台湾日記

【3月30日】交通事故

 今日は、いよいよ日本から台湾にやってくる家族を迎えに行く日である。フライトが4時15分なので、会社を1時に早退し飛行場に向かう予定である。尚、家族が台湾に来る分のフライトは会社持ちだが、私が迎えに行く分は個人持ち。しかも、この時期は台湾の連休と重なったので、エコノミーが空いていなくてビジネスしか取れなかった。それでも25,000元くらい。

 しかし、この日の朝、会社の近くで交通事故に遭った。私は被害者なのだが、免許を取得して17年間で初めての(警察を呼んだ)事故である。過去の、「警察を呼ばなかった事故」を振り返ると、19歳の時にクルマを引き渡された1時間後に国道246でぶつけられ(保険は使ったが、警察は呼ばなかった)、25歳の時に宇都宮で後ろにクルマが来ていたのに気がつかずにバックしたらバンパーにぶちあたり(近くの駐車場で示談、相手の修理代約3万円払った)、同じく宇都宮で工場実習中の夜勤の帰り、渋滞の中を運転していたら居眠りして前のバンにぶちあたった(相手のクルマに損傷はなく、自分のクルマの修理代のみ)。今回の事故はそれ以来だから、事故事態も10年ぶりくらいである。尚、不思議と、運転マナーに大いに疑問のあるマレーシアでは、貰い事故も含めて一度も事故らなかった。

 時刻は朝の7時、もう会社まで400mくらいまでのところに来ていて、あとは左折して真っ直ぐ行くだけ(台湾は右側通行なので、こちらの左折は日本で言うところの右折)だったのだが、対向車が来ているのでそれが通過するのを待っていると、私の左側から直進して来たバイクがその対向車に接触し、方向を変えて私のクルマに突っ込んで来た。目の前で私のクルマにバイクがぶつかって来て、一気に眠気がぶっ飛んだ。幸い、彼女は自分で立ち上がり大した怪我もなく済んだが、私の車のバンパーの左側が凹んでしまった。バイクが接触した対向車は、ナンバープレートが外れただけ。

 こういう時に困るのが言葉が通じないこと。警察の事情聴取も、もちろん中国語である。事故に遭ってから真っ先に会社のメンバーに携帯からTELし、総務のJackと私の上司がやってきて、警察や事故の関係者と話をしてくれた。私は彼らに英語で状況を説明しただけで、あとは、出来上がった調書に署名捺印(拇印)した。会社の近くで本当にラッキーだった。尚、警察の事故の現場検証は日本のそれと同じような感じで、現場検証が済むまでクルマは暫く動かさず、クルマの位置やバイクの位置、飛び散った破片の位置を細かくペイントし、また、道路端からの距離をメジャーで測っていた。しめて、約1時間。ちょうど、出勤で交通量が多い時間だったので、その間、とっても恥ずかしかった(会社の近くだったので、会社のメンバーもほとんど目撃!)。まあ、これも貴重な経験の一つ!

 1時になったので、凹んだクルマの代わりに借りた別の社有車で飛行場へ向かった。上司がくれた飛行場の駐車割引券があったのだが、この駐車場は日本アジア航空が発着する第1ターミナルからは離れていたので、そこには停めずに第1ターミナルの到着ロビーの目の前の駐車場に停めた。

 出発ロビーに向かっていると、妻君から携帯に電話が入った。ちょうど今、引越荷物の航空便を梱包しているところらしいのだが、荷物の量が多すぎて、当初見積もっていた金額よりもだいぶオーバーし、その金額が、見積金額35万円に対して90万くらいになりそうとの事。35万円の見積もりの時点で、すでに会社負担の航空便枠の量に対して若干オーバー気味だったので、このままでは、増えた分の50万円以上は個人負担になってしまう。出来るだけ荷物は船便に回し航空便は少なくするように妻君に指示してあったのに、うまく行かなかったようである。盲点としては、会社の規定が、実際の重量ではなく箱の大きさから重さを規定する「計算重量」を使うため、衣類などの軽いものを比較的多めに残していた分が、結構この予算オーバー分になっていた。結局、可能な限り荷物を減らし残った荷物は実家に置いていくことになったので、明日はアパートの空き部屋の掃除だけでは済まずに、荷物の移動などの引越作業をやらされそうな気配である。

 台湾の中正国際空港を飛び立って約3時間、成田に到着した。

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