教攻め」が延々と夕食時間中2時間ちかく続き、その被害者が順々に代わる日替わりメニューになり、「今晩はだれが説教部屋の餌食になるんだろう」と戦々恐々の状況がでてきたことです。普段は仕事熱心な良い方で、私もよく「飲みにいこう!」と声をかけられて明け方まで楽しくすごしてきたので、「あの方が・・・」と、びっくりでした(因みに私も4日目に説教をくらいました)。海外に出張していて、毎日毎日日本人スタッフだけで、日本食レストランで日本語のみで、日本酒を飲み、日本食を食べているような海外の案件というのは、本当に海外案件と言えるのでしょうか?チームワークで仕事をしている、というのは実は日本人のみのチームワークを言うのでしょうか?

工事を完成させ、その後のメンテナンスをするのも日本から、日本人が、というのなら判りますが、現地の人に仕事を任せるのであれば、最初から現地人を巻き込んで仕事を進め、現場に出張した日本人は現地の人と一緒に作業をしてそのノウハウなりをトランスファーしていかないと、いつまでたっても「日本人が」、「日本人が」というやり方をしている限り、「日本人による、海外で行う日本の仕事」からは脱皮できませんよね(一部の日本人から「日本人だけの海外の仕事というのを残しておかないと、『海外出張』ができない」という声も聞こえましたが、これって本末転倒ではないかな、と思いました)。

どうも、海外に出た場合の日本人が嫌われるのは日本人同士が内輪チックに固まり、日本語で、日本食を食べ、現地人を排除したがる、というところにあるのではないか、もっと現地の人と交流をしなければ「場」だけが違っても「そこは日本の延長線」の考え方から脱却できません。勿論出張者と駐在者の差はあるものの、やはり現地無視というのはいただけないし、歓迎されないだろう、と強く思ったので、書いてみました。

本当はもっと楽しい文章仕立てで書こうと思っていたのですが、今能登半島に親戚の家族と来ており、ゆっくりと考えることなくワープロを叩いてしまい殴り書き状態になってしまいました。来週からは心を入れ替えて書きますね。

再見!


29. 美しい日本語を身につけよう!

Gongbenです。皆さんニイハオ!

先週は「乱れた日本語、これでいいのだろうか?」といった観点から少し書いてみましたが、どうでしたでしょうか? 実はこの日曜日にも「新婚さんいらっしゃ〜い!」を見てしまい、ゲストの男女の方の日本語に「ほんとうにこんな日本語ばかりがあふれていていいのだろうか?」と思ってしまう私でした。「かれを姫路城に連れて行った」、「そう」、といった話し振りで「何で『です・ます』をつけて話ができないのだろうか」、全てを「ですます調」で話をすることもないとは思うし、時々「そう!その通り!」みたいな友達言葉を使うのは許せるのですが、三枝さんといえば、一応新婚さん達から見れば人生の「大先輩」の筈、やはり見ていて気持ちのよいものではないですね。

先々週だったか、スリランカからの留学生さんご夫妻が出演していましたが、彼女たちの日本語の方が立派で三枝さんもおもわず「あんたらのほうが日本語しっかりしてるわ!」とまぜっかえしていました。(直前のゲストは鹿児島の方で、方言を丸出しで話をするように局側から言われたのか、確かに聞いていて「何を話しているのか判らないなぁ」と両親とは話をしていましたが・・) ま、この様に批判的な文章ばかりでは、息も詰まるでしょうので、今回は私の遭遇した中国人通訳(翻訳:Fan1yi4)たちを紹介してみましょう。


【厦門での商談時】

厦門のある工場の外経部にいた彼とは90年代初頭にお会いしましたが、私の会社の事務所員と同じ厦門のある大学で日本語を習っていた友人ということでした。初の部材を出荷して、現地で組立てが開始した直後のタイミングに訪問した際の会話です。

私:「黄さんどうですか?ファーストロット(初回出荷分)に何か問題はありましたか?」(半ば外交儀礼的な質問)
彼:「問題アルヨ!」(といきなり通訳もせずに返事)
私:「何かトラブルがあったのですか?」(「?」というか「なんていう態度!」と相手がお客様であることも忘れてムッとする・・)
彼:「部品ガ5025個ナイトイケナイモノガ5015個シカナイヨ!」
私:「ちゃんと数えましたか?それに25個は予備だからなくても取りあえずは生産できますよね」
彼:「ブス!何度モ数エタヨ!ソレニ我ガ工場ハ5025台作ルノダカラ、部品ガ10個ナイト困ルヨ」
私:「ちょっと待て!誰がブスだ!」

と日本語の会話が続き、相手先の幹部は目が点になって我々のやりとりを聞いていましたが、私の通訳が、「Gongbenさん!ブスはブスでも不是(Bushi:そうじゃないです)のことで、彼は南方の方言を使ったのです。Gongbensanをブスだと言ったわけではありませんよ」・・・そうです、南方の人はこの是(shi)の「h」の発音が甘いのでした。。。それにしても、普通は「問題ないですか」と聞かれれば「実はちょっと困ったことがあるのですよ」ぐらいの言い方をするのですが、いきなりの「問題あるよ!」が私の感情を逆なでしたみたいでした。その後この彼とは仲良くなり、こちらが少しずつ中国語が上達するのを喜んでくれたりして、ピンチの時に助けてもらいましたので今ではこの話も笑い話です。


【シンセンでの商談時】

私の上司二人がシンセン事務所でお客さまとの会議時にいきなりやってくれました我らが事務所員。自己紹介をしてお客様側の中国語から日本語への通訳時に「俺達ハワァ、アンタラノ会社ニ期待シテル」「オ前ラハワア、俺達トォ、合作シテコノ商品ヲ広メタイ」とやってしまい・・・当然上司二人とも目を白黒させてしまいました。帰国後私に言った彼らの台詞「いやぁいきなり○君が『俺達はぁ』とやったときはびっくりしたというか、ムカッときたねぇ。本当」だれが教えたのでしょうか、こんな日本語。でも、どこか、新宿歌舞伎町あたりのフィリピンバーの様なところで聞く台詞に似ていませんか?お客様に対する美人ホステスさんの言葉「オイ、コノ酒飲ムカ?ウマイカ?オ前ハ昼ハ何シテルカ?」。。。


【北京駐在初期の私の通訳】

私の上司が長々と15分近く私に対してカッカッと話しをしたのに部下に通訳を頼むと「Gongbenサン、コレハネェ、意味無イデス。江サンノ不満ヲ話シマス。」「え?じゃあ何と何が不満なの?」「ぜんぶガ不満ヨ」「メモも取らずにいい加減な通訳するな!」


【おまけ:あるアメリカ人副社長】

私の会社の会長に挨拶に本社を訪問の際に実際にあった事実です。日本語で挨拶をしたいと考えて大阪弁の第一声をある課長(もう退職されました)からアメリカで習って準備万端訪日され、会長をみるなり、「オイド!」と挨拶をかけた!大阪以外の方には判らないでしょうが、「おいど」とは「おしりの穴」とか、そういう意味だそうなのですが(私は使ったことありませんが・・)、それを聞いた会長さんは度肝を抜かれてキョトンとされたとのこと。大阪では普通「毎度おおきにお世話になっています(いつも大変お世話様です)」の代わりに「まいどぉ!」とか「まいど」という短縮形で挨拶をすることが多いのですが、教えた課長がユーモアたっぷりのべらぼうに米語の上手な方で、その人が意味も教えて冗談で伝えたものがよほど印象が強かったらしいです。当時は宣伝部長だった彼ですが、その後副社長になられたので、会長も怒らなかったということでしょう。

それにしても、日本語をしっかりと教えてあげてよ(冗談のうちはいいですが)、と言いたいですね。これまでの経験では、日本語から中国語への通訳は現地人にやらせ、逆の中国語から日本語への通訳は日本人が行う方がスムーズに意思疎通を図れそうです。この辺、やはり日本語をよく知っていればいるほど日本人は日本語に訳す時のボキャブラリが豊富だから、有利だということでしょうね(中国人には逆が真ですが)。

今回紹介したのは後で笑い話になった事例ですが、通訳がまずいと意志の疎通が図れないだけではなく、喧嘩の元にもなりかねないですので、やっぱり私達も日本語だけでなく、外国語についても『学び続ける』姿勢を持ち続けたいですね。

頑張りましょう!では今回はこの辺で。再見!


28. 美しい日本語を身につけよう!

Gongbenです。皆さんニイハオ!

柳樂優弥という中学生がカンヌ国際映画祭で、主演男優賞を受賞!というニュースが入り、「おおっ」と驚いたのは昨夜、徹夜仕事で頭がぼ〜っとしている時でした。思わず、パソコンの操作を止めてテレビに見入ってしまいました。

ところがところが、、彼は本当に14歳、本当に中学生なのだろうか?小学生低学年では?と思わず耳を疑ってしまいました。可愛い顔をしているのにその口から出てくる言葉は、「俺は」「オレが」「おれの」・・・と「俺」の連発。我が愚息でも、「僕」と言えるのに、この少年は人の前で話す言葉として、「おれ俺」という言葉しか知らない、教わっていないのではないのでは?と思うほどに聞いていて耳につくのです。

子供ですから、「私は」、「わたくしは」等という言葉を使えなくてもそれはそれでよいのですが、「『俺』という言葉しか知らないのかいなこの子は?」と数分間のインタビューにイライラと、腹立たしい思いをしたのは私だけではなかった様です。

会社に出社して、休憩室でこの受賞の話題が出たのですが、「何なのだろう、あの中学生は??」という疑問形から始まり、「親が悪いのかもしれないね、子供にそういう言葉を教えられないのだから」とか、「親の顔がみたいものだ」という両親批判が混じりだし、「でも芸能界にいるということは、たとえ中学生でももう立派な社会人だろう?それにしてはできの悪い話だね」、或は「少年犯罪問題ではないが、大人と子供の境目はどこにあるのだろう」と社会人の私達からみて、「理解できない!」「おっかしいのでは?!」と批判コメントが相次いで出てきました。これが「おらぁこう考えるんだけんど・・」と方言が出てくるというのならば皆許せるのにね、という意見が大半を占めました。

そういえば、我が家の父は先の五一で75歳になったのですが、ここ何年かは桂三枝さんのあの「新婚さんいらっしゃ〜い」を楽しみにして毎週日曜の昼は「おじいちゃんチャネル」で指定されてしまっていますが、この番組に出られる若夫婦の会話も最近はひどいものです。三枝さんの質問に対して「うん、○○した」、「ううん、××した」といった話し方しかできない新郎、新婦のなんと多いことか。「はい○○しました」「いいえ、××でした」という『ですます』言葉で受け答えが全くできないようです。

小学生や中学生の女の子が男の子に「おいてめぇ!何考えてやがんでぇ!ばかやろう!」と怒鳴りながら下校する姿をみて、「お、絶対こんなの嫁さんにはしたくないものだねぇ」と思うのは私がもう「おじさん」だからなのでしょうか?

最近の言葉の乱れに、「こんなことで大丈夫かなぁ」と思わず中年おじさんとしては引いてしまう私ですが、最低限の尊敬語や謙譲語、丁寧語といったことを今の親や学校では教えないのだろうか不思議です。

勿論英語や中国語では「貴方」、「貴女」、「君」、「おめえ」、「てめえ」も「おんどれ」もみな『YOU』或は『ニイ』でよいということもあるのですが、中国語でもNing とニイの基礎となる部分に『心』の文字がついたり、女王陛下の前や大統領に対して話をする際にはそれ相応の呼びかけ方があるのも事実で、そういった言葉をきちんと使えないと「育ちの悪い下品な奴」と軽蔑されるのも事実。TPOに応じてきちんと話せないようでは、いけませんね。特に俳優などを生業とする人はもっと相手や周囲を意識しないとならないでしょう。(古いですか?)

私の尊敬する北京の元上司の奥様は日本に10年近くいらっしゃったので、大変に日本語が上手なのですが、彼女は中国科学院関係のお仕事をされる理科系の方です。そんな彼女と愚妻が初めて出会った折に、「そうなんですのよ」とか「いいえ、そうではなくてこうなのですの」という彼女の使う言葉の美しさに「わぁ、私達の日本語より丁寧!負けてしまいそう!」とただただ脱帽でした。

英語と違って正式な勉強をしていない私の中国語レベルでは彼女が話す中国語も日本語の様に美しい言葉を使っていらっしゃるのか理解できませんが、会話をしていて、目からうろこが落ちるというか、何かすがすがしく感じてしまったことを思い出しました。

以前に高校の先輩から「日本語をしっかり学ばないとだめだ」といわれた話をご披露しましたが、通訳をする際にやはり日本人は「外国語⇒日本語」が得意で、外国人は「日本語⇒外国語」の方がベターであるように感じます。それは相手が話している言葉を豊富な自国語のボキャブラリーの中から適切な言葉を探せるからだということでしょう。

従って、外国語を学ぶ皆さんは自分の国の言葉すなわち日本語を豊富にして、綺麗な日本語を磨くように努めることが大切だ、と私は考えます。勿論「外国語で考えて話せ」というのは正しく、いちいち頭の中で「日本語⇒外国語に翻訳して話す」のではネイティブについてはいけないのですが、通訳や翻訳をする際にはぜひ、美しい日本語に直してやろう、とチャレンジしてみて下さい。

明日は北京からもとの上司が私の会社に来られます。彼は日本語は片言ですが、やはり、きちんとですますを使い分けられます。その意味では、彼の方が柳樂君より日本語レベルは上!ということになりそうです。

今回はちょっといつもと違う話題でがっかりされた方もいらっしゃると思いますが、来週から何週間か、越南胡志明市に出張に出ますので、今朝方見たテレビ報道を見て感じたことを起点に「言葉(ことのは)」についてちょっと書いてみました。

では再見!


27. こんな出張者に手を焼いていませんか?

Gongbenです。皆さんニイハオ!

時間のたつのはとても速いもので、昨年11月19日にスタートしてからもう半年になります。その間、好き勝手なことを書いてきましたが、途夢編集長をはじめ、色々な人に励ましていただき、なんとかここまでこぎつけることができました。まずもって御礼申し上げます。 扠、今回のテーマは『こんな出張者に手を焼いていませんか?』です。少し長いですが、半年特集として、我慢して付き合ってくださいね。

【出てくる料理なんでも食べられる食通出張者】

イギリスやドイツの様な料理のまずい国というのは別にして、中国に限らず、海外、特に東南アジアでは美味しい、或はちょっと日本では食べられない食材に遭遇することが多いですね。私も蛇、蠍、犬、猫、熊から芋虫・セミの幼虫やゲンゴロウ・タガメ等の昆虫類など結構色々チャンスを見てはトライしていました(猫は酸っぱく、犬肉はとても美味しくて息子も初の北京来訪時にぺろりと食べていました)。

こんな極端なものでなくても、鴨の舌や鶏・鴨の爪先、とぐろを巻いた蛇の姿造りなどの場合、欧米出張になれた人にはショックが大きいようです。「僕、明日もう直ぐに日本に帰りたいので飛行機の変更をしてくれー!」と初日にギブアップした技術課長がいますが、その当時(1990年頃)はそんなに簡単には変更もできず、それを言うと、「自分でパソコンで変更をする!」と言って頑張ってみたものの結局諦めた彼はその後、中国が嫌いになってしまいました。

私の失敗でした。思いっきり中国っぽいものを一つは、と鳥の足を出した、アモイの特産品であるナメクジのゼリー固め(実際は磯ゴカイの一種らしいのですが・・)をお客様から「食べて欲しいな」と言われた、等の原因で『食物性中国恐怖症』になってしまったみたいです。


【くちゃくちゃと音を立てながら食事をする低マナーの出張者】

「美味しいおいしい!」と何でも食べられるのは大歓迎なのですが、口にモノをほおばって話をし、ピチャピチャ・クチャクチャと食べる時に音が聞こえてくる、、そしてスープを「ジュルジュルーピチャー」と音を立ててすすり上げる。これは海外経験の余り無い日本純粋培養型出張者。確かに中国の友人達も音は立てますが、、老人ならともかく、若い出張者がこれをやると、「家ではどんな風に育てられたのかな」と思わずクエスチョン『?』マーク。


【酒には自信があるといい白酒でダウンする自称酒豪の出張者】

「僕は日本で営業マンとして30年近い経験があるから酔わない」と自慢したある部長さん。ハルピンの客先との宴会で、赤ワイン・ビール・白酒(Baijiu)を一気に杯を干す(赤・黄・白の)『三杯(Sanbei):』の儀式で潰れてしまい、翌日の商務交渉ではトイレに通い詰めでした。

私は同僚課長足裏按摩をしてもらっているうちに翌日3時まで男二人でパンツ一丁で、マッサージチェアで寝てしまいましたが、その前にと9時からボーリングをして200点前後の争いをしていました(平気の平左でした)が、熟睡のお陰で翌日我々二人は元気一杯で、ハードネゴをさせられた結果、商談がまとまると、「あれは僕が5分で纏めたんだよぉ!」と日本に帰ってから自分の手柄として吹聴して回り、汁物は苦笑顔。


【中国の歴史に妙に詳しい高級幹部出張者】

是は立派な出張者、中国の歴史や訪問先の地理について出張前に事前に調べている人。「殷の時代にね」とか、三国志のお話とかを披露されるので、その博学ぶりに驚く私達ですが、大連をタイレンと発音されたり、人名の日本読みをされるとこちらがよほど知っていないと判らないので「おい通訳君、しっかりせい!」と時々お叱りを受けることも多々有りました。漢詩を日本の漢文式にレ点・返り点を付けて詠まれるともっと難しいのです。通訳泣かせの大幹部さんたち。


【日本の諺を連発して通訳を困らせる物知り出張者】

中国のことは判らないけれど、と日本を紹介するのに次から次へと日本の諺を出して日中交流をされる幹部の出張者。諺というのは英語でも難しいのですが、中国語でも同様。判らないことをいいことに思わず「また日本の諺を紹介していますが、私の理解を超えています。でも笑ってください、イチニのサン!」とやってタイミングよく笑いを引だせると出張者も大満足(ひー、これはバレマセン様に!)と言うことも何度かありました。


【通訳のことを考えない幹部出張者】

宴会での通訳は大変です。幹部と一緒となると、彼は食事をし、笑える話題を次から次へと連発。お客様も喜んでいるのに通訳だけは食事をする時間もなく、、、そんな時に「さ、これから少しは通訳さんも食事をしてください!皆さんちょっと食事を楽しみましょう!」とか「ちょっと英語のできる方はいらっしゃいますか?一緒に少し英語で会話をして、通訳さんにゆっくりしてもらいましょう!」といってくれると最高なのですが、、現実は厳しいものです。


【旅の恥はかき捨ての色魔的出張者】

ここまでの出張者はまだ可愛い方です。ひどいのになると、「カラオケに案内せい!」とリクエストが入り、店に入ると最初の20分ほどはもじもじとしているのですが、その先は筆舌に尽くしがたい行動をとる人がいます。

中国語がわからないからかなとこれまでの経験(その人は中国語も英語もだめな人です)から、日本語のできる小姐が隣に座るやいなや、「上四方固め」或は「下四方固め」のワザを発揮、唇をつき出して小姐にキスを強要しようとする。ちょっと高級なホテルのラウンジで、そういう行為はできないのにも拘らず、もう全身が性器の様な出張者はいませんか?「あの人は二度と立ち入り禁止よ!」とちーママから後で携帯に電話が入って自分も冷や汗びっしょり、という経験のある人も多いことと思います。

直ぐにドレスの中に手を入れようとする色鬼(Segui)出張者。そして中国人の部下や現地人雇員を通訳に連れてくる出張者が彼らにその夜の交渉をさせる本物の色情狂出張者。ママさんから「この店はお酒を飲むところで連れ出したりする店ではない」といわれるや、「何だ中国人の癖に!」と怒り出し、「小費(Xiaofei:チップ)なんかやらない」とそれまでの二時間のコンパニオンのサービスに一銭の対価も払わずに飲み逃げをしようというちょっとけちな出張者。。。 困ってしまうのは現地の駐在員です。「せっかく中国に来てやったのに、あいつは女の手配も出来ない奴!」と一方的に判断をする出張者には手を焼きます。

このような問題出張者の中には、現地に女性を囲って『毎月毎月必要も無いのに10日以上の出張をしてその度に彼女のいる都市を出張コースに入れる』というお金のある部長クラスの出張者もいます。現場からは「何をする為に出張されるのか?」という質問を事前にすると、「あいつは何様だ!呼び返せ」と、日本の本社風を吹かす出張者もいます。

駐在する人間は毎週毎月現地の人と顔を合わすので、そして、日本人社会は案外小さいものなので、悪いことはできませんが、出張者という気軽さが彼らをしてそういう風に豹変させてしまうのか、はたまた根っから出来が悪いのか、、余り関係を持ちたくなくなる出張者は後を絶ちません。

駐在員は上層部の出張者には意見を言うこともしにくいものです。私はそういう危ない方向の予見される店にはあまり連れて行きませんでしたが、自分より若い出張者には「ばか者!」と一喝することもこれからは必要だな、とつくづく思っている今日この頃です。駐在員の皆さん頑張れ(加油:Jiayou)!

また長くなってしまいましたね。

再見!


26. 中国語学習熱が高まっているそうですが

Gongbenです。皆さんニイハオ!

【天麩羅屋さんで読んだ夕刊記事】

私は東京で単身赴任をして1年と3ヶ月になりますが、社宅の近くにある天ぷら屋さんによく夕食をとりに会社の帰り道に立ち寄ります。今夜もこの天ぷら屋さんに立ち寄り、そこで読んだ朝日新聞の夕刊にこんなタイトルの記事がありました。題して『中国語学習は有利か?』・・・

中国に進出する企業が急増する中、中国語を学ぶ大学生や社会人がここ数年間で急増しているが、企業の中には「自分をきちんと語れない『本業を忘れた多角経営』では逆効果」といったことを言う会社もある、といった書き出しで始まるこの記事を一気に読んでしまった。

ある大学生は、上級の中国語を身に着けた後に就職をしようと一年就職を見送る決断をし、ある中国語学校の夜間教室では、この二年間連続で学生数が2割増を続けているそうで、来年の6月には『(級別のではなく)点数式ビジネス中国語検定』試験が始まるという。

三洋電機は「中国語ができることは絶対にプラス」、中国で実績があるとされる伊藤忠も「リーダーシップや体力などの個人的実力と同等の扱いでプラス評価をする」と前向きに評価、NECも初心者対象の中国語口座を研修で開始する程に中国語に対して熱心に見える。

しかし、「採用には有利になるか?」との質問に対しNECの人事は言葉を濁すコメント「できれば便利とはいえるが・・・」に続き、「自分のPRには熱心でも自分を語れない学生がおり、これでは『本業を忘れた多角経営と同じ』」というコメントが紹介されていた。

【英語なんて話せても】

私が高校在学中に英語ができるというのを知った先輩が、「日本人なら日本語を話すべきだ」、「英語なんか話せても何の足しにもならない」、「本業の勉強が大事だ」といった意見を私に面と向かって吐いたことがあったが、それを思い出してしまった。英語の読み書きは別にして、話すと言う点では先輩は苦手だったことを今でも思い出す。どうも、島国に住む日本人の狭量さというのか、「これからは『それができることが大いにプラスになる』ということは頭では判っていても自分が『今それをできない』故に、そうやって相手を牽制する若しくは、他人を妬む所があるのではないかと思う。


【脱亜入欧と鬼畜米英の思想的歴史】

日本は明治時代に「脱亜入欧」を掲げて日本人であることを捨て、アジアを捨てて欧化政策をとり、「鬼畜米英」と呼んで嫌悪していたアメリカを太平洋戦争以後は一挙に米欧(米が主になっている!)追随主義化した。日本を完膚なきまでに叩きのめしたアメリカには日本はかなわんわいという反省からか、その後は「アメリカは全てよい」かのように思い込み、アメリカに追いつけ追い越せ、となった。

しかし、日本からみてアジアは日本より程度の低い国と馬鹿にする気持ちは強い。そこで、今アジアの中で一番強大化して日本を脅かす存在になった「中国をどうするか」だが、心の中では中国を30年遅れの日本と馬鹿にしながらも、仕事の上では大事な客であり、戦時中は敵性語として英語教育をしなかったことによる失敗をしないためにも中国語を学ぶことの重要性は判る、「それは(頭の上では)判るが・・・」というのが冒頭の企業人事部のコメント等に表出してきている。(一方で「英語ができないとグローバル社員ではない」といったことを言う企業が多い現実はこの人事のコメントに反しているように思うが・・)。少し、一方に偏った見方かもしれないが、高校時代の先輩の言葉を思い出させる新聞の報道を読んでそう思えてならない。


【日本を愛そう、でもそれだけでは片手落ち】

日本人は日本を愛することが大事だ、とかよく言われるが、海外に住んでみると、または海外に何度も出張をしていると、自然とそういう風な気持ちになってくるのが不思議で、私の尊敬する方は中南米に長く単身赴任をされていた方で、「Gongben、俺も向こうで一人我が家の風呂に入っていたりすると日本って本当にいい国だよなぁと思うこともよ〜くあった。演歌を口ずさみながら涙を流したことも何度もあったよ」と大阪の北新地のクラブで何度も語ってくれた。確かに私もカラオケで演歌を歌うことは無かったが、北京時代に上司の好きだった歌も何曲か覚えて予想以上にうまく歌えるようになってしまった。

但し、日本を愛することと、アジアの他の国を蔑視すること、排他的になってしまうことは別物であり、「自分のいった国に貢献をすることでその国からも愛されるようにならなくてはいけないし、その国を好きになるようにしなくてはならない」と私はおもうのだが、今の自分の会社を見ていても、どうも欧米のやり方を、日本のやり方を中国人に教えてやるという、自分が高位者である態度が見えみえで、そういう人には中国のビジネスなど担当して欲しくないと思ってしまう。


【マスコミに期待すること】

大手のマスコミは、そのへんについては無責任と言うか、新聞や雑誌が売れ、視聴率さえとれればよい、と言う考えしか持ち合わせていない様なので、それを攻めることはできないが、是非、この続報として、大企業の人事が言葉を濁したりする背景をもっともっと突っ込んだ記事を書いて欲しい物である・・・

とまあ、今回は「ですます」調でない書き方になってしまいました。明日の朝からの会議の資料を作成しなければならず、書きなぐってしまいました。ごめんなさいです。

では再見!


25. メーデー・GW・五一休暇

Gongbenです。皆さんニイハオ!

この連休は何日休めましたか?私は29日から6日まで8連休をとり、大阪の実家で息子とのんびりとほぼ毎日キャッチボールの相手を勤めさせられ、一昨日淀川河川敷の野球場で、サイドスローで「高速シュートだぁ!」とちょっと無理をしたところ、右肩の筋肉に違和感を感じてしまい昨日は全力で投球できないほどの痛みで今日は惠の雨のもと、市内のパソコン屋さんを回り美味しいとんかつを食べることで許してもらいました。まさにパイロットの一声ではないですが「メーデー・メーデー!筋肉痛で身体が・・・・!」状態です。

小学5年の息子はリトルリーグなどのチームには入ってはいないのですが、近所の中学生のお兄ちゃんたちにも相手をしてもらっているようで、速球の他に漸くカーブが投げられるようになり、ミットを構えた所に制球できるようになりました。お兄ちゃんの一人から『おーい×◎君、小Gongbenの方が直球速いぞ!』といわれたことでますます頑張ったようです。やはり子供はおだてて育てるに限る、ですね(かく言う私も家内からは「あんたにはおだてが一番だ」といわれています・・・)。

昔は日本でもゴールデンウィークといっても余り長い休みを取れなかったし、4月29日の旧天皇誕生日(現みどりの日)から始まるGWも、「飛び石連休」になってしまったりで、学校に通う子供さんがいると「どこにも行けない連休」なんていうことが多かったですね。でも今回は休みが続いているということで、家族旅行に出られるところも多いようです。

昨夕家族で立ち寄った「ミスタードーナツ」にはGWにもかかわらず、お客さんが少なく、我たちがそこを出た時にはお客様“0”の状態でした。また、近くの「トイザラス」でも、予想外のお客様の少なさに店長さんは憮然とし、バイトの人たちは「あー、今日も店長さんの顔、怖ーい!」と陰でこそこそーっと話し合っていたとのことで、行楽地とは違う市内のお店には痛いGWになりそうです。

中国では最近は春節・五一・国慶節の長期連休制度化のお陰で、鉄道部(日本のJRというか国鉄ですね)や航空会社、旅行会社、ホテル等、観光地の様々なお店の連休期間中の商業活動が活発化して経済効果が大幅に上がっているとの報道がよくなされていますし、この時期に北京に入るのは国内の地方からの旅行者に加え、海外からの旅行者も多く、通常なら万里の長城で有名な八達嶺に一時間ほどでいける「八達嶺高速」ですが、この時期は入口の北四環路まで大渋滞する為、10年前にかかった所要時間2ー3時間もかかることもあるとのこと。

少し北京を知る人なら幕田峪の方にまわるのですが、それ以外だととにかく「我慢我慢」の往復4時間5時間を過ごさねばならなくなってしまいます。この時期、中国でも日本でも、どこに行っても言えそうですが、出発時間を少しずらす、経路を変更する、目的地そのものを変更する、などの対応をしなくてはいけなくなってきましたね。そういう場合には、その地方その都市に詳しい人、土地の人に情報を聞くことで、かなり判断材料が揃いますよ。一流ホテルのフロントマンやコンシェルジェはその土地のことについて非常に明るいし、英語も話せる人が多いので、もしあなたが中国語ができなくても大丈夫、思い切って聞いてみましょう。

私は2001年の正月にシンセン(Shenzhen)・香港に家族で遊びに行きましたが、シンセンのホテルで「明日、この子供と一緒に『世界の窓』に行こうと思っているが」と話をした途端、「息子さんは小学校3年生ぐらいですね。それなら子供が楽しめる方がよいですよ。『歓楽谷』というところに行けばジェットコースターや色々なのりものもあるし、とても広いですよ。朝は早めに行って一日ゆっくり過ごして夕方にホテルに戻ってくれば晩御飯を香港のレストランで食べられます」と教えられ、翌朝「中国で遊園地ねぇ・・」と半信半疑で出かけたところ、ディズニーランド並みの広さで、100元ほどで入場料も乗り物乗り放題も全部こみで過ごせました。息子は大はしゃぎで北京に帰ってから香港・澳門・深(土川)の中で一番面白かったのは「なんと言っても歓楽谷」とのことでした。時間の配分なども詳しく教えてくれた香格里拉のフロントに感謝しつつ、大いに満足できる休暇(これは五一でも春節でもなかったですが)を過ごすことができました。

さて、私が会社に入った1980年ごろはメーデーというと、会社の組合の指示(というより強制命令)で大阪や東京の公園に「休みなのに」無理やりに行かされ、つまらぬ政治家たちのくだらない(本当に下らないですよぉ!)自己PRを聞かされて(その間みな話しなど聞かずにウォークマンで音楽聴いて、本読んで、でしたが)その後1キロほどのデモに参加をさせられて、とにかくGWの貴重な一日が台無しになっていたのですが、最近は組合も社員のことを考えるようになったのか、余りこの手の話を聞く機会が減ってしまいましたね。

さあ、この連休、今日5日が最後の人も、6・7日を年休とって9日まで休みにした人も、ラストスパート!有意義な休みにしてください。

では再見!

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【途夢のコメント】

中国で勤務する私も連休中です。会社は1日から6日まで休みですが、個人的に7日に休みを取って9連休にし、家族の住む台湾に来ています。

尚、1日から4日までタイのプーケットに家族で行ってきました(このメルマガは、4日23時55分に台北に戻ってきた直後に書いて発行しました)。4回目のプーケットでしたが日本のGWに行くのは初めて。思っていたよりも日本人や中国人が多くなく、白人が多くて異国情緒を楽しめました。。。

皆さんの連休は如何でしたか?


24. 北京のSARS再発生報道に思う

Gongbenです。皆さんニイハオ!

さて、「先週末に北京市・安徽省でSARS発生か?」という報道がなされ、中国もそれを確認する内容を発表しました。医療関係者の感染ということで、今までの経緯とは違うとは言え、一日も早く本件クリアにして欲しいな、と心より思います。

北京の日系旅行社に勤める私の友人は、報道直後のMSNメッセンジャーのやり取りの中で私がその話を持ち出すと「きゃぁ・・本当ですかぁ?予約キャンセルの嵐の再来なんていやぁ!」と恐怖の表情(顔が想像できました!)でした。また、この五一の時期に北京をご夫婦で訪問される私の友人からも「だいじょうぶでしょうか?」と問い合わせが来、私が「これまでに日本人は感染していないから大丈夫でしょう」と答えたのに対して「本当は『大丈夫だ』、と言って欲しかったんですが・・」と心配な様子でした。自分が北京にいないから気軽にいうのではなく、心から「日本人の皆さんには無事であって欲しい」との願いからそう思いたいのです。

但し、去年の日本企業のSARS対策は、私から見れば行き過ぎではないかな、と今でも思っています。多くの日本企業が中国を脱出してしまった際に、「日本人はいいですね。日本から来た人は『日本の本社の指示で』と、気軽に日本に避難ができますが私たち北京人には逃げ場がないのですから」と私にメールをくれた友人たちがいましたが、あの時の交信の中に「天安門事件の時も日系企業の多くは逃げ帰ったけれど、本社の指示にそむいて北京に留まってくれた日本人もいてくれた。その勇気と中国への信頼感を評価する北京っ子も多かったのに、今回は(伝染病とは言え)さっさと日本に逃げ帰る人ばかり。ああ本当に遺憾です」というメッセージをくれた人が居ました。

人間だれしもそういう危険からは忌避したいと思うものですが、そこに残留することを決定された友人も居ます。「心配だ」「心配ね」と事態を案じながらも、そこに残り、なんとその時期に出産を北京でされた友人もいらっしゃいました。きっと彼女に対する北京っ子の評価はぐっと向上したのではないかと思います。北京っ子も震え上がる中で、残留されていたのですから、その勇気に敬礼!です。

私の家内・息子は日本人学校の学期の関係も有り、昨年3月18日に一足先に日本に帰任した私が迎えにいくまで、二人で北京におり際どいところでしたが、SARSだから帰国したのではなかったことが私の心の中ではひとつの救いになっています。(あのSARS騒動の現場に居なかったから気楽なもんだな!といわれるかもしれませんが、私はもし当時まだ駐在の任を解かれていなかったならきっと私の信念で、家族だけを帰国させ、私は北京に残ったのではないか、北京の友人たちに背を向けることはできなかったのではないか?と思っています。・・・勿論、自分がその場にいて、北京の状況を見て恐れをなし、「真っ先に(!?)」尻に帆をかけて帰国していたかも知れませんが・・)

でも、万一北京で感染した、或は死亡してしまったりした場合、やはり日本政府や会社に多大なご迷惑をかけてしまうことにもなってしまいますね・・・う〜ん・・・こういう時には本当にどうしたらよいのか、簡単には結論は出せませんね。小泉さんや社長から「ふうむ。(無理に残って感染するなんて)何を考えてるんでしょうねぇ」と言われてしまうかもしれません(冷や汗)。

理想は、北京の友人から「Gongben、もういい、これ以上ここに居ると危険だ、お前は直ぐに一時帰国しろよ」と言われるギリギリまで頑張って、彼らも自分も一応の納得をしてから帰国の途に着くというストーリー展開ですが、その様な格好の良いことはそう簡単にはできそうもないかもしれません。

今回のコラムには結論は書きません。が、SARSで一時崩壊状態寸前まで行った北京市が、不死鳥の様に立ち上がり、経済も右肩上がりになりだしたこの時期に又もやSARS禍が拡大しないことを切に希望します。今、北京にいる駐在員のみなさん、留学生の皆さん、昨年のSARS対策五つ道具とともに、衛生に配慮され、罹患しない様にご注意下さい。

なんともしまりのないコラムで申し訳ありません。でもこれを衛生を考え、健康を考え、危機への対策を考えるきっかけにして頂ければと思います。

では来週まで再見!


23. コンビニの「7-11」が北京市東直門に誕生

Gongbenです。皆さんニイハオ!

4月15日、北京の東直門(Dongzhimen)大街にセブンイレブン(中文でも『7-11』便利店)がオープン、店の外にはお客様が列を作って初日は大盛況だったとの報道を19日のテレビで見ました。

店舗面積は100平方メートル程で、1500〜2000の商品揃えだそうで、日本と変わらない規模なのかな、と思いつつ見ていると、シュークリームが特価で2.5元など値付け的にはかなり高いのですが、まずは「おめでとう、現地に密着して北京っ子から愛される店になるようにがんばってください」と言いたいものです。

中文Yahoo香港の報道(繁体字)では『北京に50店舗を計画』となっていますが、中国情報局(Searchina)の日本語報道では『北京市内で、年内に150店舗』となっていますし、19日夜のテレビ報道(朝日系列だったと思います)では『5年間で500店舗を北京市内で出店する』とのことで、どの数字が正しいか判りませんが、かなり急ピッチに店舗展開をされるのは事実で、マクドナルドやケンタッキーの様に急成長してゆくでしょうね。

コンビニは、便利店(Bianlidian)と呼ばれるそうですが、上海では以前からローソンが進出しており、私の会社の分公司も同じビルにある関係上、何度か利用をしたことがありますが、人間が中国人、商品の表示が中国語と言うことを除いたら、殆ど日本と変わらない(当然ですが)感覚で、希望の商品(例えば髭剃りや電池、煙草)がどの棚にあるか、大体見当が着いた、と記憶しています。

中国で日系のデパートやスーパーに行った場合、商品の配置場所(フロアープラン)やディスプレー方法など、日本とは違うなぁと感じたり、「あれれ、こんなところにこんなものが置いてある〜!」という不思議な感覚に陥ることがよくあるわ、とは我が愚妻やその友人達の話だそうですが、現地の人の意見を尊重するべきか、日本の方式を(というより現地に無い概念を)押し付けるべきか、悩ましいところですね。

既にある概念が存在している所に「これは日本の方式だ、日本では成功した。」とか「アメリカの標準が世界の標準だ、だからアメリカ式でないとだめだ」というアプローチをすると、現地の人の反感を買うこと間違いなし!と言えるのですが、コンビニ店の様な、もともと中国には無かった概念の場合は、外来のコンセプトで進めながら、現地に順能同化させるというのがよいのかなと素人的には考えています。

上海の方が新しい物好きということもあって先にローソンが進出したのでしょうが、ローソン上海森茂ビルの現状経営は順調なのでしょうか、同じ日本企業同士ということもあり、私も気になっているのですが、今は上海に行く用事もないので、この目で実際に確かめることもできません。今度どなたか詳しい方いらっしゃったら情報くださいね。

ところで、西安事件を誘発したという誤報を伝えたのは香港の新聞でしたが、今回の報道は正確なのでしょうか、少しだけですが、気になります。まあこの報道が違っていたところで、暴動を誘発することは無いとは思いますが・・

今日はこれまでにします。


22. 中文まるでダメな人の宴会対処法

Gongbenです。皆さんニイハオ!

【莫 邦富著「中国全省を読む地図(新潮文庫)」】

莫 邦富さんの「中国全省を読む地図(新潮文庫)」という文庫本を先週衝動買いしてしまいました。中国の22省・4直轄市・5自治区に香港・澳門・台湾地区について夫々数頁を割き莫さんの目で見た、そして資料に基く解説がつけられており、大変判りやすい内容で、一晩で一気に読んでしまいました。

初版本は2001年12月、これが第六版ということもあり、若干情報としては古くなってはいますが、紹介された省や自治区についての風土やものの考え方についての記述は今でも大体そのままだと思います。(莫 邦富さんは上海の人ですので、やはり北京には厳しく・上海には甘く、といった感がありますが、これは仕方ないことだと思います。)

この本を読んでいて、ふと今回のテーマが決まってしまいました。

【数回目の出張で単身での中国国内移動を経験】

私が中国の営業をするようになったのは十数年前のことで、毎回出張をすると中国に十一あるビデオの製造を認められた「定点工場」を2週間で巡らねばならず、かなりハードな日程でした。最初の数回は日本の中国を担当する地域本部の営業課長や主任などと一緒に巡回をしていたのですが、そのうちに、「もう道筋も覚えたでしょう?空港の乗り継ぎなども数字さえ注意していれば、目的地の空港には事務書員を迎えにやるので安心ですよ。」と段々と冷たくなり(?)、確かに現地の事務所の人がピックアップに来てはくれ、通訳もしてはくれるのですが、各空港での待合室等では大変緊張をしたものでした。

私はこの対処方法として、空港内部の見取り図を「トイレはどこ、安全検査はどこ、待合室の椅子の配置はどうなっているか。必要な書類は何をどこで出すか。費用はいくらか」など情報とともにノートにびっしりと書きとっておきました(これは後で工場の班長さんや職長さんに単身で中国入りをして戴く時の一種の旅行指南書として役に立ちましたよ。旅行代理店の本や地図にもない情報満載でしたから)。

【タテ飯の宴会に一人代表として座らせられ】

いざ、先方との会議では、現地の所長や雇員さんが通訳をしてくれて助かったのですが、困ったのは夜の宴会。横飯(英語の食事)は何ともない私でしたが、当時中国語は殆ど話せず、かといって黙って座っているわけにもいかない縦飯(中国語の食事)では、いつも通訳が脇にいてくれたので、「我が社には○○という考えがありまして」とか、「我が社の歴史上でこういうことがありました」などといった会社の紹介や「わが国の諺で××××」といった日本の文化や言葉の紹介を通訳つきでやることで、そのホスト役を何とかこなしていました。

ところが、ある工場での食事会で、スタッフから「Gongbenさん、今日は日本の人は先生一人になりました。少しは中国語だいじょうぶになりましたです。だから今日はあの卓のホストをお願いします。」といきなりポーンと真ん中のテーブルに座らされてしまいました(日本人の責任者が別件で急遽こちらに参加できなくなった)。

「えっ!うっそぉ!」と言いながら、仕方なくテーブルに着くと、それまでの交渉で相手方の代表だった人たちが、にやにや(決してニコニコではない!)しながら「Gongben今晩は没問題?」と言ってくる・・冷や汗がわきの下にビッシリと・・何せ「おいしい(「好喫」しか知らず「好渇」を知らなかった)」と、「没問題」「有問題」ぐらいしか知らない状態といっても良いほどのレベルでありどうしようかとあせりを感じたその時!

【よし、ならばこのテーマで盛り上げよう!】

ぱっと閃いたのが、「お国自慢大会」でした。皆さん各地からの出身者が多く、10人前後のテーブルで夫々のお国自慢を聞かせてもらえばあっという間に2時間は過ぎる筈、と読み、急遽提案をしたところ一同大賛成!「◎×先生の出身地はどこですか?」を連発して、知った土地であれば「ほう、そこでは料理が美味しいのでしょうか」「あ、そこなら白酒有名ですね」「私もマーボ豆腐大好きです」などと言葉を返すと一人10分どころか30分も話し出す人がでてきて、2時間半をすぎてもまだ足りない!・・

私の役目は「知ってる知ってる(知道Zhidao)!」「へぇ〜そうなんですか」と相槌を打つぐらいで済み、参加した彼らも大満足、自分に順番が回らなかった幹部からは「Gongben、次回はいつ食事するか?」と妙に期待されてしまう結果となりました。

【でも毎回とは行かないので・・学習を】

結果オーライでしたが、その時に「これ位はやっておかないと恥をかくなぁ」と感じたことを列記します:

1)今の日本、自分の会社については話ができるように日頃から勉強をしておく
2)観光地についての質問を受けたり話題になったりするのでその簡単な説明ぐらいできるようにしておく
3)日本の歴史・政治と中国との関係などについても勉強しておかないと、彼らの方がよく知っていて恥をかく
4)遣隋使や遣唐使について、鑑真和尚、孫文といった人についての知識ぐらいは知っておこう

それに、加えて自社の商品・他社の商品の差異について語れる知識を持つのは当然のことですが、それを言葉の話せない人の場合は、即座に漫画化したりして相手の理解を得やすくする工夫はしておこう

といったものです。(他にも沢山ありますが今日は紙面の関係でこれにて打ち止めとします)

同じ相手に何度もこの手は使えませんが、二度目ぐらいまでなら全員同じ相手ではないこと、前に聞いたことのあるテーマだと、自分から「◎×省ではこうこうですよね」等と話題を振ることもできますし、前回に聞いたことをナプキン等に書いてあればそれを持ち出してみてもいけます。まあ、そうこうしているうちに宴会中国語ぐらい話せるようになります。安心してください。

では再見!


21. 現地の皆さん暫くは慎重に行動を

Gongbenです。皆さんニイハオ!

また日中間の摩擦が大きくなってきていますね。現地でご活躍の皆さん、留学中の皆さん、この問題が沈静化するまで、暫くの間は十分に気をつけて行動してください(先週のメルマガ189号にもTOMさんが領事館からの通達を紹介されていますね)。

私の北京駐在中にも何度か大使館筋からの情報として、この種の通達が来ていたことを思い出してしまいました。北京の三里屯酒バー街の日本レストランや、朝陽公園西側の焼鳥屋さん(今は整地されてなにもありません!残念。安くて美味しかったのに・・)でも「お前は日本人か?」と聞かれて「そうだ」と答えた途端に殴られるという事件が相次いだこともありました。

私の馴染みのお店では店長が公安関係者とも親く、その種の情報についてもいち早く入手されており、ママさんや従業員に日本人のお客さんにも安全情報を流してくれていましたし、時には300m程しか離れていないのに私のマンションへ送り届けてから従業員に帰宅するようにとの指示を出してもくれていましたので、怪我をすることもなく、帰国できた次第です。

但是、今回の問題は、以前からくすぶっていた問題(最近は殆ど話題にも上っていなかった)に火をつけてしまった小泉さんの靖国神社参拝についての『A級戦犯と合祀していることに何らの違和感も感じない』発言が大きく陰を落としているように見ています。

釣魚島(尖閣諸島)問題については日本のYahoo検索で見ても、中国版雅虎検索で見てもかなり多くのサイトや頁がありますが、日本の検索ではその大半が右翼の人たちによると見られるものですし、中国語版はこれもかなり中国政府公式見解やそれに近い物ばかりで、どちらも偏りが大きいなと思えるものばかり・・・もう少し公平なものはないのだろうかと思っても検索数が膨大で皆見ることはできないので、途中でギブアップしてしまいました。台湾の意見もあることですし、国際司法裁判所で白黒をつけるのが一番ではないのかな、、と思っている今日この頃です。

でも、靖国の問題は「日本のことに中国が首を突っ込むな、内政干渉だ」という小泉さんの発言も、イラク派兵をきめたあの小泉さんとも思えない発言で、がっかりしてしまいました。と同時に日中関係を悪くしなければよいが、という私の予感が的中してしまった格好です。

私の読んだ本や新聞・映画(ちょっとこれは傾きすぎですが)・報告書からは、東条英機という名前は中国でも有名(悪名高い)だそうですが、私達戦後に生まれたものにとってもよいイメージのないというか、悪いイメージしかありません。そのほかのA級戦犯になった人たちも含め、これらの人と、俗に言う『赤紙』一枚で無理やりに戦地に赴かされ、その途中の船を沈められなくなった人たちや、戦地で敵弾に倒れた、病気に倒れた人たち、つまり戦争をしたくて戦争に参加したのではなく、政府命令で行かされた人たちで命を落とした人たちが一緒くたに祀られているということが、そもそもの間違いであったのではないかな、と思っています。

自民党にとっては票が欲しいのでしょうが、もし、靖国を『戦犯人神社』と呼称改訂し、後者の為に『(日本政府の)戦争犠牲者神社』というのを新たに建て、そこでは「二度と戦争が起こらないように、世界平和を祈る」こととする、というようにでもなれば、中国の人たちからも歓迎されるのではないでしょうか? 靖国でないといけない等と考えている遺族会の人たちは何人居るのか知りませんが、私の親戚にも戦地で戦死した人が何人かおり、話を聞いてみると別に靖国神社にこだわっている人たちではありませんでした。日本人と中国人戦争犠牲者が一緒に祭られる神社というか墓地を日中双方の地で建立してお互いが、そこで、今後の世界をよくしようと祈ることができれば、と思います。

中国の人とメールやMSNメッセンジャーで交流(若い方、それも女性が多いのがちょっと偏った意見にしているかもしれませんが)をしていると、「中国では『昔受けた恥辱を忘れる』ことはその人の恥でもある」と説明してくれました(これは日本軍のことだけには限らないのですが、彼らにとっては国の歴史の中の一つのマイルストーンでもある訳ですね)が、彼女は「『悪いのはどちらか』ということを言い合っていても世界はよくならない。お互いのよい所をみてよりよい中日関係が築ければそれが一番、過去を忘れるわけではなく、事実を厳粛に受容れることが肝要ですね」と言ったのですが、若い彼女の意見に心を洗われたような気がしました。

今日はちょっと重かったですね。でも為了中日双方明天、と思いながら敢えて書いてみました。


20. 愛尓蘭の禁煙法に戸惑う私ですが

Gongbenです。皆さんニイハオ!

読者の皆さんは、煙草はお嫌いですか?私は、中学一年から会社に入るまで中・長距離走をやっていたことから、中学の時は7〜15km、大学に入ってからは20km以上を毎日欠かさず走る為に煙草は一切吸わず、大嫌いと公言していました。そんな私が煙草を吸うようになったのは、会社生活を始めてほぼ数年目、アメリカ帰りの広報部門の上司のおかげでした(宣伝を理解せずに広報の方が宣伝より上だと知ったかぶりをしているのを見るに絶えず、始めてしまいました・・不純な動機ですね)。

私は最初のうちはふかしているだけだったのですが、営業として中国を担当するようになり、吸い方が変わってきました。大きな契約を結ぶ為に一週間で6時間しか寝られない時等には一晩4箱吸ってしまう程のヘビースモーカだったときもありますが今は一箱ペースに戻っています。

昔の出張時に販売店を訪問して現地の事情を伺う際には、老板が煙草のボックスを私に差し出しながら、「まあそこに座ってお茶でも飲んで、煙草でも吸えや」と言われ、よ〜く見ると切り口からは数本の煙草が飛び出ているので、(日本人らしく!?)遠慮して一本だけ摘み出すと「そこに出てる本数全部とってそれを吸いきるまではこの店からでたらアカン!」(大阪弁ではないですが、広東語訛です)と言われるのです。そこでエイヤッとばかりに全てとり、吸いきって次の店に行くと、そこでも同じことを要求される。。。これには少し閉口してしまいました(彼らは私たちから煙草を取るときも数本纏取りしてしまいます)。

【煙草を交際の道具にする習慣】
一部都市だけではなく私の知る限り中国のあちこちでは、煙草が一つの交流手段になっているな、と感じたのはそれから暫くしてからでした。宴会の際には各テーブルに煙草が置かれ、結婚式に出くわすと、新郎新婦が通りかかる人(他人ですよ!)に煙草を一本ずつ配っているのをみて、「中国というと漢詩などでも色々とお酒に関し多く書かれているが、なるほど、煙草も交流道具の一つなのだなぁ」と妙に納得してしまいました。私の中方の上司は煙鬼なのですが、そんな彼とは仕事上で問題が発生した時、または私と大口論をしたりした後、ふっと彼の方から「Gongben、抽煙(ロ巴)!」と提案され、喫煙室に二人で入ると、気持ちも落ち着き、よりじっくりと話をすることができたものでした(ああ懐かしい!)。

【禁煙区であっても・・・】
中国の友人達を見ていると煙草好きの人が多いのですが、最近は若い人を中心に非喫煙者も増え、どうやら「中年のおじさん」だけが(ちょっと誇張?)、その主人公である様です。彼らと一流ホテルのレストランに入ると、喫煙コーナーが満席になっているときには、禁煙区に座り「小姐!煙灰缸(Yanhuigang:1・1・1声)!」と遠慮せずにガンガン注文している!私は最初のうちは「喫煙ができないね、小姐?」と遠慮がちに少し優しく質問していたのですが、段々とおじさん的になってきたようです(注意、注意と自省しているのですが・・)。今は上述のおじさんなみ。

【なんと禁煙の空港でも吸える方法が・・】
また、上海浦東空港、香港新空港等では一時全館禁煙になってしまったことがありましたが、今は一部に喫煙室を作っていますね。私はその当時、売店の人に(禁煙なのを承知の上で、)「私は煙鬼なんだけど、どこに行ったらいいのかな?」と聞くと、「じゃあ僕らと一緒に来い」と事務室の裏につれていって頂き、ちょっと一服したものでした。時には公安の人たちと一緒に冗談を言い合いながら吸ったりもしました。本当に融通の利く土地だなと感服してしまったものです(日本ではありえないことですね)。

【アイルランドの禁煙法】
時に、今朝のニュースで報道されていましたが、愛尓蘭(Ai’erlan:4・3・2声:アイルランド)では、自宅以外は全て禁煙になったとのこと、、中国の朋友たちには極めて厳しいところになってしまいましたね。ノルウェーがこれに続くとの報道もありましたが、レストラン等の売上は8%は落ちると心配する経営者もいるそうですが、本当に喫煙者には肩身の狭い時代になってしまったものだと思います。

【アメリカ・・この利己主義の国?】
アメリカでも、これまで大量に煙草を生産していましたが、煙草が有害となった途端に一挙に禁煙を強制する国になり、国内では消費の落ち込みがでるのでその「有害と認識した煙草」を中国・日本などにゴミ捨て場の如く集中豪雨的に輸出して「自分の国だけはクリーンだ」とやっていますね。こういう自分中心主義というかエゴむき出しの国より、中国の方が、ずっとかわいらしいものだ、等と思っているのは私だけなのかもしれませんね。。。(笑)この際、私も本腰を入れて禁煙しようかなぁ・・・

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【途夢のコメント】

私は煙草は吸わないので愛煙家の気持ちを察することは出来ないのですが、確かに愛煙家には肩身の狭い世の中になって来ているようですね。でも、空港などにある喫煙ルーム、中が煙で舫っていて見るからに健康に悪そうですが・・

楽天市場で「禁煙」で検索したら、以下のようなグッズがヒットしました。Gongbenさんのように真剣に禁煙を考えられている方は如何でしょう?

▲ノースモーク禁煙草(3週間で禁煙成功率96%)
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▲禁煙香油(吸いたいときに匂いを嗅ぐだけでタバコが嫌いになる! )
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19. 私の中文老師は素敵な女子大生でした

Gongbenです。皆さんニイハオ!

先週は天津から日本(松本市)に留学に来ている素敵な女子大生との出会いについて書きましたが、きっと皆さんの中にはGongbenって色鬼(Segui:先々週書きましたね)では?、そこまで行かなくても好色(Haose:4声4声)と思われる方もいらっしゃいますことと思います。実際、ちょっと下流(Xialiu:4声2声)な話をして小姐たちにそう指摘されることがなかったとは言いません。そういう時に便利なのが「就是男人(Jiushi Nanren)」ですが、私は「嘴色、但是手不色(Zuise, shou buse:口はエッチ、でも手はエッチではない)」な紳士(のつもり)です(汗)。

今私は48歳ですが、家内とは11歳年の差があり、若い女性たちとお話をすることにあまり抵抗がない為か、先週の大学生だけではなく、若い中国の小姐とは直ぐに友達になってしまいますね。 若い女性(それも美しい、可愛い女性)に先生をしてもらうと、「何とか自分の思い、考えを伝えたい。相手の言うことを理解したい」とまあ考えるのは、男の常ですし、女性にとっても、ちょっと帥(Shuai:4声)な男性との会話においてもそう考えられるでしょ?(またまた汗)

私は北京駐在後1年8ヶ月目(つまり帰国の半年前)に慢性過労と診断され、公寓(マンション)にある病院の中国人医師に「仕事の足しになれば」とご紹介戴いた大学生の労使に中国語を教えてもらうことになりましたが、この万老師が実に大変に熱心な先生で、私の教科書「外貿口語(貿易でつかう中国口語)」と中級(見よう見まねで覚えていたので面接時にそう判断されました)の漢語テキスト二冊を彼女も購入し、一回二時間の授業の為に彼女は前の晩に三時間もかけてテキストの中に出てくる単語や言い回しから「是は使える、大事だ」というものを抽出して、例文を幾つか作成してそこに日本語の翻訳もしてノート数頁のサブテキストを作ってくれていました。

そんな予習熱心な老師は「大学生にはあまり興味がない、私が中国語を教えるのと引き換えに日本の工人がどう考えてどういう対応をするのかなどについて教えて欲しい」という勉強熱心な「私の生徒さん」でした。テキストにあるスキットのやり取りに対して、「僕ならこういう風に言うのにこれじゃあまりに日本人が交渉下手に思える」等というと「どうしてどうして?」と質問攻めに会いました(この間の彼女とのやり取りは殆ど中国語でしたが、説明しきれなくなると漢字を書いて見せてそれでも通じないな、という時には日本語を使いました)。

また、万老師は中国の古典や歴史にも明るかった為、授業中に出てきた言い回しから「この言葉の由来は・・・」と脱線して漢詩や歴史、北京に伝わる言い伝え等を披露してくれたので、翌日会社に上班(Shangban:4声1声:出社)した際に入手したての話などを中国人の雇員たちとの会話の中で出してみると「中国通」とか「北京通」と言われるようになりました(実はそういわれたときには「(ロ那)里(ロ那)里(いやいや)」と受け流しすようにしていましたが、これって本当はずるい対処法ですね・・でもこういうことを積み重ねているうちに中国の方からはより詳しいことを教えてもらえるようになり、結果的に中国を、北京をよりスピーディに理解することができました)。

こうやって勉強をしているうちに(もう本当に必死でしたので)進歩が早くなったのでしょう。日本で出会った中国の方に話しかけても絶対に日本人には見られない、話題も一般の日本人なら知らないような話題にもついていけたので、「少し訛った中国語を話す中国人」としか受取られないようになりました。

ここで私がいいたいのは自慢話ではなく、彼ら、彼女らと交流する際に「自分が言いたいこと」「知りたいこと」があると、進歩が早くなるということです。そして、学んだこと、知ったことは早いうちに(=忘れる前に)会話の中で使ってみるということで、より忘れにくくなりますので、「中国なんて嫌い!」と思っていないのであれば、今この時に中国語をならっていらっしゃたり、現地駐在をされている方のご参考になれば、と敢えて紹介させていただきました。

英語やフランス語を勉強した時も、やはり『誰に・何を・どの様に話す』かを念頭に、声に出して話して見る、そして「相手の答えるだろう内容」を有る程度予想しながら聞いていると、早く上達しました。所詮言葉はツールですが、そのツールを持っていないとなんとも歯がゆい思いをします。新しい言葉に挑戦する際は、話したいこと聞きたいことがあり、話す・聞く熱意があり、それに身振り手振り、顔の表情、声のトーン等を加えるとすごくよく伝わります。失敗して、笑われたら嫌だなんてことを考えず、どんどん口に出した人の勝ちだと思います。

愚妻は毎晩深夜私が帰宅するときにはICつきテレコを使い、繰り返し発音をしたりししながら、青空市場の買い物にも女中さんと一緒に出かけ、帰国する時には私がついていなくても十分話せる聞けるようになりました。駐在の方も、その奥様も、留学生の皆さんも、、是非相手を見つけたらどんどんと話しかけてみましょう。

がんばってくださいね。

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【途夢のコメント】

私の中国語の先生も、現役女子大生(中山大学の日本語科)です。広州市政府主催の行事に通訳で来ていて偶然知り合い、ちょうど半月前に中国語の先生が辞めてしまったので「普通語と広東語の先生を捜しているんだけど、お願い出来ない?」と聞いたら、快く返事を頂き今に至っております。彼女もGongbenさんの先生に負けず劣らず(って、Gongbenさんの先生に会ったことはありませんが、、、)綺麗で、台湾人に羨ましがられています。でも、自分の中国語学習のモチベーションを維持する上で、結構重要です。(^_^;


18. 熱烈歓迎「日本への留学生」さん、、でも・・

Gongbenですニイハオ!

3月20日は台湾地区の総統選挙ですね。私の周りでも中国の友人達を中心に、大変活発に議論がなされており、E-mailや国際電話、Home Pageなど様々な手段で自分の意志を相手に伝えたり、他の人の意見に耳を傾けたり、と関心が大変高まっています。日本では政治に無関心な人が大変多く、選挙の投票率も50%に満たないケースが多くあります。政治家といいますが、実態は私腹を肥やすために政治を操るだけの単なる『政治屋』であるからなのか、そんな政治家を選ぶ私達老百姓の無関心が彼らを増長させてしまっているのか、とにかく日本の若者たちは、自国の将来について真剣に考えていない人が多いのですね(そういう彼らを生み出してしまった我々40台以上の人間にも責任はありますが・・真対不起!)。

【ある素敵な留学生】
さて、そんな中で、今回は先週出会ったある素敵な女子大生に焦点をあてながらちょっと綴ってみたいと思います。暫くお付き合い下さいな。

【インターンシップで来られた二人の大学生さん】
私の会社では80人程の大学生さんのインターンシップ受け入れをしていますが、私の部門には都内著名大学の日本人学生さんと、中国からの留学生さん二人が来てくれました。その一人Cさんは、北京の直ぐとなりにある天津市(直轄市)からの留学生さんです。いま信州の某大学で法律を学んでいるそうです。彼女は普通に話をしていると中国の方の日本語に普段接していない人には「日本人」と映る程日本語が上手です。彼女は天津で中一の時から日本語を勉強し始めたということで、ほぼ十年日本語を学んでこられたそうです。日本人は中一から大学までに十年間も英語を勉強する訳ですが、この彼女の日本語の様な英語を話せるようになる日本人学生って大変少ないですよね。私もその流暢さに大変感動しました。

【活到老、学到老的精神:つまり「生涯が学習の場」】
一般に中国の方は、「学習(Xuexi)」、「学習(Xuexi)」と、何事に対しても非常に熱心で向学心に富む国民であり、私が当初中国で商談時にお話をしていると出席者の皆さんは通訳が話した内容をノートにびっしりと書き込んでいたものでした。彼らに触発されて私も日本でお客様との打合せ時などにはびっしりとノートに書きとるので、あるお客様からは「Gongbenに話をすると皆書き取られてしまいますね。でもその分次回話をした時にはもう理解されているので繰り返し言わなくても済むので助かります」といわれた経験があります。中国語で書き取るのは英語や日本語の様にたくさんの文字数を必要としないため、より容易なようで、私も帰国以後、ちょくちょく中国語でノートをとっています(見られても判らないというのも便利!)。例えば「お早うございます(8文字)」にしても英語だと「Good Morning」(12文字)中国語なら「早上好(3文字)」もしくは「早!(1文字)」だけでよいわけですから。。。

【「熱」を感じる若人】
彼女も、もう一人の学生さんも大変に熱心な方で、私達の話しを二人とも目を輝かせて聞いてくれ、質問についても積極的にしてくる。そしてその夕方には再び「Gongbenさんもう少し聞きたいことがあるのですが、、」と私の前に現れる程の熱の入れ様に、最近の若い人(嫌ですね表現は何か自分がおじいさんみたいで・・)には珍しく「熱」を感じました(中国では熱(Re:4声)は良い意味、冷(leng:3声)はあまり良い意味ではない表現ですね)。

【真夜中のMSNメッセンジャー交流】
この方とは初日から意気投合してしまったようで、娘に対する父親(家長:Jiachang=中国語では母親も父親も保護者のことをそういう様です。家長会は日本語の父兄会の様に男尊女卑(?)の言葉にはなっていませんね・・)の様な気持ちから、この日曜の朝2時から4時半まで、ず〜っと中文と日文でチャットをしました。彼女は勉強の為に「徹夜なんかよくしますぅっ」と本当に元気で、私の方が睡魔に勝てず今朝はギブアップしてしまいました。このMSNメッセンジャーを使っての中国語、中国文化などについて学べるということについては今度また書くつもりです。今日はその熱心な彼女の雰囲気が伝われば、ということで少しだけ触れさせて戴きました。

【そんな彼女にも悩みが・・・】
でも、この様に積極的で、美人で、明るい性格の彼女ですが、一つだけ悩み(?)が、、あるそうです。それは「この会社には留学生を採用した前例がない」ということが、彼女の「とても不安な心境なの」だそうです。でも前例がない、というのは一度もないというだけのことであり、今ここで実施してしまえば、明日以後は前例がもう有るということになるのですから、簡単なことの筈。是非今回その「前例」を作り、彼女の様な素敵な新入社員を正規採用してほしいものだと思います。そして、若い人が少なくなってしまった私達の職場で明るく積極的な彼女たちに新風を吹き込んでもらいたい、そう思ってやみません。

では、また次回、再見!


17. あなたは二鬼それとも三鬼?

皆さんニイハオ!Gongbenです。毎日のお仕事に学習に、お疲れ様です。辛苦了! さて、今回は「鬼」について、少しだけ触れてみたいと思います。

【三匹の鬼(Sangui)】
私が少しずつ中国語を覚え、漸くお客様との会話が片言であれできるようになった頃のことです。Gongbenは「三鬼か?」と聞かれ、思わず「?」っと呆けた顔をしていたら、「Gongbenはよく酒(白酒)をのむだろ?それに煙草もよく吸う、あと一つで三鬼だよ!」っと笑いながら敢えて間を取るお客様。。。もう一度「う〜ん、ん?」とやると彼は『鬼』と紙の中央に大書し、その上に『煙(Yan)』、と書きながら煙草を吸うしぐさをする。そこで感の好い(かった)私は、「あ、判りましたよ!」と言いながら、『煙』の右隣に『酒』と書き、杯を干す格好をしてみたら「Bingo!」とは言わなかったですが、「対!」と言いながら「これで二鬼でしょう?」といいつつにやりとされました。

要するに、悪い男とは何か?ということに関することだな?と思い、『女』という字を『煙』の左隣に・・・ここが私の日本人的な発想だったのですね。彼は『女』という文字を大きく×印で消し、『色』と書いてくれ、『酒鬼(Jiugui)』、『烟鬼(Yangui)』、『色鬼(Segui)』 三つ揃えば『三鬼(Sangui)』と笑いかけてきたのです。その時に咄嗟に脳裏に浮かんだのが、『色情狂』であり、「なる程〜、うまく纏めたもんだな」と妙に納得して感心してしまいました。ここで、相手のペースに飲み込まれては、と思い必死に頭の中で対応策を考えた挙句、切り替えした言葉が「私は両鬼ですね。酒鬼・烟鬼の二つですからね。残念ですが『色』はないですから。。 で、某某先生、あなたは真の男性ですから本物の『三鬼』でしょう!?」でした。

【妻管厳と気管炎(どちらもピンインは同じqiguanyan)】
彼は大笑いして、「私も順番が違うが二鬼だね。煙草・お酒だから。女性?家内が怖いから・・・」といいながら、『妻管厳(qiguanyan, 132声)』と『気管炎(qiguanyan, 232声)』という単語まで教えてくれました(これも「使える!」)。その後、酒バーなどで遊ぶ際にも話題が少し艶っぽい方向にいってしまった際などに、「いやぁねぇ。エッチ!」などと言われる人がでるたびに、「でも彼は酒と煙草の両鬼だけで、三鬼じゃなかろう!」等といいながら場を混ぜ返すよい手段であることが判りました。但是、これには先手を取って言わないと駄目ですよ。世の男性の皆さん。

【第四の鬼】
でも数年前に「今は四鬼まであるよ」という友人が現れました。四番目の鬼とは・・・・『賭鬼(dugui, 33声)』だそうです。 何でも賭けの対象にするのが好きで、株式なども含めて大きく賭けにでることの多い中国の男性、、なんともかわいらしい物だと私は思うのですが。私は10年近くたった今でもこの四つの鬼の中では冒頭に書いたように酒と煙草の両鬼です。(本当です。信じてください、my Wife!)

【日本鬼子】
ところで、我々中国の皆さんとかかわりをもつ日本人にとってなんとも聞くのが辛い単語に「日本鬼子(ribenguizi)」という言葉がありますが、2001年末に同名の映画が公開され、私は大変ショックを覚えたのですが、覚えていらっしゃいますか?満州事変(1931年)の際に、天皇(実質は陸軍の陰謀ですが)の命令により、進軍した日本兵が、中国の大地のいたる所で虐殺や暴行など非道なことをし続け、それがために「日本から鬼が来た!」という意味で使われたのがこの言葉の発祥の由来であるといったことを知りました。そして、下っ端の日本兵に指示をだした上官、その上の東条英機ら将軍たちが戦後A級・B級戦犯として裁かれたということは恐らく日本史を学ばれた皆さんもご存知でしょう。そのA級戦犯を合祀している靖国神社にわが国の首相が参拝することに何らの違和感をも感じないと発言され、私は唖然としたのです。今回私は日本政府を批判することを目的として書いたわけではありませんので、簡単にしますが、中国語雅虎(Yahoo)で、「日本鬼子」と打ち込んでみてください。なんと39000以上のヒットがあるのです。北京でも毎年靖国参拝の時期になると日本人が暴行される事件もあるのです。そういう軽はずみな発言を日本政府の人間、それもトップの人間がすることで、中国や東南アジア等にいる日本人が、危険な思いや肩身の狭い思いをしなければいけないことにもっと敏感になり、配慮をして欲しいな、と私は強く思うのです。

ではまた来週!


16. 特殊機能で売り込まれる「性愛ベッド」

Gongbenです。皆さんニイハオ!

先週のトイレ事情(II)意外にお受けした様ですね。161号の「こんな奴には中国を担当してほしくない(注:原題です)」にもあちこちから反応を戴きましたが、下ネタもたまには息抜きができてよいかもしれません。今回はちょっと古いですが、やはり中国(ちょっと高級な)庶民生活を垣間見ることのできる情報を。題して「北京開発区で展示販売された『性愛ベッド(性愛床: Xing4 Ai4 Chuang2)』」です。ドキッとするタイトルですが、昨年末北京の好朋友から、「長沙や成都などで販売され論議を巻き起こした「性愛ベッド」を北京市開発区の大雄商業中心で展示販売されている」との情報を入手しました。

「性愛ベッド」は2.8(L)×3.5(W)メートルで(中国ではピンク映画のピンクの替りに「黄色」を使うと聞いていたので、黄色かと思ったにも拘らず)『ど』ピンク色のベッドです。ふむ、そういえば、以前92年の夏に上海に出張した際に上海事務所の所員のお宅を訪問したことがありますが、彼のアパートの寝室のベッドカバーもピンクと白の可愛いものだったような記憶があり、好事の「黄色」とは別にベッドなどにはピンクも使われる、ということですね。

このベッド、実は約30の機能があり、定価は6万8千元(百万円!)もする超高級ベッドです。枕元にはラジオ、電気スタンド、目覚まし時計、暗証番号式金庫が内蔵され、ベッド中央の間隙には食事用テーブルまで収納されており、2人の背もたれの中央には電話とDVDシステムが設置され、足元には高さ調整のできる液晶テレビまでが収納されているので、ベッドで横になりながらテレビを楽しめます。新婚さん向けなのでしょうか?

これだけなら「ああ高級なベッドがあるものだ。でもお金ないよね・・」で、終わるのですが、中国で議論の焦点となっているこのベッドの特徴に「性愛補助巧能」があるそうで、こんな話題をテレビの「新婚さんいらっしゃ〜い」で話す中国人の奥さんなどが現れたら、桂三枝師匠がきっと「これは一体何やねん!」と靴を脱ぐか椅子から転げ落ちる姿が容易に想像できます。

人民日報のHPによると、「今回の展示開始後、数日間で5台も販売」されたとセールスマンが発言しているとのことで、彼らのターゲットは「一戸建ての住宅区で暮らす外資系企業職員」だそうです。確かに性愛補助巧能がついて各種の機能があっても100万円ダブルベッドを購入するのはまだ少し一般の老百姓(Lao3 bai3 xing4)には早いかもしれません。でも一般人にも売れそうだとなると中国式の高効率であっという間にもっと安い値段で出てきそうな予感もしています。

ベッドは商業センターの入口付近で展示されたそうで、人目を引きやすく来訪客が後を絶たなかったそうです。「性愛ベッド」の名前を既に聞きしった人も多く、単刀直入に性愛補助機能について尋ねられ、その質問に答える店員が赤面する場面もかなり多かったそうです。

「お金持ちには高くても売れる、市場はある、ということでしょうか?」とは友人の言葉ですが、皆さんならこの「性愛床」、買ってみたいなと思われるでしょうか?

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15. 「中国では」と言う人には中国を語って欲しくない

皆さんニイハオ!Gongbenです。

今週の172号のコラムにトイレに関するコラムが出ていて、思わず噴き出してしまいました。昔を思い出してしまったのです。今回は、それを受けてちょっとだけ書いてみましょう。

【福州市西湖公園(1991年春)】
宣伝担当として、同市で開催されたある輸出入公司の展示会の際に、貨物を積んだ解放軍のトラックがまだ来ないということで、会社の同僚と近くの公園に行きました。そこで、女子社員が「ちょっと一分」と駆込んだ公園のトイレ。が、彼女は直ぐに走って出てきて「Gongbenさ〜ん、ここ私嫌だ!」と叫ぶので、男二人で入ってみたところ、1mほどの高さの壁に囲まれた個室は、噂に聞いたドアなしのトイレでした。でも他には誰もおらず、我々が小用を果すのには特には気にならず、せっかくお金を払ったので、臭いな〜といいながら出てきました。是が第一回目の中式トイレ。くだんの彼女はホテルまで走って帰っていきました。

【成都市のとある工場(1992年冬)】
営業としての中国出張時、会議中に何度もおいしい中国茶を飲むために商談の合間に小用を。。何気なく壁に向かい、窓の外の景色を見ていたところ、背後に人の気配、というか新聞をめくる音がカサカサっと聞こえる。後ろを振り向くと男の人がドアを開けたままで大の工作中だった。。。中途半端とはいえ、ドアがあるのにわざと開けた状態で固定しているのは自分の臭気抜き?そこへ同社の別の社員が通りがかり、声をかけて隣の個室に入り、二人で話を開始。時々「う〜ん」と呻き声が・・・

【北京〜石家荘間のガソリンスタンド(1993年初夏)】
石家荘での電波受信状況調査に営業として同行時、途中で社用車がガス欠に近くなり、慌てて道路沿いのスタンドに立ち寄る。盧溝橋も通りがかりに見ることができたし、中国語で「加油站」ということを覚えたし、と満足して近くで煙草を吸っていたところ、あとは一気に石家荘まで行かないと昼食にありつけない、と言われて一先ずトイレに、ということになり、店員に聞いたところ、「あ、厠所?あの壁の向こう。」と指を指されてよく見るが、そこには何の建屋もない。むむ、これは怪しいと思いながらそろそろと歩き出すと「もっと向こうもっと!」「そうそこ、その壁の反対側!」と怒鳴られる。歩調が遅くなったのはあまりにきつい臭気の為。そして壁の向こうに回るとそこには、、うずたかく盛り上がった彼らの廃棄物の山が、そしてその周りには「ウゥ〜ン、ウィ〜ン」と渦巻くハエの飛翔音。。思わず小用ではなく上から戻しそうになりつつ、息を止め、すっきりしたと同時に走って車に戻る。暫くの間、目が回り嘔吐感との戦いが続いた。

【万里の長城八達嶺(2000年12月31日)】
赴任して直後、冬休みを利用して妻子が訪京し、大晦日に八達嶺を訪れ、息子がトイレに行きたいというので、もしかして昔のままかな?と思いながら入ったトイレは無料、かつ掃除も行き届いており、きれいになっていた。昔(ほぼ10年前)は、小額だが有料で、1元札を渡すとぼろぼろの紙幣でお釣をくれた。ただし日本人は誰もこのお釣を受取ろうとはしないほどに汚かったのを記憶している。。

【中国トイレ事情についてかかれた書籍が】
このほかにも色々なトイレを見てきましたが、中国のトイレについては私の同僚の奥様がその友人と共同執筆で本を書いていらっしゃいます。読み出すと止められないほど面白い(但是人前でこの本を読まないこと。他人から怪しまれること間違いなしです)もので、私の会社でも回し読みしてしまいました。

【北京奥林匹克2008に向けて変わりつつあるトイレ事情】
ただし、北京2008を前に、2001年頃の中国通信情報によると、北京ではトイレをホテルのように格付けし、来訪者に不快な思いをさせぬようにしようという動きが出てきたそうです。確かトイレ内に絵や花を飾ったり、ソファをおいたりすると五つ星だったと思いますが、その後どの様に改善されたのか、については存じ上げません。家庭内のトイレ事情もよくなったようです。日本の東陶さんの積年の努力が功を奏し、最近では安物ではない、高級な「お尻洗浄機能つき便座」が売れ出したと、過日テレビで報道されていましたね。

中国は日本が東京オリンピックを契機に新幹線や名神高速道路を作ったりして飛躍したのと同様、北京2008を飛躍のバネにしようと日進月歩で進化しつつあります。昨日の北京はもはや今日の北京じゃない、と言ってくれた人がいますが、今後の発展に期待したいと思います。皆さん、「今天的公共厠事情」ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてくださいね。

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┃中┃国、トイレのキーワードで楽天ブックスを検索したら、以下の2冊の本をヒットしました。興味のある方はどうぞ!
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▲寄生虫博士の中国トイレ旅行記
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著者:鈴木了司
出版社:集英社
本体価格:495円

▲寄生虫博士トイレを語る中国・東南アジア体験記
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著者:鈴木了司
出版社:TOTO出版
本体価格:971円


14. 「中国では」と言う人には中国を語って欲しくない

Gongbenです。皆さんニイハオ!今日はちょっと辛口で行きますね。

【何度か訪問したら「中国通」?】
広州・シンセンに1度しか行ったことのない人が、「中国では空港などで順番待ちをせず列をつくらない」という。上海に2度行っただけの人が「中国ではクラクションを鳴らして五月蝿い」と言う、北京に3度しか来たことの無い人が「中国では空気が乾燥していて黄砂がすごい」という。ハルビンに4度しか行ったことのない人が「中国は寒くて札幌みたいだ」と言い切る。こういう人に皆さんは出会いませんでしたか? 何年も中国の仕事に携わり毎月の様に出張をしてきた方、現地で駐在の経験を持つ人から見ると本当に「知ったかぶりの中国通」が多いのには耐えられない思いでしょう。

【中国通を自称して上司にPRする上司】
私の知人の上司の話しを紹介しましょう。「僅か10回程中国に2泊3泊の出張をしただけなのに、日本では『私は10回も中国に行ったことがあるので中国のことなら何でも知っている』と言う人がいて、それを更に上司にPRしているという話を聞いて苦々しく思っている」とのことでした。「北京・ハルピン・上海の三箇所しか行っていないくせに少数民族地区のことや、内陸部のことまで知っているかのごとく、それも『共産圏はみな同じだから』と見下して話すのを聞くに堪えない」と彼は切り捨てる。よく聞くと「大都会のホテルのショーとして民族舞踊などの出し物がでることがあるが、それを観光として見ただけなのになんたる厚顔無恥な奴」と友人は怒りをあらわにする。。。

【中国には55の少数民族が】
そういう人たちには「私の行った○○では」という謙虚さを求めたいものですね。中国には50を超える民族が、そして民族がそれだけいれば、言葉(共通語としての普通語はありますが)も文化も、みな夫々に違うのです。国土面積だけをとっても日本の25倍の面積を持つ中国です。日本でも東北と鹿児島、沖縄の言葉も文化もかなり違いますが、中国の文化、言葉、考え方、行動などはもっと違いますね。北京市南部の新ビジネスタウンのとあるビルの壁面には大きなLED表示板(北京製)があり、「北京語ではなく普通語を話をしましょう」というスローガンが表示されていますが、言葉の統一と言う面でも大変な大事業なのですね。謝々Xiexieも通常は4声ですが、湖南省長沙市などでは2声で、内蒙古の方では1声で、そして上海語(殆ど「しゃしゃ」)、広東語では(多謝と書いて漢字も違いどぅぉちぇ的な発音)、ですから「中国では漢字はみな一緒」などと言うのも暴言ですね。

【欧米・日本の物指しで中国・中国人を見る人たちに】
アメリカが何でも正しいと(昔は)思われていたかもしれませんが、机の上に足を置いて椅子にそっくり返るのがアメリカ式の『格好いい』マナーと勘違いしており、部下を呼ぶのに「君、きみぃ」と指で「カモン!」をする人が結構多いらしいです。逆に「は、は〜」とペコペコするのが営業だと勘違いしている人も中国の人から見ると「なんだあいつは?」と馬鹿にされているようです。ただ悲しいことはご本人が一向に気付かないこと。それをアドバイスしたら、「何だ君ぃ!」と裸の王様に怒られるのも馬鹿らしいので、誰も諌めない様です。(サラリーマンは辛いですね。)

【私の友人たちの表現方法】
皆さんにはこんな日本人たちを見ていて、「いるいるこんな奴」と思って欲しいですし、逆に「こんな日本人にはなりたくない」と考えて欲しいですね。私の周りの中国を本当に良く知っている人たちは「10年以上やっていても中国はまだまだ奥が深い国。簡単には理解したなんていえない」と言います。そして彼らと話をしていて気付くのは「中国では」という言い回しではなく、「北京では×○が多いですが、上海や広州では△なことが多い」といった感じで、特定の都市などを引き合いに出しながらも「十把一絡げにまるめて話す」ということはしていないということです。昇格試験の時に経理の部長が大変心に残る質問と回答を教えてくれたのを思い出します。「中国の仕事は何(どこ)が大変ですか?」「50以上もの民族、言語、文化があって夫々が微妙に、或は全く違う、そういう国で色々な方と交渉をしたり、ビジネスをするということが一番大変で苦労します。」

まさに『言い得て妙』なQ&Aでした。その経理部長は中国に駐在経験はないにしても、やはりよく中国に関する書物にも多く目を通され、中国各地の工場(数十ありました)を訪れ、現場の人々の意見も聞き、時に現地の酒も楽しまれたから、そういう努力をされたからこそ、そういう所に思い至ったのだと思います。

駐在・留学されている方、自分の住む街に詳しくなってください。タクシーに乗れば、今どの道をどの方向に走っているかいえるようになってください(北京では東西南北を使い「その先の交差点を東に」とか、「あのビルから南に」といいますが、上海等では「その先を左に」「右に」と前後左右で表現しますね。そういうことにもご留意されてくださいね。)帰国する時には自分のいた街の地理や簡単な歴史ぐらいは分かるようになってご帰国下さい。みなさん、「俺は中国通」等と驕ることなく、地道に頑張ってください!

私も遅ればせながら今、北京の歴史などについて勉強しています(地図はタクシーの運転手に驚かれるぐらい頭に入ったのですが・・・)。


13. 「招財猫」と呼ばれた男

皆さんGongbenです。ニイハオ!

先々週、先週はちょっとダイレクトなお話でしたが、反響も多くありましたし、その後、一部初めての方とはお友達になって(と思っているのは我のみか・・?)しまいました。この種のメディアの影響力って案外大きい物ですね。。 さて、今回はちょっと視点を変えて柔らかくいきます。題して「『招財猫(zhao1 cai2 mao1)』と呼ばれた男」です。

【現場でモテる駐在員】
駐在員と出張者、二人がそろって中国のカラオケ酒バーに遊びに行った場合、どうしても駐在員の方が持てますね。理由は簡単?? そう、カラオケ小姐たちもママさんも、そして店長さんも『稼げる相手は長期駐在員』と頭の中で考えているから、ですね。でも、本当は出張者の方のほうが、一回あたりの支払金額はず〜っと多いのです(以上は某小姐談)ね。

私のいた北京のお店でも、日本からの出張者が来ると『Gongben、今夜の支払は誰がするの?』と必ず聞かれました。私の料金は、毎回発票(Fabiao)を要求せずに飲むのをみて、VIP(5000元払ったら資格を貰えるらしい)並みの扱いで、格安料金にして貰っていましたが、ママさんは「Gongben、今日はお客様に払ってもらったらいいでしょう、いつも領収書なしで自腹で飲ませているばかりなんだから、日本から出張者の人が来た時ぐらいは払わせちゃえば?!」といってくれるのですが、やはり単価の高い一見さん料金を取る方が魅力的だったのだと思います。

特に小姐達にとっては、何度も来てくれる常連の人には「自分のピンチの際に助けてもらえる」と、当てにできる駐在員の方が嬉しいそうです。「それだけ?」と、更に突っ込むと、「それに長くいる人だと、少しずつ相手のことを知ったり、自分のことを知ってもらえるので、相談にも乗ってもらえる。。やはり中国の人は日本人と違って『先』まで考えているのですよ。」という返事が返ってきたりします。

カラオケ店の給与システムには幾つかあるそうで、
1)店に入るのに客を装う為に自腹で数十元を支払って入り、客がつくと客の消費額の何%かと、300元以上の小費(xiao3 fei4)を自分の稼ぎにできる(但是客が着かないとその日は入場料の持ち出しになるそうな)

2)入場料の支払はなく、基本給があって、その上に200元以上の小費が入る、但是、店の月間の売上目標として経験に応じ3000元から5000元以上のノルマがかかり、未達額により100元から数百元の罰金を取られる、

3)総収入は低いが、小費はなしにして、客と一緒に飲むコーラやジュース、お茶を一杯数十元でメーターを上げ、やはりノルマの達成度合いで給料が出る店。

等は私の知るところですが、他にもあるようです。そこで、私のきわめて近しい友人の噂話をご披露しましょう。。。

【招財猫】
中年太り気味の彼が好きだったお店は2)のタイプの店で、北京市内では高雅(gao1 ya3)な店として知られていた店です。お客さんが少ない時には奥さんや息子(なんと小学生!)さんと一緒にいっても恥ずかしくないラウンジだったそうです。

彼がそんな店に半年ほど通った時、小姐の一人が『もう少し早くきてくれたら良かったのに。。あぁ、今月ノルマが達成できないわぁ』とボソッと漏らしたのを聞き、どういう意味かを聞いたところ『8時を過ぎてから来店して指名をしてもらっても、私のノルマにならないの』と仕組みを教えてくれたそうです。それまではいつでもフラッと現れて『今日はだれが余っているのかな?』とその場その場で決めていた彼でしたが、多数の小姐たちが彼を見つけると、「○○!いつ来たのぉ?今日は私?それとも王さん?」等と笑顔で聞くので、そんなものだと思っていた彼でしたが、、

気の優しい彼は彼女の告白(?)を聞くや否や、「ちょっと待ってて(等一下:deng y ixia)!」と席をはずし、トイレに行くふりをしてママを呼び出し、「これから一本ボトルを入れるので、×ちゃんのノルマにつけてあげて。もう8時を過ぎてるけど、これで彼女もノルマ達成できるでしょう。お願い!」と頼み、OKをとるや知らぬふりをして席に戻り、その晩はだまって帰宅したそうです。後日彼が現れ、再び彼女と同席した際に、「ママさんからあの日の売上を皆私につけてくれる様に頼んでくれたのね」とその小姐が喜びを満面に『謝々謝々!我喜歓△先生ア』と言ったとか。。。

それからです。その彼がその店に行くとそれまでお客さんが居なかったお店が、ものの半時間もしないうちにお客さんで一杯になってしまう様になったとか。。ママさんも店の状態を見て「今日はお客さんが少ないわねぇ。誰か△×に電話してぇ!」と催促し、「△さんがOKですって!」と小姐が報告するや、それまで客の居なかった店に、一人、また一人とお客さんが来始め、ご当人が「誰もまだいないだろう」と数人を誘って店に来ると既に満員になってる、、、「おぉいどこがガラガラだよ?」と聞くと、「△さんが来るって言うだけでお客さんが増えちゃう、本当に△さんは『招財猫』だわぁ!」と言われましたとさ。。

招き猫、、でもこの表現は日本人のよく行くカラオケ店でしか通じない中国語かもしれませんね。。

今回はこの辺にて再見!です。

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中国のカラオケ屋で「招財猫」になりたいと思った貴方にお薦めの本は

▲男と女の会話集中国語
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著者:劉隆年
出版社:ナツメ社
本体価格:1,300円

▲男と女の中国語会話術
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著者:TLS出版社
出版社:TLS出版社/星雲社
本体価格:1,700円


12. 異文化に橋を架けよう

Gongbenです。ニイハオ!

【あっというまの3ヶ月でした】
私のコラムもこれで第12号、早くも三ヶ月を過ぎようとしています。最初、このコラムに『あまから(甘口辛口)』という単語を絡ませようかとも思っていたのですが、これですとスーパードライみたいになってしまうような気がしたことと、莫 邦富さんの批評に対する評価(辛口評論家)を意識しすぎた様になってしまうので途夢さんとご相談の上で、今のタイトルにしました。但是、やはり、このコラムを通じて言いたいことを書こうという私の意志には変化がありません。つまり、『良いことは良い』、『悪いことは悪い』、といったことを書きながら、真の日中の理解を深める機会を提供したい、と、当初からずっと考えています(今でも)。

【先週号「こんな中国担当者」への反響】
扠、先週の161号『こんな中国担当者』のコラムに対して途夢さん経由で幾つかのメールを戴きました。もともとの原稿には、「中国の人を『あいつら』呼ばわりする中国担当者」とつけようとしたのですが、「少しく過激」というので、タイトルを変更いただき、更に個人名も仮名を更に「Aさん」、移った先の会社も「ある自動車メーカー」として戴いたのですが、途夢さん経由、私への直接のメールで、「彼のことですね、直ぐにわかりました。」とか、「本当にこんなひどい人が中国担当者?」、「いるいる、こんな購買担当者」に始まり、「それはけしからん人です、ところでそれはうちの会社のことでは?」(まだ一〜二ヶ月しか経っていないのに、よくそのAさんの挙動を観察されているな、さすが○社さんだ、と感心しました)といったご質問まで、色々ありました。

確かに大変に他人を小馬鹿にした態度、そして「自分を周囲にPRする為にはいかにも自分に自信がある様にわざと大きな声で話すAさんですから、態度は急には変わらない。車と一緒ですよ」と彼を知る人からのコメントをみて、長く、そして歪んだ購買生活を過ごしてきたAさんが急に性格を変えることは難しいとも思いました。でも私は、そのAさんがその後の人生をどのように過ごされようと「それは彼の人生」であり、他人である私達がとやかくいうことではないと思います。そのAさんには、可能であれば、新天地で心を入れ替えてもらうしかないでしょう。私が書きたかったことは、彼の様な「中国の人を馬鹿にする人が中国の仕事をすると日中の関係が悪くなってしまうのではないか」と言うことでした。

【日本の経営者の考え方の一面】
この日曜日(2・1)、テレビの『サンデープロジェクト』で伊藤忠の丹羽さんをゲストに、そして北京イトーヨーカドーと小松建機、資生堂の中国での大活躍について取り上げられていましたが、流石に中国に強いと言われる伊藤忠さんのトップらしいご発言を伺い、中国をよく理解されているな、前向きなお考えをお持ちだな、そして部下からもきっちりと情報が入っているのだろうと思いました。一方、とかく日本人経営者(課長から上の他人を指します)の間には、「日中間の意思疎通を図ることなんてどうでもいい、それより、日本の意見を中国人に判らせろ」と本社サイドの意見を押し付ける傾向が強く、また欧米の理論が絶対で、「中国の意見理論などはどうでもいい、聞くに値しない」という考えを持っている方が多いようです。でも、この話は中国だけに限りませんね。日本と海外出先の間もそうです。その昔『東京本社を振り向くな』という本がある商社をご卒業された方が書かれていました(20年以上前のこと)が、この種の問題は昔から日本にはあったようです。

【異文化に橋を架けよう】
私は大学時代をカトリック系の大学で過ごしましたが、そこには外国人の先生が沢山いらっしゃって、キャンパスでは、先生との会話も授業も殆ど英語、哲学の先生はスペイン人、フランス語もフランス人、、と口の悪い方からは「あそこは植民地だよ」といわれるほどのところでした。でもお陰様で、外国人に対するアレルギーもなくなり、授業に来た米国人の先生に質問をされても「日本に来て何年もいるのに、日本語も話せない、机の上に腰掛けて人にものを聞くとはどういうことだ!」と口論を吹っかけることができたのもその環境のせいかもしれません。

また、英語もフランス語も、言葉というのは『異文化と交流するための単なるツール』であり、大事なことは、このツールを利用して、異文化を理解し、そして日本の文化、日本人の物の見方・考え方を異文化の人にもわかって貰う、ということだとも教えられる場面が多々有りました。

格好よくいえば『異文化に橋を架ける』を実践しよう、ということです。橋を架けるには架橋のための工具としての諸々のツール、鉄骨やコンクリート等が必要ですが基礎工事も大切ですね。北京時代の私の中国人上司が「Gongbenよ、私は日本やアメリカのことはよく判らない。でも確かなことは北京や中国を何も理解していない人たちに『お前達はこうすべきだ、ああすべきだ』とは言われたくない。例えばこの北京で、会社から自宅への帰り道は日本人に教えられずとも自分たちが一番よく知っているんだ(Gongbenなら北京の飲み屋から自宅の帰り方は私より知っているだろう?)。だからまず北京、北京人、北京の文化等、見方、考え方、価値観、仕事の仕方を理解すること、それからが真の交流だ。」と仰いましたが、その発言には大賛成です。

私の海外宣伝部時代の上司にコミュニケーションは「Communications」と複数形で書くべきだ、ワンウェイではなく、双方向での交流が大事だから、と主張してやまない頑固親父部長がいましたが、そういう考えをお持ちの方が次から次へと退職されてしまいました。残念なことです。だからこそ、私は提案をしたい、「これからは我々が頑固に主張しましょう『異文化に橋を架けよう』と
!!!」

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【途夢より】

上記、Gongbenさんのコラムの中にも出てきた、ある読者の方からの投稿を紹介させて頂きます。

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前号の第161号の
■元中国駐在員の「日中徒然草」・こんな中国担当者
とてもおもしろかったです!!

購買担当の心情、特徴を、ある一面非常に捉えているといるなぁ、という印象。。。本当に妙に勘違いな偉ぶってる人物っていましたよ・・・! 言ってはいけないことなのでしょうが、「あなたの金で買うわけじゃないだろ〜よ〜」と恨めしくおもったことが何度あったか・・・<(-_-;;) そして中国に行っても、中方との交流(jiaoliu)って時折なんだか日本の担当者に勘違いされてる気がしてなりません。毎晩「乾杯、乾杯〜!」って酒のめばすべてOKってわけじゃないでしょうが、、、と・・・おもってしまうことがあります。おごられ酒で「朋友だ」と勘違いしてる担当者には唖然。

単に他社との数字の比較、根拠の提示されない理屈だけでコストゴリ押しなんてされると、中方も表面だけニッコリ、後ろ向いてあっかんべー後ろ足で砂かける(ぼったくってやる〜最終的に勝った(もうけた)のは俺たちさ!)ってことが、よくみられたような。

またまた爆裂してしまいました。ただあまりにリアルなレポートだったので、おもわず反応してしまいました。また、現場レポート期待してます。最高です。

失礼しました〜。


11. こんな中国担当者

Gongbenです。 皆さん、ニイハオ!

今回は実際にこんなひどいことがあるのか、と、ちょっと嫌〜なお話しを・・。某家電メーカーの友人が、こんな中国担当者なんて信じられるか?と私に興味深いお話をしてくれました。

【あいつらは阿保か!】
「はいはいわかりましたよ〜。ちゃんとやったらええんやね。はいはい。じゃあね。はいはい」と言ったかと思ったその直後、受話器を叩きつける。その直後に、「あいつら中国人は何を考えているんや! 阿保ちゃうか! ほんまに勝手なことばかり言いくさって」と、周囲に聞こえるように、文句を言う。。。これは、その会社の子会社との電話だが、中国のお客様との電話でも同様のリアクション。曰く、「あの馬鹿野郎め。あいつらはいつも『すぐやれ直ぐやれ』ばっかりで相手のことなど考えない自分勝手なやつらだ」。

中国で営業の仕事をしたいといいながら中国人を小馬鹿にし、いつも見下していたそんな彼は自分の周囲から相手にされなくなり、中側の方たちからも見放され、そしてこともあろうに仕事中に社内のメールを使って自分の競争相手や上司たちを中傷誹謗する怪文書を発信したことを突き止められ、とうとう昨年末に退職し、某自動車メーカーに、「中国で購買」の仕事をするという条件で移ったが。。。。果たして中国人を心のそこで軽蔑している彼に中国の仕事ができるかどうか・・・

【A氏について】
某大学を卒業後、某家電メーカーに入社、子会社で購買業務につくが、主任研修を失敗したことから「もう購買の仕事は嫌だ、これからは営業の仕事をしたい。それも中国の」と社内の留学研修試験を受け、みごとに合格。一年ほど北京の語源学院で中国語を学び帰国する。この間、「朝から夜中まで」中国語を必死に勉強したと帰国報告会で発表。現場責任者からは「午前は学校、午後は塾と家庭教師と自室での勉強勉強また勉強をした、ということだけが報告の趣旨で、北京とか、中国とかについては何も勉強していないのでは?せっかく中国に来ていて中国や北京を楽しむこともしないという彼は理解しにくい」とのコメントもあったという。

【購買からみた営業マン】
長く購買の仕事をやってきた彼は「購買の仕事は難しいが、営業の仕事は『ペコペコ』やれば誰でもできる」と信じていた。実際、彼は上司やお客様の眼前ではその『ペコペコ営業』を実践していた。乾杯をする時には杯を目の前に上げ、膝をくの字に折り曲げる彼独特の乾杯スタイルで。それを見た友人は苦笑を禁じえなかった。媚びへつらうことが営業だとは勘違いも甚だしいな、と。

【購買マンの悪い面が】
反面、彼は「相手が見ていないところ」では、椅子にそっくり返って電話をし、口では「ニイハオ。はいはい。判りました。」となんと日本語で中国人と話をし、顔で「ま〜たかよ。嫌になるぜ」と周りの人間に渋面をさらし、工場の人に話を伺いに行くと、教えてくれる人に対して、斜めに構えて話をし、「君は中国に何のために出張してきたのか。そんなことで出張してきたといえるのか!」と叱られると、「じゃ〜あどうしたらいいんですか!」と開き直る。「彼は『購買根性』が抜けてないねぇ。あれじゃぁ営業なんて到底駄目だよ。大体自分のレベルが他の人たちより遥かに劣っているにも拘わらず、陰口をいったりひどいね。」と、その相手はもう彼を相手にしないことを宣言した。

【他人を見下し、姦計を図る】
彼は、プライド(悪い意味)が非常に高く、自分の部署で「中国通は俺だ」と言われたかったようで、中国を、中国人を、中国語を、そして中国の人々の仕事の仕方、といった業務上必要なことを自分以上に知っているものがいるという評判を聞くことに我慢がならず、その先輩達に「この馬鹿者だらけの部署で私だけが○○さんの見方。ところで××さんはこんなけしからんことをやっています」といって擦り寄り、相手が彼の姦計に乗ってしまいうっかりと「そりゃひどいな」と言ったりしたら、「××さん、○○さんがこんなことを言っていましたよ」と直ぐに注進に行く。そういう彼曰く「人身把握の戦略」を得意技としており、彼の退職間際まで、この手で何人もの部長、課長、先輩たちを欺き通してきた(それはそれで『お見事!』ですね)。

【中側の見方】
勿論、彼を知る中側の人間は電話の向こうで彼がどんな態度をしているか、お見通しで、彼を全く相手にはしておらず、「利用できる時は利用するだけ」というから中側にとってプラスはあまりなくとも、被害は殆どないらしい。

と言う話でした。

「自分が一番で、周囲は皆自分以下」と人を小馬鹿にした態度は、長い購買経験で身についたのかもしれませんが、こういう人はどこの国に行っても、どの仕事をしても成功はしにくいのではないかな、と思います。

【本当の購買マンのものの見方】
私の知る、大陸のある工場の購買責任者との会話で「御社の部品を買わせてもらえるから、当社も製品を生産することができます。商売は、売る人がいて買うことができる、買う人がいてうることができる、ですよ。」という一句話を思い出しました。(中国の人って良いことをいいますね)

【A氏を反面教師に】
A氏の悲劇は「中国にいて中国を知る」ことに努力をせず、交流のツール(工具)である中国語を学ぶことしかしなかった、という彼の視野の狭さ、狭量さに原因があったように思います。そうならない様に気をつけてください。

【人生いつでもどこでも勉強の好機です】
今、幸いにも中国でお仕事、勉強をされている方にはせっかくの好機を無駄にせず、歴史や政治も含めて中国そのもの、中国の人のものの見方、考え方(物事の捉え方)、仕事(学習)の進め方などについて、学んでください。そのためには現地の方との交流を図り、現地に長くいらっしゃる先輩方とも積極的に交わり、人生いつでもどこでも学習のチャンスと考えて実りある滞在にしてください。

一方、まだ中国には行っていないが、と言う方、日本にも中国のお友達はたくさんいます。また、本や雑誌などでも色々と中国について書かれた物もありますし、インターネットなら中国の老百姓が彼らの意見を投書する欄もあります。本当にやる気さえあれば、希望さえ失わなければ、いつでもどこでも勉強は可能です。頑張ってください。

因みに7年以上も日本にいて日本についても詳しい、ある上海レディがメールで、「中国になくなりつつある文化が日本には生きていてとても日本が好き、Gongbenの言うように『人生いつも学習学習』です」と言っていました。

では!


10. 中国よ、SARSに負けないで

Gongbenです。ニイハオ!

22日を目前に、もう中国の街角は旧正月一色でしょうね。中国では、その昔はあちこちで爆竹を鳴らしたりして大変賑やかだったそうですが、その後、危険だということで徐々に規制が強化され、公には特定の場所でしか鳴らせなくなったと聞いています。

私は2001年の旧正月休みは、赴任直後で、家族のいる大阪に戻り、2002年は、両親の実家のある、越谷市に戻っており、旧正月を通して北京にいたという経験はありませんでした。(家族は2003年、私が日本に帰国させられてからも日本人学校のPTA役員をしていた関係で3月までいた為、あちこちに出かけて旧正月を満喫したそうです。尤も息子には人ごみばかりで、退屈だったそうですが・・・)

2002年の旧正月を利用して帰国をしたと書きましたが、実は、大変な事態が発生し、2/10と2/11日の二日間は、北京を離れられず、そのお陰で旧正を北京で迎えることになってしまいました。。さぁて、何が起こったのでしょう???

2/10の朝、家族三人優雅な雰囲気で紅旗に乗り、空港につき、国航のチェックイン、イミグレ(出境検査)も無事済んで、ふと振り返ると、家内と息子がイミグレの人と何かを話し合っており、二人とも「わからへん・・」と首を何度も傾げているではないか。。。「何か変だな、通常の会話ぐらいなら判る筈なのに・・」と思いながら、「どうしたの?」と家内に対応していた検査官に聞くと、「ビザが切れている」とのこと、息子の検査官も「こっちも同じよ!」と声をかけてきた。

そして、「ビザが切れているが、罰金を払えば出国はできても、今度北京には入れないよ。」とも。。。私のビザは11月に書き換えており、その際に会社の人事から「ご家族は3月に赴任しているので、旧正月明けに北京に戻ってきたら写真とお金を持ってきて欲しい」とも言われていた為、「何言っているのだ、家族のビザは3月まであるだろう?」と質問すると、「ご家族のビザは11月で切れている。2か月分超過している。」とのこと。

何が何だかわからなくなり、旧正月休み中の職場の中国人上司の携帯に電話をいれて簡単に説明をしたところ、「検査官に代わって貰え。その後でもう一度Gongbenと話をする。」。。。待つこと数分検査官が「はい。貴方に」と携帯をよこすので、もう一度上司と話をしたら、「ご家族は一旦マンションに戻れ、Gongbenはすぐに会社に。私も人事を呼び出して直ぐ会社に行く」とのこと。

会社に戻ってから、別の人事課員に、「家族のビザが赴任している私のビザと期限を同じになること。そんなの常識」と言われ、「でも君の部署の人間にそう言われたので確認しろ」と上司が詰め寄り、ご当人が結局間違っていたとのことで、「旧正月があけるまでは、北京を出られないですね」との人事の言(『人事:じんじ』が本当に『他人事:ひとごと』であることを痛感)。

それからが大変でした。上司は、某公司の総経理に電話をし、公安に知人のいるその奥様と連絡を取ってもらい、暫く待っていたところ、「では今から公安局に行こう。家族の写真をとらないといけないので、家族にも連絡を。」とのことで、またまた慌てて家族に連絡をとり、公安局へ。。。同時に、フライトの変更を旅行社に依頼。「フライトは何とかなっても、ビザの早期取得は、厳しいですよ」との反応。。。

公安局ではその総経理が奥様の知人と話を色々しているのをひたすら見守り、「今日はもう4時半で終わってしまうので、この書類に記入署名してから罰金を払ってください。明日のフライトで帰りたいですか?」と聞かれたので頷くと「罰金の方は少しおまけしてあげるから、明日の朝一番にビザ代金3200元持ってきてね」とのことで、ひと安心。(息子の罰金は十分の一ですみました)旅行会社の知人もこの内容を聞いて「フライトは12日朝でOKですがえ?取れるんですか?すっ凄い!」と驚いていました。

そんなこんなで家族にとっては狐に包まれた様な一日をすごしましたが、お陰で大晦日から旧正月に切り替わる12時に各地で花火があがり、我がマンション前の路上でも常駐のタクシー運転手たちが打ち上げた花火が18階のベランダ前で大きく花を開くのをみることができましたし、テレビ放送でも春節一色の内容を楽しむことができました。

翌日、無事に国航便に登机すると、私の友人空姐が偶々クルーとして同乗していたので、この話をしましたところ「私も罰金払わされましたのよ、それは大変でしたねぇ」と慰めてくれました。その後、何人かの友人と話をしたところ、罰金を払わされた人は結構いらっしゃるようでしたが、「旧正月直前にビザ発給を受付後直ぐにやってもらえるのは『やっぱり知人の力が大』と言うことなんですね。」と。。。よくも悪しくも『コネクションを持っている、持っていないでは大きな差がある』ということを実感できました。

これを読まれた駐在員の皆様、ビザの有効期限、特にご家族の期限を再度チェックして差し上げてください。私や家族と同じような体験(中々できない体験ですが冷や汗かきました)にあわないよう、お祈りします。

では春節快楽!


9. 中国よ、SARSに負けないで

皆さん、Gongbenです。ニイハオ!

昨年春から夏にかけて猛威を振るった新型肺炎SARS(中国では非典「Fei1 Dian3」)が、予測どおりこの冬になり、再び戻ってきたようです。広東省、香港地区では、既に感染確認がなされた方もいますが、昨日になって二人目の「疑いあり」の方が見つかったとのことで、大陸にいらっしゃる方にはさぞかしご心配のこととお察し致します。

私たち家族は、昨年末から6日にかけて、ほぼ一年ぶりに北京に帰ったのですが、その時点では、まだ一名の確認のみでしたが、すでに北京では警戒を強めている様子でした。帰国の際には、北京首都空港で航空会社のチェックインを追えた後、出境手続の前に、検疫関係の書類(A5一枚の簡単なものですが)に記入しないとならず、それに気付かずに出境手続に進もうとした時になって指摘されて戻ってくる方も多くいらっしゃいました(日本人だけでなく、中国人でもそうでした)。

北京では2008年のオリンピック(奥林比克)に向け、五環路(環状線)が完工し、更に六環路も南の方は全て繋がった(タクシーの運転手言)そうで、道路、鉄道のインフラが整備され、オリンピックの中央会場の整地作業もどんどん進んでおり、国家体育場(メイン会場)やその他の施設の設計がかなり進んできており、素晴しい五輪が期待できそうです。

でも、一方で心配な情報も入っています。それは、ある航空会社の幹部からのお話で、「オリンピック規定には、さかのぼること5年以内に疫病の発生なきこと、と言う条件があり、前回のSARS騒動はぎりぎり見逃してもらえるが、もし今回北京で発生すると、開催が危ぶまれるらしい。その為か、今回の報道以後、広州からのフライトはターミナルビルには直付けにはせず、沖留めにしている。」とのことでした。それ故に、北京市がSARS対策にピリピリしているということでしょう。

前回のSARS騒動では、
1.ある日系のホテルで宿泊客が2人しかいない時があった
2.ホテル・旅行業関係者が大量に一時帰休若しくは解雇された
3.飲食業・酒バー等の閉鎖・倒産とそれに伴い従業員が解雇された
4.病院関係者が感染を恐れて離職した
5.日系駐在員・家族が一時避難の為に帰国した
6.北京日本人学校を含む市内の学校が休校し、テレビなどによる教育が緊急実施された
7.北京市が完全封鎖(噂で済んだが)される前に北京を脱出しようとした人が多く出た

といったことが日本のテレビ報道等でもなされ、皆さんもこのうちの幾つかはご存知のことと思います。

今回、北京に帰って新たに聞いたこと、というか、実感したことについてタクシーの運転手と雑談をしてみた内容のひとつに『交通事故の増加』があります。私が駐在していた2000年末〜2003年初には、確かに歩行者・自転車の交通マナーの悪さ、道路の構造上の問題、車の整備の悪さ(国産車の場合は質そのものの悪さ)、磨り減ったタイヤの使用と降雪への未対策などにより、交通事故が発生したのはよくありましたが、毎日事故現場を見ると言うことはあまり多くはありませんでした。ところが今回は殆ど毎日のように、それもひどい時には一日に二件、或は15分で二件といった発生状況でした。

私が「なぜこんなに事故が増えたのか? 2002年の1月に大雪が降った際に四環路で通勤の20kmで十数か所で合計100台以上の事故を見たが、今回は晴れているのに毎日の様に事故を見る」と話をしたところ、「非典の影響で公共汽車(バスのこと)に乗ることを避ける様になり、皆マイカーを購入するようになった。結果、新手(Xin1 shou3)と呼ばれる初心者ドライバーが増え、彼らが購入する車は年々性能が向上しており、新手には制御しきれなくなる。そこにきてドライバーも歩行者もマナーが悪い、とくれば事故が増えて当然」との返事でした。

事故件数が前年比400%(中国では「差が三倍」と言いますが・・)とのことで、これはもう異常な数値です。別の運転手さんからは「非典の時は、長安街も三環路も、車が殆ど目の前にはなく、何キロでもすっ飛ばせたもんだ。でも、今はごらんの通りまた大渋滞の毎日、以前よりひどいでしょ?」との証言もあります。

未確認ですが、もし北京オリンピック2008が駄目になった場合、「前回の開催地」ということも五輪の規定にあるやに伺っています。そうなれば、2004でギリシアが、インフラやホテル、会場施設の建設遅れで大失態を演じたとしても、『またアテネ』ということになるのかなぁ。。

そんな事にならないように、北京市が万全の対策をしてくれると同時に、一日も早い、SARSの抜本的解決策が見つかることを祈りつつ、今回のコラムを閉じます。

それでは再見!


8. SARSで店が閉店、その後の彼女は

みなさん、ニイハオ! Gongbenです。(今日はちょっと長いよ)

長いようで短かった正月休み(26日〜6日)ですが、本当にあっという間に過ぎてしまいました。ついて翌日は北京で働く旅行会社の女性とご主人に誘われての羊のしゃぶしゃぶにはじまり、私の後に帰国した元同僚、ご家族との大晦日の湖南料理の食事会、元の上司ご家族に誘われて日本食を食べた後に迎えた元旦、出張から北京に戻るや一緒に食事を誘ってくれた北京のお客様、そして息子に憧れている様だと伝えてくれた北京の関連会社のご家族と過ごした二日間の思い出(実は息子の方も悪い気はしないようですが、お互いに親がダイレクトに「好きなの?」と聞くと照れているのか、つっけんどんな反応を示してちょっと微笑ましく思っています)。。。家内は家内なりに、息子は息子なりに北京を満喫して日本にゆけそうです。

が、、、家族とお客様と一緒に食事をした後で、昔私たちがよく行ったラウンジ(ちょっと高級なお店)がSARSの影響で閉店してしまった為、別の店に働いているという女性の誘いのショートメッセージ(短信息といいます)を偶々うけたので、少しだけ、と二人で訪ねてみました。

以前の店は、東三環路沿いにある某航空会社経営の「五つ星」ホテルにあり、商社の方や政府系銀行の方、一流メーカーの方がよく利用されており、カラオケを歌わない、静かな雰囲気を好むお客様はラウンジを、歌いたい人は他の人に迷惑がかからぬように部屋に入り歌う、そんな店で、サイコロ等を使い賭けをして負けたら酒を飲めと言うようなことはあまりなく、専らお喋りを楽しみする、お客様とじっくり話をする、そういった用途に良く使っていました。

ところが、この彼女の移った先というのは、市の中心部分でありながら、ちょっと薄暗い路地をくねくねと100m程歩き、門の前には男の守衛が一人寒空に外で固い小さな椅子に座っており、我々が近づくと「誰?」と無作法に聞き、小姐の名前を言うとドアを開ける。。。これだけで十分怪しいのですが、中に入ると殆ど真っ暗な通路。。お客さまと「これは怪しいな」と思わず目配せをしてしまいました。

店の責任者というのが直ぐに部屋に来るには来たのですが、名刺を一枚持ってきただけで、そこで客をもてなすということもなく、店のシステムを説明して(初めての客にはジャックダニエルを一本只で提供、人数に関係なく室料500元を取るというシステムだそうで、一本追加すると100元追加とのこと)、我々が「○○小姐に会いにきただけで、酒はいらない」と答えると、そうですかと退室してしまい残された我々二人は内蒙古から来た小姐と結局30分ほど話をし、500元を払って帰宅してしまいました。

安いといえば安いのですが、あまり明るいとはいえない室内で、以前の店と比べて遥かに劣る環境で働かないといけないこの彼女が可哀想でしかたなく、「可哀想だな彼女、きっと前の店のように明るい、安全な所で働きたいのだろうが外地人には厳しい現実だね」と黙々と歩いて大通りにでて夫々タクシーで帰宅することにしました。(日本人はスケベな人が多く、体を触りたがるらしく、それを拒否することもできるそうですが、そうすると彼女たちの売上ノルマが達成できず、社内罰金を払わないといけない。昔の店がもう少ししたら別の経営者が改装して夏には開店できるらしいので早く戻りたいと言う彼女は「罰金組」でした。)

タクシーの運転手によると、SARSの影響で、北京から日本人は退去して帰国してしまい、出張者も激減、騒動がおさまってもやはり外食等の飲食業、ホテル業、観光業においては長期にわたり停滞気味だったそうで(日系の大手ホテルでは二人しか客がいなかったこともあったそうです)、多くの人が解雇されたり一時帰休したり、体力のない店は閉店してしまったりで、外地から来ていた人には本当に厳しい一年だったようです。オリンピックにらみで次々と道が改修され、古い建物が改築され、と明るい未来を示している中で、SARS禍による病気以外の被害を受けた人がいるという事実を目の当たりにして、一日も早い回復をと祈ってしまいました。

日本人=「色鬼」という概念を持つ人は、結構こちらの人には多いです。韓国人はそれ以上だということもよく言われますが、やはり珠海の買春事件の直後だけに、私の耳には痛い表現です。米国人等もかなり派手に遊んでいますが、どうも日韓は、からっとしていない、陰湿なスケベと受取られています。駐在員の場合、地元で噂の立つことは避けますが、中国に出張に来る方は、「旅の恥はかき捨て」だと思っているのか、度を越しているようです。駐在員は単に一社の代表であるだけではなく、一国の代表者でもある、それ位の思いをもって働いて戴きたいし、出張者も外地では「自分の国の代表」ぐらいの気概を持って欲しい、そして訪れる国の言葉の一つや二つはきちんとしゃべって欲しいものだ、、、と今でも思っています。

駐在員の皆様、留学生の皆さん、「○○と思われないように」という後ろ向きな考えではなく、是非前向きに捕らえてください。そして必要な際には団結して自分たちを誇れるようにして欲しいと思います。頑張ってください。。。


7. 北京我老家的感覚

大家ニイハオ!Gongbden在北京です。

冬休みを利用して家族で日本から北京に8ヶ月ぶりに戻ってきています。家族は25日に大坂から、私は26日に東京から1月6日までは北京の昔住んでいた龍頭公寓に、ず〜っといます。前に住んでいた地ということもあり、今回は観光もせず、ひたすら昔の友人たちと再会し、交流を深め、ちょっと汚いかもしれませんが安くておいしい食事をする目的で来ています。今回、次回は北京にきて今更に感じたことなどを書いてみたいと思います。

北京空港についてから、タクシーにのって20分強でマンションにつくのですが、机場高速路(エアポートハイウェイ)を南西に向かうと、『あぁ、北京に帰ってきた』、『家に戻ってきた』な、と感じてしまいます。中文では「我回到北京了」とか「我回家了」といったところでしょうか。以前、上海や、広州に出張して北京に戻ってきた際に何度も感じたこの感覚、とても懐かしく感じたのですが、我が妻子も同様に感じたようです。

マンション(公寓:Gongyu)前の車止めに停車をして、料金を支払っていると、保安員が「Gongben!好久不見(おひさ)!」といいながらニコニコと挨拶をしてくれ、フロントに顔をだせば、だしたで、やはり「Gongben、(イ尓)回来了没有(戻ってきたの)?」と声をかけられ、翌日、昔自分がいた事務所に顔を出すと、そこでも受付嬢や、阿姨(Ayi:職場のおばさん)やら、昔のメンバーがみな暖かく迎えてくれ、自分が座っていた机と椅子のところに案内してくれました。日本から来ていた若手のメンバーからは「Gongbenさん、ぜんぜん違和感がないですね!」といわれると、本当に何故か、8ヶ月前にタイムスリップしたようで、大変嬉しい思いをしました。

会社の隣にある日本レストラン「穏泉」に昼食をとりに入ると「Gongben的小妹妹(Xiaomeimei)」と呼ばれていた湖南省出身の小姐が「Gongben、やっと戻ってきてくれたの!」と言いながら、店の老板や他の従業員、お客様の目の前で抱きつかれてしまい(自分自身信じられないですが本当のことです。)、嬉しいやら恥ずかしいやら、でした。

タクシーに乗っても、以前からの顔見知りも多かったので、殆どの朋友(Pengyou)から「Gongbenが帰ってきた!」「本当に久しぶりだ!」「中国語、まだなまってないね!」と声がかかり、「太太(Taitai)とYoupingを昨日見たよ」とか普通の人からすれば「馴れ馴れしい」と思われるかもしれないのですが、「誰もみな忘れていないよ」という事実に『北京我的老家(北京わが街)』と言った感慨をあちらこちらで味わい感涙すれすれでした。

以前に上海や他の城市に駐在していた方も、北京に駐在してみると「北京には『やれやれやっと帰ってきた』という感じがするね、特に空港から市内への道中で、、」と言う声もよく聞きます。本当に不思議な町、愛すべき街北京だと思いました。

実は2001年の末頃に上海に出張した帰り、北京の空港に戻ってきたところ、一枚の肖像画(遺影写真と人目でわかる)を抱えた中年のおじさんが家族(だろう、とこれも一見して直ぐ判る)たちと出迎えロビーにでてくるなり、「パパ、到了北京、(イ尓)老家」とかなり大きな声で嗚咽とともに遺影に話しかける光景を目撃し、その場に居合わせた人たちも、その雰囲気に圧倒されながらも感動をしてしまいました。

中国では「あんたはあんた、俺は俺、関係ないね(没関係)」ということをよく口にしますが、北京を離れて一年近くたっても未だに私や家族を忘れずに、「来たの?」ではなく「帰ってきた」「戻ってきたの?」といってくれる北京の友人たち、そして「Gongben先生」と言わずに、「Gongben!」と呼び捨てにされたことに、「やはり北京はいいなぁ。第二の故郷だぁ!」と家族して喜んでいる我々三人です。(こちらでは先生とつけて呼ぶとちょっと距離を感じる、或は冷たい感じがするので、呼び捨てにされることはいいことだよ、と北京老朋友に説明を受けました。)

この年末はねたみ、しがらみ、そねみだらけの東京から離れて古巣のマンションで過ごして、元気をつけてもらってから、嫌な東京の事務所(決して東京が嫌いなのではないです)にもどり、仕事を再開しよう、、そう思っているここ数日間でした。。。


6. 中国バーラウンジの活用

みなさん晩上好!

先週は莫 邦富さんがらみの内容でしたが、如何でしたか? 莫さんの書き方に対する好き嫌いは人によりあるとしても、彼は本当はとても日本が好きなのです。そして、「その昔あんなに頑張ってがんばって働いた日本人は今どこに?」「こんなだから日本は凋落の一途をたどるのだ」「日本企業よ、日本人よもっと頑張れ!」と言うメッセージを彼のエッセーの伏線においているのですが、やはり自社のことを(事実とは言え)悪くかかれることに対して「ブラックジャーナリスト」といった陰口を聞く人がいるのも事実です。彼がブラックジャーナリストなのか、親日家なのか、火中の栗を拾ってみた人にはわかると思いますね。(きっと大変な気苦労をしてしまいますが・・ :笑)

さて、話し変わって、今回は「中国バーラウンジの活用」についてちょっと触れましょう。皆さん(特に男性の皆さん)の中で、中国のバー「酒(ロ巴)」で遊ばれた経験がない、と言う方はほぼいらっしゃらないでしょう。お店によってはちょっといかがわしい所もあります(場所によっては多い?)が、いきなり美女にずらりと並ばれてしまって、「えっ、何これぇ?」と言う経験をされた方も多いでしょう。

でも、こういう所でもお勉強は可能です。ちょっとだけコツを・・
(中国を、又は中国語を学ぶという観点から)女性を選ぶコツは
1) 日本語を話せる女性は基本的に外す
2) また、英語を話せる、と言う女性も基本的に外し、
3) 北京語というか普通語が綺麗な女性を選ぶ様にする
そして、何よりも大切なのが
4) 頭の回転が速い、
5) 気がよく着く女性を選ぶ
と、よいと思います。

英語ができる、と自分で言う女性は(私の経験)「I’m Xxxx」、「I’m xx years old」、「What is your name?」、「How old are you?」ぐらいまでは会話になるのですが、あまりきちんとした英語でもなくブロークンだったり、冒頭の会話以降は、沈黙になってしまいます。そうなるとちょっと間が持たなくなり、ひたすらカラオケににげるしかない、、私は、「私を気に入っているのは誰?」とか「僕とでも会話ができるのは誰?」といったことを聞いていました。そして、赴任当初の私のひどい中国語でもピンと来る女性が「ハイッ」と手を上げるのを待ち、他の女性たちには「ごめんね、彼女が一番速かったね」といってその女性を選びました。。。つまり相手の語学レベルを即座に分析し、相手の言いたいことを理解してしまう、こういう女性は大概4)の条件を満たしていますね。

つまり時間がたっても、彼女との会話は途絶えない、そして時々片言の日本語で「違う違います」とか「そうそう」とおだてられているうちに(何回か通う必要あり)、自分の中国語の発音を治してもらったり、中国ではこういう場合にこういうのだ、漢字で書くとどう書くのか、ピンインはどうなるのか、、ということを一回につき数語でもいいから覚えておき、次回にはその単語や表現を使って確かめる様にしていました。

上海に駐在になっていた方が北京にこられた際にそんな話をしたところ、「僕も『日本語を話せない人』と言う基準で選んでいる、その方が『中国にいるんだ』と自分を追い込めるし」と仰っていました。その方も半年にしては上手に話をできる様になっていらっしゃいましたので、きっとこのセレクション方法は正しいでしょう。会話で判らなかったりしたら、ナプキンやメモ用紙などに漢字を書いてもらい、ピンイン・四声を自分で振り、確認してもらい(でもあまり当てにはしないこと、往々にしてピンインを間違える中国の友人も多いですから)、後で自宅で広げて読んでみましょう。。。

始めのうちはどこの店に行っても「日本のどこから来たのか」、「どこに住んでいるのか」、「いつまで居るのか」、「中国ではどの都市に行ったことがあるか」、「それらの中でどこがすきか」と言った質問されると思います。ですからこの店で失敗しても「よし、次の店では間違えないぞぉ」と気分転換をして頑張ってください。慣れてきたら、自分の好きなお店で、じっくりと中国(或はその都市)の人の物の考え方、について等とレベルを上げていけばよいでしょう。好色なことさえしなければ、彼女たちから信頼されるようになり、相談にのって欲しい、と言われるようになります。そうなってくればあなたの中国語も進歩をしてきたものだと「自分で自分を誉めて」上げてください。

今週は26日から11日間の休みを取り、ちょっとだけ家族で「北京に帰ります」。。。では良いお年を!!

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5. 莫 邦富さんに学んだこと

みなさんニイハオ!

前回、前々回は中国語の学習はどこでもできると言うお話で、今回はその続編をと考えていたのですが、ある事情により、特番を組みました。みなさんは上海人評論家の莫 邦富(もうばんふ:Mo Bangfu)さんをご存知ですか? 実は、先週の木曜日、莫さんと私の弟と三人で、とても楽しい会食をしました。彼はもう日本にこられてから18年になる、という方ですが、その日本語は大変美しいのです。特に書かれた日本語は。普通日本語がうまいと言われる中国の方が書かれたものには、誤字・脱字、そして語法の誤りや不自然な日本語が意外と多く、「彼と話した時には気付かなかったが、その報告書を読むと、何か妙な感じがするところがある」ということを経験された方も多いと思います。

北京で莫さんと始めてお会いした際に、彼は、「中国で日本語を学んでいるうちに、『話すことはできても、中々うまく日本語を書ける人は少ない。よし、俺は日本語でものを書いてみよう』と目覚めてチャレンジを決心した」と仰っていました。皆さん、一度彼のかかれた本やコラムをご覧下さい:「Next One」 (旧「べんべん」)や朝日新聞Beのコラム「mo@china」に定期的に登場されています。私はそんな彼のあるコラムをきっかけにお知り合いになったのですが、最初は「本当は日本人のジャーナリストが莫 邦富というペンネームを使って日本企業批判をしているのではないか?」と疑ってしまうぐらいに綺麗な日本語でした。但し、日本人でここまで中国の人の心を知っているのはないのでは?とも思いましたが・・

莫さんは、1953年生まれということで私より3歳年上で親近感を覚えるのですが、「新華僑」、「蛇頭(Snake Head)」という言葉を日本に定着させた人として有名ですね。莫さんは、また、彼のコラム記事に関し、ジャーナリストの性として、関係者からの「迅速な」対応を期待されているそうです(事情通からの情報です)。もし、万一、皆さんの勤めている会社、学校、団体の批判記事、賛美記事などがでた場合、広報を通じて、などとのんきに構えず、誠意を持って「莫 邦富さん、あなたの記事に対して私は斯く思う」というメールを即打ち返す方が、よさそうです。

そんな莫さんが、この土曜日(12/13)に朝日新聞に書いたのは、中国におけるトヨタのランクルの雑誌広告とからめたトヨタ批判。中国で問題になったのは「トヨタは、日本で、日産や馬自達の車に鎖をつけて牽引する様な広告をしないのに、中国の国産トラックを牽引するような広告を中国で出した。これは中国人民を馬鹿にしている」、「獅子は中国ではシンボル的存在(眠れる獅子とも言いましたね)。その獅子に敬礼をさせるような広告のセンスが問題」といったものだと認識していますが、莫さんは、「そもそも『覇道(=横暴)』という命名からしておかしい。もっと言葉を、中国人の心を理解しないといけない。単なる日本企業の驕りになっている」と言う観点からの批判でした。

つまり、「中国で仕事をするなら「中国人のものの見方、感じ方、方法」を理解しないと、驕れる日本人として捕らえられることを知れ。国際化というのは決して「米欧化」ではない」ということだと改めて思わされるコラムでした。関連するURLを以下に記しますね。ご覧下さい。
Next One : http://www.nextone.jp/
トヨタ「覇道」広告:http://j.peopledaily.com.cn/2003/12/04/jp20031204_34668.html

では!

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莫邦富さんの本、楽天ブックスで検索したら沢山ヒットしました。 個人的にも、読んでみたい本が多いです。。。

▲日・中・英企業・ブランド名辞典
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著者:莫邦富 / 呉梅
出版社:日本経済新聞社
本体価格:1,800円

▲中国「新語」最前線・インターネットから性風俗まで
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著者:莫邦富
出版社:新潮社
本体価格:1,200円

▲これは私が愛した日本なのか・新華僑三〇年の履歴書
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著者:莫邦富
出版社:岩波書店
本体価格:1,800円

▲中国人から見た不思議な日本語
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著者:莫邦富
出版社:日本経済新聞社
本体価格:600円

▲日本企業がなぜ中国に敗れるのか
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著者:莫邦富
出版社:新潮社
本体価格:562円


4. レストランでも勉強できる中国語

Gongbenです、ニイハオ!(「笨」ではありませんよ!)

さて、前回はタクシーの運転手さんからでもまなべる中国語、といった感じで書きましたが、今回は、レストラン、バーでも勉強ができるということについてご紹介しましょう。どこのレストラン、はたまたバーやナイトクラブに行っても恐らく置いてあるであろう紙ナプキン。お店によってはテーブルの上に置いてある、お店の名入りの紙のランチョンマット。これらを使って中国語のお勉強をしましょう。

中国の皆さんと一緒に食事をとする際に、会話に出てきた「キーワード」をちょこちょこっと紙ナプキンやランチョンマットに書き込み、或は書いてもらい、発音や四声をも含めて書いてしまう。これを家に持ち帰り、後で取り出してみると、その会話をした際の小姐の声の抑揚とともに沸々と思い出される幾つかの単語。。。「あっ、この言葉を言ったときのあの人はこんな風に笑いながら言ったっけ」とか、「ちょっと起こりながらこんな感じで言っていたっけ」という具合にその場の風景まで、時としてそのときに流れていたバックグラウンド・ミュージックまで思い出されるものです。

それを、次回そのお店に来た時に使ってみましょう。発音が少し違っていても、四声が少々違っていても、きっとその単語や中国語の言い回しを教えてくれた小姐や先生なら、あなたの発音を聞いて「お、これはもしかしてあの潘に自分が書いてあげた中国語では・・」と彼らの方が覚えていて思い出してくれて、、「いや〜ん、Gongbenさん、四声がちがうわよ〜ぅ。正しくはこういうのよ」等という『再放送』になってしまうこともありますが、こういうときには彼らは「お前馬鹿だなぁ」ではなく「え、あの時の会話を覚えていてくれたんだぁ」と親近感が沸くことは請合います。

女性客でも、一緒です。素敵なコックさんや、先生と話をしたら『その場』を再現してみること。これは、食事をただの食事にするのではなく、勉強の場にも使えるので一挙両得ですよ。但し、気をつけないといけないのは、、そうです。時として女性言葉というか女性口調になってしまうこと。上司、部下(ともに北京人)と北京のお客様を訪問して、雑談になったときに、「えっ、江さん、いやだなぁ」といった軽い口調で「老江、(イ尓)討厭(Ni taoya〜n)」と口にした瞬間に「Gongben、それは酒バーの小姐から教わっただろう?意味は知ってるか?」とニヤニヤ笑いながら聞かれました(なんといい上司だ!)。知っていると答えたら、「その彼女の言い方だと、きっとGongbenさんに気がありますよ、奥さんが知ったら大変ですよぉ」と部下の中国人スタッフもニヤニヤ。。(お客さんにその話を丁寧に再現する上司は本当楽しんでいました。)

実は、この「Taoyanタオィェン」というのは二通りの意味があり、男が男にちょっと怒ってこの言葉を発するといきなり殴られることもあるそうです。私はタクシーの運転手がつり銭を間違え、更にむかついたことには「領収書は無い。もし必要なら俺はおまえを拾ったところに連れ戻すからそこからもう一台別のタクシーを拾え」と言われ、「Wei、 Ni Zhen TaoYan、おいぼけてんのかお前!」と言ったらそのとたんにナイフを持って飛び掛られたことがあります。いずれにせよ、中国の友人から「これはあまり使わない方がいいよ」と言われたら使わない方がいいですよ。

ということでレストランに行っても勉強はできますよ。メニューを持って帰ってそれを勉強して「食材、調理法」に滅茶苦茶詳しくなった友人もいます。要するに『勉強する気にさえなれば、どこにでもチャンスは転がっている』、『いかにチャンスを見つけ、意識し、自分の血や肉にするか』が大切です。

頑張ってください。

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3. タクシーでも中国語は勉強できますよ

GONGBENです。ニイハオ!
皆さんは、外国の言葉をどうやって学ばれています(した)か?学校に入って、朝から夜まで午前は学校、午後は自宅でテープ学習に家庭教師、夜も自宅で勉強?ですか?

中国のタクシーの運転手さんは、日本とちがって話し好きです。ですから「あれは何?」「是は何?」「どう書くの?」「あの看板の三番目の文字はどう読むの?」と話しかけると、もう大変。運転しながらメモ用紙を取り出し、ハンドルを下敷き代わりにして「こうやって書くんだよ」と教えてくれます。「も、もう判った、判ったから前を見て運転して!!」と、絶叫してしまう私がそこにはいました。

タクシーの運転手と話をするとき、今間違っても、その運転手さんに又会うなんてことは少ない(駐在するとマンション前や会社前でいつもたむろしているのですが)ので、間違いを恥だなんて気にせずに話しをできますので、とにかく自分の思ったことを口にしてみる、これはなかなか早いですよ。運転手さんが暇だったり、気が向くと、車を止めてもっと他の事もたくさん話してくれることも多々あります(でもメーターが回りっぱなしの時もあるので、ご注意を!・・・それでも安いものですが)。

北京に駐在をするようになって、私のマンションが40元ぐらいの距離のところにあった関係上、私を送りたいという運転手さんの何人かは名刺(ちゃっかり携帯番号入り)をくれて、先に帰る上司や私の友人に「GONGBEN xiansheng haizaima?」等と聞いて、「彼はまだいるよ」という返事があったら、そのお客さんを送ってからまた会社の正門前に来て私の出てくるのを待っていてくれました。時々、「今天免費可以了!」なんていう時もありましたっけ。北京ではシャレードとシトロエンの「富康」、が町には多く、空港などでは紅旗やサンタナが多いのですが、上海や広州などでは、シャレードなんてポンコツ車は無く、殆どがサンタナで、広くて乗り心地もいいですね。

そんな北京の運転手さんたちは、運転しながら自分の車線に無理やり割り込んでくる車があると「××!」等と罵り言葉を吐くのですが、私がきょとんとしていると、「これは北京の言葉でこう書いて、こう発音する、でもあまり使わない方がいいですよ。喧嘩が始まってしまうよ」等と北京土語を教えてくれたりします。会社の喫煙室等で、自分の日本人上司のことをその北京土語で悪口言ったりしている、社員が結構いるのですが、私が運転手さんから教わった言葉が出てきたりして、にやりとすると、「Gongbenさん、今の言葉判るの?」と聞いてきます。「まあね」等と、少しは知ってるんだよ、という態度で接すると、「参ったなぁ、これじゃ悪口を言うところを変えないと・・」等といいながらも、自分たちの言葉を知ってくれているんだなと嬉しそうな表情をしてくれるので、皆さんもぜひ、タクシーで中国語を勉強することにチャレンジしてみてください。

今回は、私流の中国語の学び方について少しだけ触れて見ました。
長い時間お付き合い頂き「謝々!」。


2. 中国の人はよく働く

Gongbenです。ニイハオ!

3連休に一日年休をくっつけて4連休として妻子の待つ大阪に帰省しました。小学4年生の息子からは「キャッチボールをしてほしい」といわれていたのに、こちらに帰ると、なんとカンフーの合宿とかで、一泊二日で西宮に行ってしまいました。関西は今日は雨、明日は?さてどうなるでしょう。。

ところで、年休の制度は余り中国では定着してはいないようです。私の駐在していた頃は、彼らの休みというと、その殆どが病欠だったように思います。(年休を与えると、一年分の年休を一度に消化してしまうので、本来の年休の意義がなくなるといった説明を中国側の方からお聞きしたことがあります。制度が定着すればそういうこともなくなるのでしょうが。。)ただ、中国の方は皆さん(勿論全てではないでしょうが)よく働き、よく学ぶ、仕事にも熱心に取り組む方がとても多いと関心しています。

私は、プロジェクト系の仕事の立上げのため赴任したのですが、そこで最初に地方の小さな空港でプロジェクトを受注して以来、取り組んだ仕事は次々と成功を収めることができました。その理由を私なりに分析してみますと、日本の工場(決して本社ではありません!)サイドの支援が大きかったことと、海外の仲間からの支援があったこと、そして何よりも、中側スタッフの頑張りによるところ大だったと思います。

朝は7時半から夜は毎日10時11時すぎまで、入札の直前の数日は日付がかわり2時3時まで働き、土日も会社に出てくる、もっと驚いたことは、中国では大変貴重な休みである旧正月、五一、国慶節、夏休みを返上して働いてくれた中側の上司・スタッフの熱意です。当然こうなると私も休みもとれず、家族と家の近くのレストランで食事中に携帯に電話が入り、「今どこ?」と聞くと当然のように「会社」と言う声が返ってきて、「じゃ、今からすぐに出社する!待ってて!」と答えてしまうことがたびたびありました。お陰で、私の帰国までに、失敗は2度だけ、後は全て成功という成果を上げさせてくれました。そんな彼らに私は今でも感謝していますし、彼らの姿に学ぶことも多かったと信じています。

彼らは今でも(XPのお陰で中文のメールができる環境もあり)メールをくれますし、日本出張の都度に私に連絡をくれ一緒に食事をしたり、お酒をのんだりしてくれます。私もそういうときには会社の仕事よりも彼らと会うことを優先させています。(謝々北京朋友們!)

こういう中国の友人を見ていると、2010年より前にアメリカに打ち勝つ国としての中国が登場しそうです。日本?今の日本人を見ていると、大変残念なことですが、それはなさそうです。今の日本では、拝欧米主義者が幅を利かしており、その欧米人に押し付けられたことなら何でもハイハイと頭を垂れて聞き(聞かないのは日本共産党、朝日新聞ぐらい?笑)、アジアの友人に対しては、蔑視をするとまではいわないにしても、小ばかにした態度で接している人が多いように思います。それが、中国のレストランで小姐に「土下座しろ」といったおろかな発言をする日本人を産んでいるのではないでしょうか。。。

評論家の莫邦富さんに言わせると、昔の日本人はもっと働き者で、仕事に誇りを持っていた、そうです。彼が日本人の勤勉さの引き合いとしてよく持ち出されるお話に、「昔、上海で日本の企業が納めた施設の設備の中に、大きなパイプがあり、その引渡しの際に、日本人が背広を脱ぎ、ワイシャツ一枚になって管の中に入り、汚れがないかどうか確認をする姿を見て大変感動した。 でも、今の日本人、そこまでする人がいますか? いたとしても、大変少なくなったのではないでしょうか?」と言うのがあります。莫邦富さんの主張については、賛否両論いろいろあるでしょうが、一度彼のお書きになるエッセイをご覧になってはいかがでしょうか?(今彼は日本では朝日新聞日曜版の別冊とべんべんなどにコラム提供をされていますよ)

ちょっと堅苦しい話になってしまいましたが、中国で働かれる日本人の皆様、これから寒くなります。風邪の季節に加えてSARS再発生の話もそろそろ出ていますね。体に気をつけて、中国の人、中国の仕事のやりかたを理解できる日本人として、頑張ってください。

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莫邦富さんの本、楽天ブックスで検索したら沢山ヒットしました。個人的にも、読んでみたい本が多いです。。。

▲日・中・英企業・ブランド名辞典
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著者:莫邦富 / 呉梅
出版社:日本経済新聞社
本体価格:1,800円

▲中国「新語」最前線・インターネットから性風俗まで
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著者:莫邦富
出版社:新潮社
本体価格:1,200円

▲これは私が愛した日本なのか・新華僑三〇年の履歴書
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著者:莫邦富
出版社:岩波書店
本体価格:1,800円

▲中国人から見た不思議な日本語
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著者:莫邦富
出版社:日本経済新聞社
本体価格:600円

▲日本企業がなぜ中国に敗れるのか
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著者:莫邦富
出版社:新潮社
本体価格:562円


1. 新コラム:元中国駐在員の「日中徒然草」

このメルマガを通じて、「中国」という共通のキーワードで知り合う人達が多くなり、その方々から様々な体験記を頂くようになりました。私などよりも中国経験の豊富な人達が多いので、とても参考になります。

今回紹介するのは、その中のお一人Gongbenさん。中国駐在時の貴重な経験を元に、時には辛口でコラムを書いて頂けることになりました。題して「元中国駐在員の日中徒然草」。不定期ですが、ネタが豊富のようなので限りなく定期に近くなるかも知れません。(^^ゞ

では、始まり始まり・・・

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初めまして、Gongben と申します。

いつも「技術中国語」のメルマガを楽しみに読んでいましたが、このたび私にコラムを担当するようにとの途夢さんのご依頼を受け、ここのところたまりにたまっていた自分の気持ちを表現する場に、利用させていただくことになりました。

私は、2000年11月から2003年の1月まで僅か2年2ヶ月でしたが、北京で中国のシステム事業の立ち上げの為に赴任しており、「2年の契約なのだから2年が過ぎたらすぐに帰国せよ」と中国を知らない日本側の親元の命令で帰国させられました。赴任時に、現場の会社の責任者から「中国での仕事をやるのなら5年は必要」といわれ、私も派遣元もそれに同意をしていたのですが、大企業特有の「足を引っ張る」ことの好きな人間の陰謀(?)で戻されてしまいました。

でも、その際に強烈な反対運動を展開してくれた、現地のお客様、現地販売会社の上司(日本人も中国人も)、そして駐在中に知り合った現地人、日本人駐在員の友人のご好意に報いることなく帰国してしまい(断腸の思いです)、今では何故あの時に会社に見切りをつけられなかったのかと後悔すると同時に、近いうちにまた北京に復帰してみせるぞ、と思いを強くしています。

最近の日中間を見ていると、珠海の集団買春をした関西のバカ企業、西北大学で相手国の文化を踏みにじる行動を起こした日本人留学生(留学生は真剣に勉強をする人と、日本で就学できなかったが格好が悪いので「海外留学中」というラベルをほしいだけの人とに二分されます)、そして、その際に香港の馬鹿な報道機関が「これが中国人」という表示を日本人留学生がしていた、などという誤った報道をして大きな騒ぎになってしまいましたが、それに悪乗りした中国人大学生(彼らには当然、中国を馬鹿にするなという言い分があるのは認めますが香港メディアの誤報を確かめなかった彼らも問題)、そして明治〜最近に至る日本企業の最大の誤謬(常に欧米が正しく、それ以外は間違い)を見ているに、黙っていられなくなった私です。

私はここで、『異文化に橋を架けよう』と提案したいのです。

日本と中国の皆さんが、異なる意見(異なっても当然です。夫々のバックグラウンドが異なるのですから)をぶつけ合い、そして相互の理解を深め、新の日中友好(中国では中日友好)を深めることが出来たら、私の存在など消し飛んでも良いと思っています。皆さん、大いに語り合い、友好を深め合いませんか?政治屋にはできない、草の根レベルでの日中友好を実現しませんか?みんなで「思うこと」、「気づいたこと」、を語り合いましょう。

その中での約束事はたった一つだけです。

たとえ今日喧嘩・口論してもよい、明日の朝には綺麗さっぱりと忘れて、お互いの目標である「よりよい日中関係、日中の理解促進」を目指すこと。(我が家においてもこれを実践しているので、結婚後14年、色々喧嘩もしましたが、楽しくやっています:shunzi、そうだろ?Yesと言って!)

皆さんにお願い:こんな話題で意見交換したい、というのがあればご意見下さい。(選ぶのは私が勝手に決めちゃいますが・・)

では!来週の水曜日まで「星期三見(水曜日にお会いしましょう)!」


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