バリ島

(2003年1月31日〜2月6日)
台湾で迎えた2度目の中国正月、6年ぶり2度目のバリ島に行って来ました。

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●1月31日【初日】

今日から待ちに待ったバリ島旅行である。連休の少ない台湾、家族揃って2泊以上の旅行をするのは、1年前の中国正月休みに行ったプーケット以来となる。今回の旅行は、元紀の親友、ママの友達、私のゴルフ仲間である川嶋家と一緒に行く。特に元紀は、親友の雄己君と一緒に行けることを非常に楽しみにしていた。我々のFlightは10時、7時に川嶋さんが予約してくれたバンが我が家の前で我々をピックアップし、いざ空港へ。今日から高速道路の中国正月規制(1台当たり3人以上いないと乗れない)も始まり混雑しているのではと思っていたが、予想外に空いていて、45分程度で中正国際空港に着いた。

飛行機はEVA航空なので第2ターミナル。いつもは閑散としている第2ターミナルが、今日は旅行客でごった返していて、チェックインまでに20分程度並んだ。この間に私は現地で払うUS$建てのホテル代を準備するため両替。US$1600が約NT56000。チェックインの時、「一人だけ席が離れてしまう」と言われ、それは勘弁して欲しかったので探して貰ったが、満席で、しかも4人組が多く、今の3人+1人の席が一番いい組み合わせとの事なので了解した。1列7席で、隣の4席も同じ家族との事だったが、席に着いてみると、それは同行の川嶋家であった。従って、元紀はラッキーにも雄己君の隣に座ることが出来た。

空港で朝ご飯を食べ(私と元紀は牛肉麺、ママと星奈はチャーシュー麺)、私はバリで飲むためのブランデーを免税店で買い、いざBR255で出発。今日の台北の天気は非常によく、離陸してからも暫く下界がはっきりと見え、西側の海岸沿いに建設中の高速道路や、自分の住んでいる天母を機上から認識することが出来た。上空から見ると、日本人学校と隣のアメリカンスクールとの運動場の広さの違いが歴然。アメリカンスクールの校庭は天母球場よりも広かった。また、台湾の山々もハッキリと見え、台湾島には山が多いこともよくわかった。冠雪があるのは玉山だろうか。。。

バリまでの旅程は約5時間。私の隣にはロスから一人で来たアメリカ人が座っていたが話し好きなオジサンで、聞くところに依るとバリに3カ所ほど土地を所有していて、鳥関係でビジネスをしているそうだ。バリ島上空近づいて来てバリ島が見えるようになってくると、窓から見えるポイントの名前を色々と教えてくれた。

我々の飛行機は順調に航行し、予定通り3時ちょと過ぎにバリのデンパサール空港に到着した。ちょっと雲が多いが概ね晴れ。飛行機を降りると、早速南国の熱気に出迎えられた。家族にとってはプーケット以来1年ぶり、私にとっては11月末のタイ出張以来の南国の熱気である。イミグレには30分ほど並んだが、並んでいる人達を観察していると、欧米人と台湾人は多かったが日本人は殆どいなかった。飛行機が台湾から来たとはいえ、もうちょっと現地駐在員家族が来るのではと思っていたが、やはり昨年のテロ事件の影響が多少なりとも出ているようである。

空港では、ホテルの予約をしてもらったGeckoの現地代理店であるBTCのスタッフ「ウタマさん」が我々を出迎えており、バンで川嶋家と2組に分かれて宿泊先であるNusa DuaのGrand Hyattへ向かった。例によってガイドさんは日本語がペラペラ。彼にとっては、明日以降の個人ツアーで仕事を取れれば潤うので、一生懸命オプショナルツアーについて説明してくれた。これは、後ほど川嶋家と相談して決めよう。

空港から30分程度でホテルに到着。我々の部屋は「Grand Club」という、ホテル内のちょっと高級なエリアに属し、そこでは、コーヒー、紅茶は終始無料、アルコール系も夕方5時から7時までのハッピーアワーの時間帯は無料である。

部屋で30分ほど一休みし、その後、川嶋家と一緒に近くのDFSギャラリアに買い物に出掛けた。いやいや、ここでテロの影響を思いっきり実感。人がとっても少ないのである。DFSのブランド品店は閉まっているし、各店の従業員の方が客の人数よりも多いようで閑散としていた。ここでTシャツやビールなどを買いバリ滞在の準備完了。夕飯も、ここのスーパーの脇のキャンティーンで食べた。久しぶりのナシゴレンサテーがとっても美味しかった。



●2月1日【2日目・中国正月】

今日は旧暦の元日、台湾は爆竹の音でとっても騒々しいことだろう。昨年も旧正月は旅行に行っていたので、この新年恒例の爆竹を目の当たりにしたことはないのだが・・・。

私は7時前に起床しベランダで外を見ながら昨日の旅行記を書き、家族は8時半過ぎから三々五々起床。今朝は、昨日夜遅くまではしゃいでいて中々寝なかった星奈が一番遅かった。朝食は、Grand Clubの特権としてGrand Clubのロビーで無料で食べられる。但し、サラダ系、フルーツ系、パン系などしかなく、メインディシュとなる食べ物は無かった。毎回、旅行の時は朝からバイキングで沢山食べ、その後はビーチでゴロゴロしているので太って帰ることが多いのだが、最近太り気味なので、そんな私には今回の朝食はちょうど良いかも知れない。

朝食の後は、元紀達が待ちに待ったプール。10時前でも日差しはもう強烈で、まずは日陰の陣地(ビーチベッド)を取り荷物を置き、早速プールの中へと足を運ぶ。プールの水もとっても暖かい。元紀はマイペースでスライダーで遊んだり潜水したりしていたが、星奈はまだまだ水は怖いようで、腕にする浮き輪で沈まないのを知っていても、中々パパから離れようとはしなかった。川嶋家は既にプールに来ていて、海で貝殻広いの真っ最中であった。海はとっても遠浅で、100mくらい沖に行っても小学校3年生でもまだ腰が水上に出るくらい。但し、海底が貝殻の固まりのような岩が多くなり、歩くのは容易ではなかった。

その後、プールで泳いだり海に行ったりを繰り返しながらプールサイドで過ごす。昼食はビーチバーのツナサンド、ハムチーズサンド、そしてシーザーサラダ。昨日ホテルのガイドマップで見た時はプールが小さそうだったのだが、実際は大きくもなく小さくもなく、ちょうど良い感じ。周りに岩をふんだんにあしらい洞窟の中を通るようなレイアウトのプールと、温水プールのように水が温かいメイン・プール、また、水球やバスケットのネットがあるプールもある。

ママを除いた家族一同みな肩が真っ赤になってきたので、3時過ぎに今回のプールは終了し部屋で一休み。夕方、ママはクタレギャン通りに買い物に行きたがっているので、星奈が昼寝をしてくれればいいのだが結局寝ず、予想通りレギャン通りに行くタクシーの中で寝てしまった。


ガイドブックを見ると、レギャン通りにはバリ雑貨を中心にしたお店がたくさんあるようである。6年前にバリに訪れた時はレギャン通りをゆっくりと見ることは出来なかったので、ママにとっては待望のレギャン通りである。しかし、プーケットのパトンビーチのような通りを想像していたのだが、それに比べると大変おとなしいような気がした。尤も、例のテロ事件の影響がある通りを歩く観光客が少ないせいもあると思うが。。。偶然、テロ事件のあったディスコの前を通ったが、今でも残骸がそのままになっており、門には花が飾られ一面にメッセージが署名された垂れ幕が掛かっていた。

ママは革製品のショップや籐製品のショップを中心に物色。私の目を引いたのは、サッカーのユニフォームのコピーで、ベッカムやトッティーなど有名選手のワールドカップ時のユニフォームのレプリカ(値段的には、ただのコピー商品)がたくさん売られていた。但し、サッカーが好きな元紀でも海外選手のユニフォームにはあまり興味がないようで、日本選手のユニフォームを探したが小野のユニフォームしか無かった。結局この日買ったのは、元紀がマレーシアのインターナショナルの授業中に遊んだというPCソフト、私のMac用のソフト。PC用が約400円、Mac用が1枚約800円だった。

重い星奈を抱きながら歩いていた私の疲労もたまり、また昼食をたくさん食べなかった元紀のお腹も空いてきたので本日のディナーの場所を探しながら歩いていたが、シーフード系のレストランが中々見つからない。そうこうしている内に、空港で貰ってきたパンフレットに載っていた日本食屋「福太郎」まで来てしまい、元紀のリクエストで今晩のディナーは日本食になった。ここの中にはお座敷もあったので、まだまだ寝ている星奈にはちょうど良かった。この「福太郎」、バリの食品コンクールで金賞をとっただけのことはあり、何を頼んでの美味しかった。因みに我が家のメニューは、大根サラダ、シーフードサラダ(お勧め!)、烏賊げそ揚げ、おでん、かに玉、きつねうどん、カツ丼、お好み焼き(これは、星奈のためにお持ち帰り)。バリに来ているというのに、日本の居酒屋で食べたようなメニューである。(^^;

帰りはローカルタクシーでホテルまで50,000ルピア。行きがホテルのタクシーで片道11US$(または96,000ルピア)といわれたから、ぼられることは無かった(と、この時は思ったが、後日メータータクシーを使ったら、35000ルピア程度だった)。ただし、エアコンが壊れているようなタクシーだったので、窓全開での走行を余儀なくされた。

その後私は、昼間壊れたビーチサンダルの代替えを買いに、昨日の夜行ったホテルの前のDFSギャラリアに行った。ナイキのスポーツサンダル449,000ルピアをゲット。しかしこのルピア、桁が多すぎるのでお金の感覚が全く麻痺してしまう。てっとり早い方法として1/100する方法(ゼロを2つ取る)を採用したが、正確には、それに1.33を掛ける必要がある。


●2月2日【3日目】

この旅行記は翌日の朝起きてベランダで書いている。私は7時に起きるのだが家族は8時過ぎまで寝ているので、この1時間強が私の自由な時間である。この日の朝、旅行記を書いていた時は昨日と同じような青空が広がっていたが、プールに入る時間(9時半頃)には雲行きが怪しくなってきたので、私と元紀は、朝食を終えた後ホテル内をちょっと散歩。メインロビーを中心にして反対側の方には民芸品などのショップがたくさんあり、ドラッグストア(ホテルのコンビニ)もあった。

プールまで近づいてくると、ハリーポッターに出てきたような巨大なチェス板に遭遇。バラバラだった駒を並べてハイポーズ。その後、Grand Club専用のプールにも初めて行った。星奈にはちょうどいいかも知れないが、スライダーがないので元紀には物足りないだろう。

部屋に戻って水着に着替えプールに出動。怪しかった雲行きは益々怪しくなり小雨が降り出してきた。それでもプールの水は温かいし、昨日1日で想像以上に日焼けしてしまい、とっても痛い肩を癒すにはちょうど良い。先に来ていた川嶋家とプールで合流し、元紀は雄己君とコンビで勝手に遊び、私は星奈の世話役。これまた、1つ上の崇己君といいコンビである。崇己君はスイミングを習っていてもう泳げるので、星奈にも発破を掛け泳ぎの練習。両腕の浮き袋が邪魔をしていたが、一応、身体を水平にさせて足をばたつかせるところまで出来るようになった。

その後、雨が激しくなり、星奈を連れて洞窟風になっているプールへ移動し、頭上の 岩で雨を避けられるポイントで遊んでいた。ここに1時間近くいただろうか、最初水中に顔を入れるのを嫌がっていた星奈であるが、肩の浮き輪を外して沈みやすくして練習させると、しつこいくらいにも潜るようになった。泳げるようになるのも時間の問題かな

雨は上がりそうもなかったので、プールを午前中で切り上げて部屋へ戻った。奥様同士の協議の結果、午後はDFSギャラリアで昼食兼買い物に行くことになった。この日のDFSギャラリアも閑散としている。お店を何軒か徘徊しながら、毎年バリに来ていて熟知している川嶋さんの案内で以前はレストラン街だったというエリアに来てみたが、殆どのレストランが土産物屋に転身していた。選択肢は思いっきり減ったが、呼び込みのおねえさんに案内されインドネシア料理屋(とはいうものの、スパゲティーをはじめ何でもある)へ。私と妻君はミーゴレンを食したが、麺がカップ麺のようで面白い食感。妻君は、マレーシアのミーゴレンの方が適度に辛くて美味しいと言っていた。マレーシアのミーゴレンの味を覚えていない私にはコメントのしようが無かったのだが、インドネシアのミーゴレンも合格。

食後は買い物の続き。奥様達はゆっくり買い物で、旦那&子供達は飽きたらホテルに戻るというパターンである。30分後くらいからまたまた雨が激しくなってきたので、私は星奈と元紀を連れて駆け足でホテルに戻った。今夜は再び川嶋家と一緒にプラザバリに行く予定なので、昨晩のように寝ちゃってずっと抱っこしなければならない事を避けるために星奈を寝かせた。最初、星奈に昔話していたらこっちが寝てしまうというアクシデントはあったが、その後、無事星奈を寝かせることが出来た。

6時過ぎにプラザバリへ到着。6年前に来た時も来たらしいが、既に私の記憶の中からは消えていた。尚、ホテルからプラザバリまでメーター・タクシーを使うと、その費用をプラザバリ側が支払ってくれるというサービスがあること初めて知った。30000ルピア程度であるが、それを払わなくてもいいというのは嬉しいし、また何度でも行きたい気分になる。ブランド品ショップは想像していたより少なく、ハンティングワールド、FENDI、COACH、DANHILなど。ボロボロになった財布の代替えをハンティングワールドでゲットしようとしたが、私が欲している機能の財布が無く断念。妻君もCOACHを楽しみにしていたらしいが、商品が売れてしまったのか品揃えが少なく、彼女もガッカリしたようだった。

8時からは川嶋さんご推薦の中華料理屋で2家族揃ってディナー。酢豚、チンジャオ・ロース、エビチリ、ヌードル、空豆、レモンチキン、春巻きなどを頼んだが、どれも日本人が好むような味付けで美味しかった。各料理が大皿で来てしまったので食べきれなかったが、それでも2家族で8000円程度なのは中華としてはリーズナブル。もっとも、98年のルピア大暴落(今の価値の半分程度)の時にここに来て割安感を味わっていた川嶋さんには、ちょっと高くなったように感じられたようであったが。。。

プラザバリ閉店の10時近くになると、残っているお客は我々だけのようだった。そのほぼ10時にタクシーでホテルに向かい、長かった1日に終止符を打った。就寝は12時前だった。
後編へ続く・・・


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