観光スポット情報

中国四千年の歴史」、見所も多いかな?

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今回、「広州康輝国際旅行社(CCT)」様が日本人向けに配布されている観光ガイドを提供頂きましたので、基本的には、この観光ガイドを掲載させて頂き、私が行った事があるところに関しては、自分で撮影した画像と感想を追記しています。

自然景観

革命史跡

園林娯楽

建築景観

自然景観

白雲山

広州市の北部に位置する南粤名山であり、30余りの山峰(丘)で形成され、北には馬鞍嶺から南には桂花岡まで9700mに達する。 幅は4500m、面積は2800ha。主峰の摩星嶺は高さ382m、頂上を登ると広州市の全貌と珠江の眺望ができ、雨が降り終わって晴れ間が出る時に、山に白雲が立ち込め、奇観が現れる。これで"白雲山"の名が付いた。 素晴らしい景観で広州の景勝地として毎年80万余りの観光客がここを訪れ、特に旧暦の9月9日になると、登山者の数は20万余りに上る。 中には"白雲松涛"と"雲山錦秀"の絶景で人々に親しまれ、古代から多くの詩人、学者がここに詩文を残していたが、日中戦争の時に、ほとんどの古跡が崩壊された。 近代になって、政府が白雲山の観光地に力を入れ、多くの施設が設けられ、白雲山の姿をより一層美しくさせた。全長1672mのケブルカーで山頂まで一気に登れる。
【途夢より】遊歩道が整備されているので歩いて登れますが、山頂まで一気に登るロープウェイがお手軽です。でも、運動が好きな中国人は、皆さんけっこう徒歩で登っています。バードパークなどもあって子供も充分に楽しめますが、地元の人達は何故かバトミントンをしている人が多いです。


越秀公園

広州汽車東駅から約1キロ離れた越秀公園は広州市の北部にある。広州市では最大の公園で敷地面積は92万平方メートルである。越秀山のほか、六つ丘及び秀湖、南秀湖、北秀湖三つの人工湖がある。毎年、春、秋二つの季節に、ここで盛大な春を迎える花卉展覧会と菊花展覧会が開催されている。主な観光地は五羊石彫、鎮海楼と中山記念碑などの名勝古跡である。
【途夢より】都会のど真ん中にある緑豊かな公園です。アップダウンが多いので、歩いているだけでも結構汗をかきますが、日陰に入って自然の風を受けるとっても気持ちが良いです。植物の葉っぱが大きくて、南国の植物の豊かなエネルギーを感じます。広州博物館、広州美術館、五羊仙庭、明代城壁などの観光スポットも、この公園内にあります。

住所:広州市解放北路988號(地下鉄「越秀公園」下車)
TEL:020-8666-6235
開門時間:6:00AM〜10:00PM
入園料:5元

五羊石像

越秀公園にある五羊石像は、広州のシンボルである。昔に五羊仙人が広州に来て、広州人民に吉祥と幸福を贈り、稲穂を贈ってから、五羊が巨石となっている物語がある。この伝説で、広州は「羊城」とも呼ばれている。

【途夢より】広州がここまで豊かになったのは、この羊達のおかげだと今でも信じられている、広州に来たら一度は寄ってみたいスポットです。

住所:広州市越秀山越秀公園内
TEL:020-8355-6494
開門時間:6:00AM〜9:00PM
入園料:5元(越秀公園の入園料)

鎮海楼(広州博物館)

明太祖洪十三年(1380年)に建て始められた鎮海楼は600余りの歴史があり、省級重点文物保護単位である。楼は造型が奇特で、楼に似て塔にも似て、長方形を呈し、高さ25m、幅31m 、深さ16 mである。構造が巧妙で依然とした風貌を保ち続けている。楼の前に、歴代碑刻がある碑廊の中で我国現存の最も古い碑刻四鼓文碑刻があり、傍に鴉片戦争時期の古い砲台がある。

住所:広州市越秀山越秀公園内
TEL:020-8355-0627
開門時間:9:00AM〜5:00PM
入園料:6元

流花湖公園

【途夢より】広州駅の南側、交易会会場の西側に位置する緑豊かな公園です。流花湖は広州市最大の人工湖で、その廻りには緑豊かな木々が生い茂り、ボート等の遊技施設や、南門には野鳥園もあります。TVでよく見る太極拳をしている風景も見られますし、青空の下で麻雀をやっている老人も多いです。園内にはフカヒレが有名な高級レストランレストラン「唐苑酒家」や、カラオケバーなどもあります。

住所:広州市流花路
TEL:020-8650-2279
開門時間:6:00AM〜10:00PM
入園料:5元

革命史跡

広州蜂起烈士霊園

広州蜂起烈士霊園は広州市中山三路に位置し、1927年の広州蜂起の中で国のために生命を捨てた烈士のため建てられた霊園であり、敷地面積は18万平方メートル、陵と園二つの部分となっている。主体建築は正門、広場、陵墓大道、広州蜂起記念碑及び円形陵墓などがあり、西南に広東革命歴史博物館がある。広州蜂起烈士霊園は広東省文物保護単位と全国重点烈士記念建築物保護単位、広州愛国教育基地の一つである。
【途夢より】中央にそびえる剣を握った拳、広州蜂起記念碑が目を引きます。そこの壁部には、戦いの様子が石に刻まれ描写されてます。


黄花崗七十二烈士陵園

黄花崗七十二烈士陵園は東山区先烈路に、白雲さん南麓の黄花崗にあり、広州戦役で、孫中山先生がリードした同盟会の、国のために生命を捨てた72烈士のため建てられた。 黄花崗解放してから、記念公園となっていた。園内には、「浩气長存」との石碑坊、墓道、烈士陵墓、記念坊があり、記念坊の上に、革命のたいまつをあげている自由神像があり、烈士が自由と解放を追求した献身精神を象徴している。

住所:広州市先烈中路
TEL:020-8732-6069
開門時間:5:00AM〜10:00PM(春夏季)
     6:15AM〜6:45PM( 秋冬季)
入園料:8元

中山記念堂

中山記念堂は中国民主革命の先駆者である孫文先生を記念するために出来た建築でゐ。孫文先生は日本では孫文という名前で、よく知られていますが、中国国内では孫中山という名前で知られて尊敬されている。世界的にも有名な中山記念堂は、中国の古典的な建て方で、宮殿式の建物です。青屋根の丸い形で、北京の「天壇」に似ていゐ。正門の外側に柱がちょうど八本あゐ。広東省の人は縁起(えんぎ)のいい数字とか漢字とかが好きなのであゐ。「八」というのは、広東方言の「発達」や「発財(金もうけをするという意味)」の「発」と読み方が似ているので、非常に縁起がいいであゐ。入口には孫文の筆になる「天下為公(世界はみんなのためにある)」の額が掛かっている。とても美しい建物で、なかにはいると精巧な装飾が施された天井と重厚な舞台に思わず見とれてしまう。以前は演劇やコンサート等に利用されていたが、現在は観光客に開放され、孫文の生い立ちを説明するパネル等が置かれている。

住所:広州市東風中路
TEL:020-8355-2430
開門時間:8:00AM〜5:00PM
入園料:10元

黄埔軍校

黄埔軍校は第一次国共合作期(1924--1927年)に孫文が創設した陸軍軍官学校で、ここから 多くの国民党、共産党の幹部、中国軍事、政治人材(例えば、孫中山、周恩来、叶劍英など)を育っていた。なお、初代校長は蒋介石。黄埔軍校は広州東郊の黄埔長洲島にあり、もともと「陸軍軍官学校」と呼ばれた、後、「中央軍事政治学校」の名称に改めた。黄埔軍校の旧址は全国重点文物保護単位で、広州市愛国教育基地となっていた。現在敷地内には、孫中山記念碑と銅像、孫中山記念室、軍校校舎及び黄埔軍校史料陳列館、軍校倶楽部、東征烈士墓などが残っている。

住所:広州市黄埔区長洲島
TEL:020-8220-1082
開門時間:9:00AM〜5:00PM
入園料:15元

園林娯楽

南湖遊楽園

南湖遊楽園は広州北郊の白雲山山麓の同和鎮に位置し、80年代の大型遊楽園で、南方最もいい旅遊区で、1992年、国務院に「広州南湖国家り旅遊休暇区」が認定されていた。 山々が聳え立ち、湖水が山と映え合って、四季緑が絶えない、現代機械化及び園林式が融合した総合的な大型遊楽園場所である。園内の遊楽項目は、宇宙旅程、宇宙神砲、星球大戦などの項目である。

番禺香江野生動物園

香江野生動物園は番禺市大石鎮にあり、動物、植物保護研究、養殖加工、旅遊観光などの総合的な大型旅遊景観である。敷地面積は130ヘクタール、動物種類は300種に達して、国内の動物のほかまた、アフリカ及びタイの稀に見る動物、例えばウシカモシカ、タイワニ、白虎などがある。 全国遊覧線路が乗車遊覧区と歩行遊覧区に分けて、乗車遊覧区がアフリカ原野区、アジア原野区、猛獣区から構成されて、歩行区が白虎、鰐村、巨象、猛獣の上演場がある。野生動物園の中に四つの動物上演場があり、600---2500人収容できる。


広州動物園

1958年開園の広州動物園は先烈中路に位置し、我国三大動物園の一つである。43haの敷地内には、鳥類、魚類、哺乳類などの動物450種4500頭の動物たちが飼育されている。パンダヤ東北虎など希少動物もたくさん見られる。また、中央の人工池では、さまざまな鳥類も飼育されている。、国家一級重点保護動物に属するパンダ、コバナテングザル、オグロヅルなどの35種、二級重点保護動物に属するマナヅルなどの32種がある。また、広州海洋館や恐竜館など特別館の増え、中心展覧区、鳥類大観、盤竜区三つの遊覧区に分かれており、動物を見る以外にもいろいろ楽しめ、娯楽世界、馴獣上演などの娯楽項目もある。

住所:広州市先烈中路120號
TEL:020-8775-2702
開門時間:9:00AM〜5:30PM
入園料:10元

広州海洋館

広州海洋館は広州動物園内に位置し、1997年竣工した、遊楽、観賞、科研、教育などを一体となり、総合的な海洋館で、海洋魚類を展覧することを特色としての青い海底世界である。 全館面積は1.5万平方メートル、そこではおよそ300種1万匹の魚類とめったにみない海洋生物が飼育されている。主な特色景観は海底トンネル、深海景観、長さ18mの熱帯サンゴガラス鉢、珍品ガラス鉢淡水世界、錦鯉池、沙魚(サメ)館、海獅(アシカ)楽園などのである。アシカやイルカのショーも開催されていて、子どもたとに大人気だ。

住所:広州市先烈中路東段広州動物園内
TEL:020-8761-1884
開門時間:9:00AM〜5:30PM
入園料:100元

華南植物園

華南植物園は天河区竜眼洞火炉山の麓に位置し、全称は「中国科学院華南植物園」で、300ヘクタールの敷地面積をもつ全国三大植物園(華南、北京、廬山)の一つで、中国最大の南亜熱帯植物園。1956年から建てられはじめた植物園は全世界60余りの国家、地区の300余りの植物園と密接な交流業務往来があり、試験区及び展覧区二つの部分となっている。 園内には5000種を超える国内外の熱帯、亜熱帯植物がシュロ類植物区、竹類植物園、木本花卉区、希少植物区、水生植物区、温室、薬用植物区など数十のブロックに分けられて栽培されている。華南植物園は1980年まで完工し、1986年「羊城新八景」の景観の一つを選評されて、美しい景色で「竜洞_林」の称讃を受けた。1995年、関係部門に「中華の最」----全国最大の南亜熱帯植物園が選評された。毎年、観光客が40万人に達している。

住所:広州市沙河龍洞
TEL:020-8523-1993
開門時間:24時間
入園料:10元

建築景観

広州建築は歴史が長く、特色を富むことで有名である。広州古代建築は城防建築、宗教建築、廟宇建築、陵墓建築、祠堂和塔橋泉井坊等の六類に分ける。近代の建築は宗教、公衆、商業、紀念性と住所等の種類、この中西関大屋、竹筒屋、商業騎楼、東山花園洋房及び沙面の西方古典主義と新古典主義建築物が海内外によく知られる。現代の高層建築は主に広東国際ビルと中信商業ビル等がある。

城防建筑

広州有名な城防建築は鎮海楼(五層楼)と蓮花城(「蓮花山」の「蓮花城」)がある。

鎮海楼

明代の広州の楼閣のひとつで、建物の「鎮海楼」は明の洪武十三年(1380年)に越秀山の城壁の上に造られた著名な古代建築である。西側には碑廊と大砲の台座があり、23の石碑と明清時代の各種大砲が並べられている。当時、よく氾濫した珠江を海になぞらえ、ある仙人が高い場所建物を建てれば静まると告げたため「鎮海楼」の名があるという。朱塗り5層の堂々とした木造建築で、茶店になっている展望テラスからの眺めは絶好。現在、館内は広州博物館になっているが、ここで飲む茶に人気がある。


蓮花城

蓮花城は蓮花山の蓮花塔の北部にあり、「広東長城」とも呼ばれる。清朝康熙三年(1664年)に建てられ、面積は約1万平方m。蓮花城が山頂にあり、珠江航道を俯瞰することができるので、重要な軍事拠点である。鴉片戰争時期、林則徐は城内に駐屯したことがあり、英軍の侵略を防御する防御線を設立した。蓮花城は中国及び広州近代史の歴史現場証拠である。


教育建築

広州歴史上に著名的な教育建築は番禺学宮、玉岩書院、升平社学等がある。

番禺学宮

番禺学宮は中山四路にあり、毛澤東主席が主催した農民運動講習所の旧址である。ここは清代の前に番禺県県学と孔子を祭る文廟である(承宣街にあり、今の北京路の東側にあり、番禺県によって管轄する)、敷地面積5425平方m、毛澤東主席が1926年にここで農民運動講習所を開くため、1953年に農講所旧址紀念館になって、国家級重点文物保護單位である。 番禺学宮は徳慶学宮、掲陽学宮と一緒に「広東三大学宮」を呼ばれている。

升平社学

升平社学は白云区石井鎮にあり、三進五過間式の祠堂式建築である。清道光二十二年(1842年)、三元里人民がインギリス軍隊を迎え撃つため、北郊農民を聯合し升平社学を創立した。300人があり、その後西湖、石景等の13社学は、升平社学をはじめ外国侵略軍を迎え撃つ群衆武装組織を成立した。社学旧址内に「衆志成城」「气懾鯨鯢」「義維桑梓」「藩籬永固」等の石がある。

玉岩書院

玉岩書院は広州市白云区蘿崗鎮にあり、宋元の時、広州の書院である。もともとは「蘿坑精舍」と称された。宋朝の進士鐘啓初(玉岩)はここで勉強授業の「蘿坑精舍」を建て、元代の時、鐘復昌は「玉岩書院」と改称した。


宗教建築

広州には有名の光孝、華林、六榕、蘿峰、大佛、海幢などの佛教寺廟がある外、双溪寺、大通寺、能仁寺などの寺院20間、尼庵10間がある。イスラム教の建筑の中に最も有名なのは明成化年に建てられた懷聖清真寺である。広州道教宮觀は三元宮、純陽觀、修元精舍、玄妙觀、應元宮、云泉仙館、五仙觀と天慶廟等がある。キリスト教とカトリック教は広州に多い教会堂を建てた。キリスト教教会堂の中規模が大きいのは東山堂、救主堂、光孝堂などのである。カトリック教教会堂は聖心堂(石室)、沙面露徳聖母堂、河南宝崗天主堂などのがある。

光孝寺

“未有羊城、先有光孝”(広州が誕生する前に、光孝があった)と言われるように、西漢時代に南越王趙佗の玄孫である趙建徳の住居として創建され、寺名は幾度も更改され、東晋隆安5年(401年)には“五園寺”、唐代には“乾明法性寺”、五代南漢時代には“乾亨寺”、北宋時代には“万寿禅寺”、南宋時代には“報恩広孝寺”と呼ばれたが、明代の1482年に“光孝寺”と改称された。 境内には東晋時代に建造された大雄宝殿、南朝時代に開拓された洗鉢泉、唐代のカ発塔、石経幢、南漢の千佛鉄塔、宋、明時代の六祖殿、臥佛殿など数多くの貴重な佛教遺跡と遺物があり、1986年3月5日に中国の宗教部門の管轄に属すると指定された。

六榕寺

広州市内の六榕路にある六榕寺は、梁の大同三年(537年)に創建され1400年以上の歴史を誇る古寺。広州四大仏教叢林のひとつ。もともとは「浄慧寺」といったが、有名な詩人、宋代の大文豪蘇東波がここを訪れ、榕樹(ガジマル)の樹が生い茂っているのを「六榕」と詠んだので、現名となった。院内には数多くの舎利塔や仏像あるが、高さ57mの「花塔」がひときわ目立つ。これは宋代(約千年前)に建てられた九層の舎利塔で、外観は9層で、内部は17層に分かれていゐ。境内にはこのほか碑廊、大雄宝澱、六祖堂、観音澱などの名所があり、大澱内には清の康熙二年 (1663)鋳造の巨大な3体銅仏像が安置されているが、それぞれ高さ6m,重さ10トンと言われ、広東最大の古代銅像である。広州ではもっとも古い仏塔である。以前は「千仏塔」と呼ばれていた。塔の上からは広州が見渡せる。

海幢寺

海幢寺は南華中路と同福中路の間にあり、面積1.97万平方m。ここは南漢時「千秋寺」と呼ばれ、後民家になって、明末に佛寺となって、「海幢寺」と称されていた、清康熙初、当時広州市「四大叢林」の一つとなっている。 海幢寺には大雄宝殿、大銅鐘、幽冥大鐵鐘、千手觀音像碑などの古物を現存する。園内に百年古榕樹3本、360年の鷹爪蘭1本、また「猛虎回頭」の石がある。今、海幢寺は海幢公園内にある。

華林寺

華林寺は著名的な佛教寺院で、茘湾区長寿西路華林寺前街にあり、広州市「四大叢林」の一つである。当年、菩提達摩は今の上下九路の辺り上陸した、中国佛教禅宗の発源人である。後、ここは「西来初地」と称された、庵は「西来庵」を称された。清初、宗符禅師は1655年「大雄宝殿」を建てた、「華林寺」と称されている。

懐聖寺

懐聖寺は、イスラム教が中国に初めて伝播した頃に建てられた中国でもっも古いモスクの一つで、アラビア人伝教師アブワンガスによって建てられたと伝えられている。寺の名前は、イスラム教の創始者であるムハンマドを偲ぶということから名付けられた。院内には光塔と呼ばれる高さ36.6mのレンガ造りの円塔がある。

純陽観

純陽観は海珠区五鳳村漱珠崗の上にある。清道光四年(1824年)、道士、天文学家李明徹は呂純陽を記念するため「純陽觀」を建てた。敷地面積1万余り平方m。もともとは山門、靈官殿、大殿、拜房、東西廊房、歩云亭、東西客房等の建筑物があり、今、ただ山門、靈官殿、大殿、拜亭、朝斗台及び李明徹墓がある。この中の朝斗台は李明徹が天象を観測するところで、広州現存する古観象台である。純陽観は市級文物保護建物である。

三元宮

中山紀念堂の裏にある道教寺院。小さな寺院だが、地元の人たちに親しまれていて、旧暦の1〜15日の間には、行列ができるほどの多くの人が朝から参拝に訪れる。

石室聖心大教堂

聖心堂は、1863年(清の同治2年)に定礎され、1888年(清の光緒14年)に完工した。 両広総督行署の土地を同治年間にフラスのカトリック教団に貸し出したときにフラス人の建築家によってパリのノートルダム大聖堂を参考に建設されたもので、ステンドグラスとゴシック?アーチが洋風なふんいきを醸し出している。 中国国内でももっとも高い尖塔(58.5m)を持つゴシック建築のカトリック教会で、正式名称は聖心大教堂。花岡岩で作られているため、石室とも呼ばれている。


古塔建築

蓮花塔は蓮花山主峰の上に建てられたため、珠江の入口にあるため、「省会華表」の美称がある。琶洲塔、赤崗塔と一緒に「三支檣」と称されている。

琶洲塔

琶洲塔は明代のれんがで造った塔で、海珠区琶洲にある。旧址は珠江中洲渚、兩山が琵琶のような形を呈するため、「琶洲」と称されて、故にこの塔の名を得た。 琶洲塔は明万歴二十八年(1600年)に建てられた、八角形楼閣式の磚塔である。外観が9層、内に17層、高さ50余りm。基部の直径12.7m、壁の厚さ3.97m。第2層から、各面に仏龕がある。明代の石彫りの優れた作品である。この塔は「琶洲砥柱」と称されて清代羊城八景の一である。

蓮花塔

蓮花塔も明代のれんがで造った塔で、番禺蓮花山の上にある。明万歴四十年(1612年)、番禺舉人(明清時代に郷試に合格した人を称した)李惟鳳などの人がこの塔を建てた、原名は「文禺塔」である。蓮花山の上に荒砥が多くため、「石砺塔」とも呼ばれている。山上に獅子形のような自然石があるため、「獅子塔」とも呼ばれている。 蓮花塔は楼閣式磚塔に属し、平面が八角形で、外観が9級、内に11層。1981年、蓮花塔は香港、マカオの名人が寄付し修繕された、今、省級文物保護文物である。


廟宇建築

広州廟宇建築の代表は南海神廟と仁威廟である。

南海神廟

南海神廟は、広州市の東部廟頭村にある南海神を祭った廟で、建設されたのは隋の開皇年間(581--600年)。 海路が発達して貿易が盛んになった唐宋時期には、貿易にやってきた外国商船の多くがここに停泊したし、中国商船は出港の前に必ずここを訪れ、後悔の安全を祈願していった。また、歴代の皇帝も度々人を派遺して祭祀を執り行ったため、多くの石碑が残っており、南方碑林と賞賛されることもある。

仁威廟

仁威廟は龍津西路廟の前街にあり、この廟宋皇祐四年(1052年)に建てられ始める。仁威廟は道教真武帝が祭ってある神廟。主体建築は梯形を呈し、敷地面積は2200平方m、北を向いて南に位置する。仁威廟内の木彫りは精緻で、模様が美しいである。仁威廟は広州市保護文物である。


祠堂建築

広州祠堂建筑は陳家祠(陳氏書院)及び留耕堂など。

留耕堂

番禺市沙湾鎮北村にある留耕堂、元代建造した何氏祠堂である。広東民間田舎祠堂建築設計の典型的な代表作品で、嶺南地区著名的な古代祠堂建築である。何人鑒を記念するため、元朝至元十二年(1275年)、何氏家族が留耕堂を建てた。留耕堂面積が3300平方mに達し、磚石木結構であり、平面長方形を呈し、主な建築は山門、儀宮、釣魚台、享殿、寝殿、東西廊と村祠である。

陳氏書院

陳氏書院は陳家祠とも呼ばれ、広州市の中山七路にあり、清朝光緒20年(1894)に広東の陳姓の人たちの寄付によって建てられた合族宗祠である。正方形をなしに15000平方メートルの敷地のうえ、主要建築の面積は6400へいほうメートルで「広きこと五棟にわたり、奥深きこと三つもの中庭を擁するほど」と言われる大小併せて19もの建物からなる 中庭式建物群となっている。各々の建物は庭によって隔てられ、回廊によって繋がれている。これらの建物は規模の大きさや高さ、また優雅な庭とともに、まさに我が国の古代建築の伝統的風格と南方の建築特色を兼ね備えた建築物だと言える。

陳氏書院は広東の民間建築の装飾芸術の集大成であり、建築装飾は木彫り、にが彫り、石彫り、陶塑像、石灰塑像、絵画、銅鋳や鉄鋳などの工芸品を巧みに使っている。これらはすべて精緻な技術と、様々な題材によって作られ、生き生きとした印象を人々に与えている。その題材の中には、「竹林の七賢」、「梁山義の誓い」、「彦星と織り姫」などの歴史上の物語や民間の伝説、また「五福捧寿」「三羊啓泰」「丹鳳朝陽」などの吉祥を象徴している珍獣や花草の図案更には「羊城八景」「漁歌晩唱」などの嶺南地方の風物や、バイナツブル?ライチ----?スタ----フルーツなど嶺南地方の果実を象ったものがある。1959年に郭沫若先生が訪れた際、次のような詩を詠んでいる「天工人可代、人工天不如、果然造世界、勝読十年書」(天の作ったものは人が代わることができ、人が作ったものは天も敵うことがでいない、なるほど世界を作り上げるというのは、十年もの学業にも優っていることよ)

陳氏書院は広東に現存する建物のうちでも、規模が大きく、よく保存され、精巧な装飾が集められた伝統的また芸術的な建物であり、中国国務院より全国重要文化財の指定をいけた広州における重要な観光地の一つとなている。非常に 高い芸術的価値があり、現在、院内は「広東民間工芸博物館」としても使用されて、陶器、玉器、端渓硯、南方刺繍など、南方を代表する美術工芸品が数多く展示されている。


庭園建築

広州庭園建築は教育路南方戲院内の五代南漢宮苑遺址-九曜園、餘蔭山房、鐘家花園、宝墨園、十香園等。

宝墨園

番禺市西南部の沙湾鎮にある宝墨園は、敷地面積5000平方m、文化、古建築芸術、嶺南園林を一体となる古建園林である。園内の風景がとてもきれいである。 宝墨園内の建築及び景観は治本堂、宝墨堂、清心亭、仰廉橋、紫洞舫、龍圖館、千象回廊と風味食街等である。 園内には千年羅漢老松、九里香、兩面針樹、銀杏樹、玉堂春、大叶榕樹、紫薇樹等の植物があり、また嶺南盆栽がある。特色を富む園芸公園宝墨園には、樹木花卉と建築があるほか、龜池、放生池、錦鯉池、蓮池などもある。

余蔭園

余蔭園は広州市と隣接する番禺市にある広東清代四大名園の一つで、余蔭山房とも呼ばれる。郷試に合格した南村の烏燕天が烏家の繁栄を顕示するため、1864年(清の同治3年)に名工を招いて建設した庭園で、蘇州や杭州の庭園様式を取りいれている。そのメインとなる池の北部にある深柳堂は、主の書斎として使われていた建物で、芸術的な装飾が採用されている。

十香園

珠海区昌江中路懷徳大街3号に位置し、清末有名な画家居廉、居巣兄弟の住所である。敷地面積640平方m、園内には素馨、茉莉などの10種花を栽培するため、「十香園」と称されている。嶺南画派の創始人高劍父、陳樹人ここで絵を勉強する。


民家建築

広州には伝統的な民家建築の代表:西関古老大屋と伝統小さな院式民家等。竹筒屋は西関古老大屋と同じで、広州近代伝統的な住宅形式の一つ。竹筒のような形を呈するため、「竹筒屋」と呼ばれる。 竹筒屋は19世紀下半叶、西関と広州市中心区の辺り、霞飛坊、鹽運西と将軍東、将軍西などの街に多いである。前、中、後ろ三部分に分かれて、前部は門で、中部客間で、内に神楼、客間の後ろに部屋があり、後ろの方に台所とトイレがある。三部分は天井で分け隔てられる。

西関古老大屋

「西関」と言えば、茘湾区にあり、北は西村と接し、南は珠江と連なり、東は人民路まで、西は小北江まで、明清時広州城西門の辺りの総称を指す。西関は上西関と下西関に分かれて、上西関の地勢が高い、下西関の地勢が低い。明末十八甫、十三行がある。清代中、後期から西関大屋と竹筒屋等の広州典型的な伝統建築が建てられた。 現存した西関古老大屋は100室ぐらい、この中価値がある10室である(例えば十三甫正街15号の西関大屋等)。

竹筒屋

竹筒屋は広州の古老民家の一つである。19世紀末の竹筒屋は伝統特色を残っている、外観が単一層で、内にあわせの層があり、階段があり、れんがで造った壁、木で造った軒。民国後、西方建築技術の伝入に連れて、コンクリートを採用し、西洋建築の局部装飾を採用するため、露台がある。竹筒屋は西江流域及び珠江デルタの辺りに分布する。20世紀80年代まで、ただ広州西関に竹筒屋を保存する。


橋梁建築

広州伝統のな橋梁建築の代表は云桂橋と石井橋等。

云桂橋

広州海珠区前進路の曉港公園は竹で有名で、園内、古石橋があり、「云桂橋」と呼ばれる。 云桂橋は明代時清廉な役人何維柏のため建てられた橋である。何維柏は広州人で、25歳時、進士になって官を任ぜられ、彼は清廉な役人である。 当時、何維柏は広州に帰った南郊に隠居した(今の海珠区)、彼の居室を「天山草堂」の名を出し、「天山書院」を創建した。学生来往便利のため、彼は寄付し小橋を石橋に改めた、「小港橋」と称されていた。後、半数の学生は舉人になって、10人進士になった。人達は何維柏を記念するため小港橋に「云桂發祥」牌坊を建てた、石橋も「云桂橋」と称した。 云桂橋は曉港公園内にある。

石井橋

石井橋は広州市白云区石井鎮内にあり、第二回鴉片戰争の遺迹である。橋は清道光十一年(1831年)に建てられ、全長68m、幅3.8m、有6个橋脚台、梁式石橋である。橋の両側に石の欄干、両端は亭がある。石井橋は近代史上帝国主義が中国を侵略の歴史証拠である。


古墓建筑

広州古墓建筑的代表有西漢南越王墓和清真先の古墓。

西漢南越王墓博物館

秦の始皇帝が前214年に嶺南(現在の広東省と広西チワン族自治区一帯)を占領して統治した。秦の崩壊後、秦の将軍であった趙佗が自ら王を名乗り、ここに南越国を建国し、現在の広州を都とした。南越国(紀元204--111年)は、前漢時代の始めにこの地域を治めた最初の王国であった。1983年、広州市の北側にある象_山で、「文帝」と称した2代目の趙佗の陵墓が発見され、盗掘されていない墓室から数千点におよぶ貴重な副葬品が出土。1986年から、この博物館で一般公開されている。特に、彫刻が巧みな玉器と青銅器にすばらしいものが多い。館内には出土品(もしくはその複製品)が陳列されている。紀元前の時代にこんな南の地で高度な文化が開花していたことに思わず感嘆してしまう。中庭には石棺が置かれていた墓室も、そのままの規模で復元されて,現在は王墓の石室も公開されており、本物の内部の様子を見学することができる。玉器、青銅器陶器など貴重な出土品のなかでもっともも有名なのが「絲縷玉衣」これは1191枚の玉片と赤いシルクの糸で造られた衣装で、埋葬された王の全身が焼けこれで覆われていた。館内には、王墓の概要が分かるビデオコーナー(日本語版もある)また、展示館2階には唐代から元代(7〜14世紀)の陶器枕のコレクションが展示されている。


西方古典主義建築

珠江が2つ分かれる分岐点に突き出たところが沙面。ここは今世紀の前半に外国人の居住区だったところで、日本でいえば、長崎の出島のような場所。 現在でも多くの洋館が残っていて、欧米列強が広州を支配していたころのふんいきを今でも色濃く残している。とくに夜景がきれいで、一見の価値はじゅうぶんにある。

沙面

コロニアル風の洋館が立ち並ぶ沙面は、珠江の中州島にあるかつての租界(植民地)である。基盤の目のように区画された道には緑の街路が続き、ネオゴシックの教会やイギリス人たちが暮らした瀟灑な住宅がたたずんでいる。ここだけは今も別世界といった印象である。車の通行も制限されているので、散歩には最適で、沙面公園は広州市民の憩いの場である。最近リニューアルをはかってきれいになった沙面公園でまわりを見渡じてみると、100年前にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

【途夢より】白天鵝賓館の裏側に広がる一帯は、ここが中国広州であることを忘れてしまうようなたたずまいで異国情緒を感じます。観光客をあてにした土産物屋が多いのですが、場所の雰囲気にあっていて、とってもセンスのいいお店が多いです。若い女の子達が写真を真似て丹念に彫る彫刻画は、お土産にはもってこいです。広州に駐在している日本人奥様達御用達の場所でもあるようです。

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