死に損ねる→貴重な出会い

(2002年3月31日深夜

 3週間に渡った日本への出張から帰ってきて4日目に熱が出た。いつものように、布団をいっぱい掛けて一晩寝てたくさん汗をかけば治るだろうと思いそうしたが、翌朝になっても38度5分あった。会社を休んだ。PCに向かう元気も無かったので、殆ど1日中寝ていた。寝過ぎで腰が痛くなった。夜には回復基調にあったが、翌朝起きた時にはまだ熱があって頭も痛い。通勤距離80kmにはリスクが大きいので、木曜日も休んだ。そして翌日の金曜日も熱が下がらないので、金曜日も休んで、この日の午前中に医者に行った。気管支炎と診断され、薬を貰った。確かに喉は痛かったが、咳はそれほど出ていなかった。「もしこの薬を飲んでも回復しなかったら、レントゲンを撮りましょう」との事だった。すでに2日間以上寝たきりなので、腰がとっても痛かった。

 すでに会社を3日間も休んでいるので会社の状況が把握出来ない。週末に、少なくともメールチェックは済ませようと、週末台北に戻ってくる部下に私のノートブックPCを持ってきて貰い、土曜日に待ち合わせ場所に取りに行った。クルマで30分程度の場所なのだが、駐車場への階段を下りるのにも膝が笑ってるし、運転していても自分の体が自分の身体ではなく宙に浮いたような感覚だったので、運転していて非常に怖かった

 週末に関知させなくては、と思っていた土曜日の夜、事件は起った。早く治そうと家族の誰よりも早めにベッドに入った私は、NHKのスポーツニュースの冒頭でイチローが活躍したというのが耳に入り、「これは見なくては!」と、TV画面に近づき、食い入るように、まずは日本のプロ野球の結果から見ていた。寝室のTVはアンテナの状態が悪く、画面がチラチラして映りが悪いだが、これまた度の合っていない眼鏡で見ていたら、画面の4隅を順番に移動する光の集合体のようなモノが残像のように見え続けるようにった。寝たと思った。気がついたら妻君が「パパ、病院に行くよ。今、痙攣してたじゃない!」と言って、付き添いで病院に行ってくれる事になった彼女の友人のご主人K氏の到着を待っている状態だった。

 妻君の話によると、彼女が気がついたら、私がベッドの上で痙攣を起こしていて、口から血の混じった泡を吹き、まるで盤若(はんにゃ)の面のようだったそうである。そして血の気の引いたような顔になり、パパが死んじゃうと思った元紀は泣き出したそうだ。彼女が友人(台湾人で、旦那さんは日本人。夫婦共々、日本語、中国語は完璧)にSOS TELした後に私の意識は戻ったようだが、今度は私が息苦しさを感じ、この友人の旦那さんの到着を声を出しながら待っていた。痙攣時の記憶は意識を失っていたため全く無いのだが、翌日に脚全体が攣りそうなほど疲労していたので、確かに痙攣したんだなと思った。ついでに、噛んだと思われる舌の奥が痛かった

 それ以降の記憶は完璧にある。血液検査X線はもちろんの事、生まれて初めてCTスキャンもした。幸いにも血圧が低かった以外は特に異常は見られなかった。その後、点滴が終わるのに3時間以上を費やし、結局自宅に戻って来れたのは朝5時だった。この間ずっと一緒にいてくれたK氏には本当に感謝。異国で現地言語を不自由なく操れる日本人の存在を、今回ほど心強く感じた事はなかった

 翌日・翌々日と再び病院に行き、EEGという脳波の検査を行ったが、これも全く問題なし。結局、何が原因だったのかはわからなかったのだが、「今回が初めての痙攣だったので、長期的に様子をみよう」という結論だった。言い換えると、「何もしないで、このまま放っておこう」という事?! 尚、日経ビジネスを見ていたら、「もしかして私の事件はこれでは?」と思うような記事があった。タイトルが「ポックリ病の正体判明?」で、内容は「ブルガダ症候群」に関してである。詳細は、以下のWEBを参照の事。発作時に痙攣などの症状が多く認められるとの事なので、ますます怪しい・・・。
http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/PokkuriNM12.shtml

 実は、一歩間違っていたらこの時は家族は春休みで日本に帰国中、私だけが台湾に残っている予定だった。2月中旬に、かねてからの妻君の希望だった引越をして、その費用が結構掛かった為、今回の春休み一時帰国は断念して貰ったのだった。もし家族が居ない状態で倒れたら、発見もずっと遅かっただろうから、どうなっていたかを考えると、ちょっと恐ろしいモノがある。医者曰く、気を失って痙攣しても5分程度で気を取り戻せば大事には至らないそうですが、これが30分以上続くと、脳とかにも大きなダメージを与える可能性が非常に高くなるようである。という事で、結構危ないところだった。泣いて親父を心配してくれていた元紀だが、今では私の痙攣時の物まねをするまで立ち直った。

●後日談

 4月13日土曜日の夜、お世話になったK氏の家にお礼に行って来た。久しぶりに天気が良かったことも重なったので、BBQパーティーを企画してくれ、その人が年に数回BBQパーティーしているゴルフ仲間3家族(合計5家族)と、氏のマンションの屋上でBBQパーティと相成った。

 実は、先日の病院の時はコンタクトをしていなくて、そのぼやけて見えていた雰囲気と妻君から普段聞いていた雰囲気から、氏を少なくとも40歳代中盤から後半の人だと思っていた。また、BBQで一緒になる家族には某日系の会社の総経理(社長)がいると聞いたので、きっと皆45歳以上の偉い人たちばかりで、ちょっと我が家は場違いなのでは、と遠慮気味だったのだが、我家の為に企画してくれたような雰囲気もあったので(氏の台湾人の奥さんに、妻君が電話で聞いた内容)、ちょっと緊張して行った

 そして皆さんとご対面。ワインが効いて来て、皆ざっくばらんに話すようになると、なんと、この総経理は私と同い年で、同じ千葉県出身、子供も元紀と同い年、奥さんまで我々とと同学年、熱烈な巨人ファン、と非常に共通する部分の多い人で、翌日頂いたメールでも、私と同じく熱狂なMacユーザーで、スキューバダイビングも趣味の一つであると判明した。また、お世話になった氏も私より1つしか上ではなく、他の人たちも同じような年齢で子供の歳も奥さんの歳も似たりよったりと、非常に共通点の多い出会いだった。久しぶりに、家族以外の人と日本語で話が出来たので気分も良くなり、ついついワインを飲み過ぎてしまった。

 ということで今回の痙攣事件は、私にとっては思いっきり「吉」と出たような気がする。転んでもタダでは起きない・・・。

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