台湾日記

【3月31日】引越

 実家に到着すると妻君が開口一番「引越荷物が片付いていない、ご免なさい!」と言っていたとおり、久しぶりに帰ってきた八日市場のアパートは、今日で引き払うとは思えないほど荷物がたくさん残っていた。妻君は、この荷物の事を考えると憂鬱で昨晩はあまり寝られなかったらしい。すでに義弟から借りてあったトラックも実家に待機していて、このトラックで八日市場から実家の八街まで残った荷物を運ぶのである。日本に来て再び右ハンドル左側通行をしなければならないのに、こんな大きなトラックの運転までしなければならないとは。。。幸い、下の妹夫婦が応援してくれることになったのだが、今思うと、彼等の応援が無かったら、絶対に終わらなかっただろう。

 この日は、季節はずれの雪が降った。実家の辺りは雪だったが、アパートのある八日市場は雨だった。トラックの荷台に荷物を載せなければならないのに、この雨は辛い。妻君と妹が部屋で荷物を梱包し、私と義弟が3階から1階まで荷物を運ぶ。箱を担ぎながら、往復すること十数回、膝が笑っていた。途中から、上の妹も応援に加わり、予想に反してアパートの荷物の整理や掃除は短時間で終わった。いよいよ、これから荷物をトラックに載せ実家まで運ぶのだが、雨が止むのを待ちながら昼食を取ることにした。

 願いが通じたのか、昼食が終わる頃には雨も小降りになってきたので、急いで荷物をトラックに載せ実家に向かった。結局、トラックの荷台だけには荷物は収まらず、妻君のクルマ、上の妹のクルマ、下の妹夫婦のクルマにぎっしりと荷物を詰め込み、やっと収まった。運転すること50分、実家に到着。ここはまだ雪が降っている。実家の駐車場は屋根が付いているのでトラックからの荷下ろしは比較的楽だったのだが、ここでアクシデント!トラックの荷台の枠が私の足の甲に落ちてきた。枠の大きさから、一瞬「やばい、骨が折れたか」と思ったのだが、しびれていたが痛みは大きくなく歩けるし、骨折時特有の寒気もしなかったいので安心したが、靴を履くのが大変なほど、内出血で右足甲が大きく腫れてしまった。

 そのアクシデントもひた隠しにして荷物の搬入をしたが、あまりに荷物が多くて、亡き婆ちゃんの部屋が我々の荷物でいっぱいになった。可能な限り、我々の部屋である2階に荷物を運ばなくてはならないので、その後も夜遅くまで開梱作業を行い、寝たのは1時過ぎだった。明日のフライトは10時半と早いので、結局、日本では殆どゆっくりする間もなく、引越作業に明け暮れる結果となった。それでも、夕食は実家の両親と豪華ディナー(毎度お決まりのお寿司)となり、日本での「最後の晩餐」を一家で楽しんだ。

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